アルコール依存症の回復のために

1.はじめに

 アルコール依存症の問題は、現今、国際的に今日的課題となりつつあります。
我が国でも、今年7月、厚生省の報告がありまして、全国で、アルコール依存症が約2百万人と推定されるということで、これは、人口百人のうち、2人はアルコール依存症と診断されるわけでして、私ども、アルコール依存症の問題をもっと重要視して、それについての認識を深める必要があると考えています。


2.アルコールにはどんな作用があるか

 さて、アルコールの作用からお話ししますと、まず第1に、アルコールには習慣性、依存性があるということが問題であります。
 
 例えば、それまで清酒1合で満足していた人が、次第に、2合、3合と飲酒量を増していかねば気がすまないといった習慣性があるのが大きな特徴であります。
 
 第2に、アルコールは脳の麻痺をおこす薬物であるということです。
そのため、飲酒によって、その日の嫌な出来事を忘れることができますし、つらいことも忘れてしまうという、ある種の精神安定剤の作用をもっています。
 
 第3は、アルコールは血管拡張作用がありましで、お酒を飲むと、顔が赤くなるように身体の血管の血流がよくなる、そのため疲労回復にも役立つといったこともあります。
 
 その他、アルコールは高カロリー食でもありまして、炭水化物ですと1グラムで4カロリーですが、アルコールでは1グラムあたり7カロリーもあって、他の食物を食べなくても、身体は結構もてるというものです。
しかし、アルコールは栄養にはなりません。
また、利尿作用もありまして、ビールを飲むとトイレによく行くなど経験されることです。
 
 このように、アルコールの作用としては、私達の身体、健康にとって良い面も随分あるものです。
 
 しかし、大量のアルコールをいつも飲んでいると、どうなるのでしようか。
 
 例えば、ストレス解消のために毎日毎日大量飲酒を続けていますと、やはり身体に悪い影響が起ってきます。
なかでも脳は慢性的に麻痺状態となって、思考力、判断力、記憶力などがぐんぐん低下していきます。
 
 私がアルコール依存症の患者さんをみていますと、随分、脳が萎縮(脳が小さくなる)してしまっている人が相当にいるものです。
重症になると「コルサコフ症候群」という病気になって、アルコールのためにボケ(痴呆)になってしまいます。
このような重症の人は、私どもの病院に入院しても仲々回復せずに、社会復帰もできずに、一生、病院生活を送るという結果になってしまいます。
 
 また、血管拡張作用にしましても、顔や鼻の頭の毛細血管が慢性的に拡張して赤くなる、その程度ならよいのですが、内臓の血管も慢性的に拡張してしまい、胃出血、胃潰瘍、肝臓病、脳出血などの原因となってしまいます。


3.アルコール代謝について

 では、アルコールの体内代謝はどうなっているか?
 
 アルコールを飲みますと、すみやかに胃から吸収されるのが特徴です。
食物は一般に腸から吸収されますが、どういうわけかアルコールの吸収は違っています。
ですから、宴会などで「乾盃」といって飲酒しますと、すぐに顔がボーッと赤くなる人がいるのはご存知でしょう。
そして、アルコールは肝臓で分解されてアセトアルデヒドとなり、酢酸となって炭酸ガスと水になるのです。
 
 ところで、人によってあるいは民族によってアセトアルデヒドを酢酸にするアルデヒド分解酵素の量が多い人とか、少ない人がいるといわれています。
全くお酒が飲めない人もいますが、その人は、この酵素が少ないか、ほとんど無い人と考えられますし、一晩に1升でも飲める人は、この酵素を大量にもっている人といえましょう。
ですから、”適量飲酒”とよくいわれますが、ある人は焼酎1合が、また他の人では3合が”適量”であるということになりましょう。
 
 このように、アルコールの適量には個人差が大きいということを知っていただきたいと思います。


4.酒飲みのタイプとアルコール症

 飲酒のタイプとして、一応、常習飲酒、機会飲酒、周期飲酒の3つのタイブに分けられます。
常習飲酒とは、ほとんど毎日飲酒することで、
周期飲酒とは、飲酒するときには1週間や10日間も大量を立て続けに飲酒して、そのあと当分の間は飲酒しないでいて、しばらくして、また飲み続けるというタイプです。
機会飲酒とは、例えば宴会などがある時だけに、月に1〜2回程度、飲酒するというタイプです。
 
 このような様々な飲酒タイプがありますが、いずれのタイプの人でもアルコール症になるわけでして、「私は毎日飲んでいません」とか、「酒はやめようと思えば1週間でもやめられます」といってアルコール依存症を否定しようとなさる人がいますが、常習飲酒家だけがアルコール依存症になるという錯覚はしないように気をつけていただきたいと思います。
 
 また、周期飲酒、機会飲酒のタイプのなかで、”渇酒症”というタイプがあり、飲酒したときの行動を全く憶えていない、その時に意識を失くしてしまう。
このような酩酊を”病的酩酊”といいますが、このタイプの人は犯罪的行為をおこしやすいのでとくに注意が肝要であることを知っておいて下さい。

5.急性アルコール中毒とは?

 次に、急性アルコール中毒についてですが、これは大量飲酒した際におこるわけで、自分の身体のアルコ−ル許容量以上に飲酒した場合に、意識不明になったり、呼吸困難となり急性心不全を来したりするのですが、この急性中毒の治療は、早期に適切な処置、点滴静注とか酸素吸入を行えば十分なのです。
 
 アルコール依存症の治療で困難なのは、このような急性中毒よりも、お酒を「飲みたい」という気持を治すこと。即ち、アルコールヘの依存状態の治療なのです。



6.アルコール依存症とは?

 アルコールを追い求めるという依存状態、これが、所謂、慢性アルコール中毒の本態なのです。
ところで用語の問題ですが、現在では、慢性アルコール中毒という用語は用いず、「アルコール症」あるいは「アルコール依存症」といっていますので御承知おき下さい。
 
 「依存とは何か?」という問題ですが、私達は、ある意味では「依存」なくしては生きていけません。
私達は人として誕生した瞬間から母親の手をかりて、母親に全面的に「依存」しながら養育されます。
そして次第に成長して1人前の大人となって自立するわけですが、大人の世界でも随分「依存」があります。
いろいろな人々にお世話になりながら生活しています。
しかし、大人の世界では「相互依存」Give and Takeですので、赤ちゃんの時のように、母親というある特定の人に全面的に「依存」しているわけではありません。
ところが、アルコール依存症の患者さんは「赤ちゃんの依存」の状態と同じレベルになっているのです。
私は、大人の世界の相互依存の状態を高次元のもの、赤ちゃんの依存状態を低次元のものと考えています。
 
 ところで、アルコールを常習的に用いていますと、誰でもアルコールに対して慣れがおこります。
1合ですましていた人が、2合飲まないと気がすまないという風に飲酒量が次第に増えてくるものですが、これを「アルコール耐性」といいまして、例えば結核菌がストマイに耐性をおこしたという状態と同じようにアルコールにも耐性がおこりやすいものです。
しかしながら、この「アルコール耐性」ができたということ、即ち飲酒量が増えてくるという現象が出てきたら、アルコール依存症の入門だと考えでよいのです。
ですから「アルロール耐性」を起こすような飲み方を防ぐことがアルコール依存症予防にとって大切です。
若い人の飲酒の問題点  アルコール依存症の予防という面からみると、若い時からお酒の飲み方を考えなくてはなりません。
若い人達が成人式とか、新しく会社に入社したということで飲酒を始めるわけですが、若い時の飲酒は大変な危険をはらんでいるのです。
なぜなら、若い時には物質代謝は非常に活発でして、身体の細胞も柔軟性があるし、活力があります。
そのためアルコールにすぐ慣れやすいわけで、急速に飲酒量が増えていきます。
1升ぐらいケロリと飲む、毎日続けて飲んで20才でアルコール依存症になった患者さんもよくみかける。
 私達は、診察の際に病歴をとる際に、結婚当時の飲酒癖を奥さんから聴取しますが、アルコール依存症になる人は、25歳〜27歳で晩酌のくせがあった人が圧倒的に多いのです。
 昨今、イッキイッキなんて飲酒している若人をみますが、あれは大変危険です。
大量飲酒しますと、いつの間にか自分のアルコール許容量を拡げてしまうからです。
高齢者の飲酒の問題点  大量飲酒の次に、連続飲酒も問題となります。
最近、老人のアルコール依存症、定年退職後のアルコール依存症も非常に増えています。
 年をとりますと、人は色々なものを失っていきます。
職業、地位、財産、名誉、知人、友人、同胞、配偶者等々を次々と失っていきます。
高齢になって、あまりにも貪欲に自分1人で色々なものを抱え込もうと思うと、それを失った時のショックは大変ですね。
年をとるということは、ものを失なうことだという悟りができるとよいのですが、なかには、大変可愛がって育てた1人娘が嫁に行ったのを契機に毎日毎日飲み続けてアルコール依存症となった人もいます。
また、息子が借金をつくってしまい、自分が長い間かかって築いた財産を売り払ったあと、急にアルコールに浸り切ってしまった老人の例など、これらはいずれも、嫌なことがあって、それを忘れようとして飲酒するタイプで、これを、逃避的飲酒、いわゆるヤケ酒といいます。
女性の飲酒も問題例がでてきた  それから、女性の問題飲酒ですが、一般に女性では、ノイローゼ的アルコール症といったタイプが多いようです。
また、仲々治療しにくい面もあります。
 例えば、夫が浮気をして帰りが遅いとか、イライラが毎日毎日続くために、ついつい、夫のために準備したビールにロをつけて飲んでいるうちに、連日飲み過ぎて酩酊しては夫婦喧嘩をくり返してしまうとか、朝に夫や子どもを送り出したあと、なにをするあてもなく朝からチビリチビリと飲酒して夕刻までウトウトして過すうちに、次第に飲酒量が増して、夫の帰宅時にも目が覚めずに、大の字になって酩酊して眠りこけている姿を夫に発見されたとか、こういった、所謂キッチンドリンカーも増えているのです。

7.アルコール耐性と依存

 アルコール耐性ができると、つぎには「依存状態」が問題となりますが、これまでお話したアルコール耐性の形成的要因をまとめると、1.若年飲酒、2.常習飲酒、3.連続飲酒、4.逃避的飲酒ということになります。

 さて、アルコール依存の状態については、1.精神的依存、2.身体的依存の2つの状態があると考えられます。
精神的依存というのは心が欲求することであり、身体的依存とは、身体が欲求するということであります。
 シンナ―や覚醒剤の場合は、精神的依存だけで、身体的依存はないとされますが、アルコール依存症の場合は身体的依存の状態に陥りやすいのです。

 アルコール依存症では、もうなんとしてでも飲む、借金してでも、不義理してでも飲むという強迫的飲酒ともいわれますが、アルコール探索行動が出現します。
どこどこまでもアルコールを探し求めていくという行動でして、こうなりますと、アルコール依存症の診断が確定的です。

 晩酌を毎日続ける人や、仕事が終る5時になると、飲み屋の赤ちょうちんが目の前にチラチラ浮ぶといった人達は、アルコール依存症の準備状態(予備軍)といってよいでしよう。
なかには「私は、まだ手のふるえがないから大丈夫だ」という人もいます。
ところが私の病院の入院患者さんの4人のうち3人は手のふるえの症状はありません。
アルコール依存症の症状としては、手のふるえは単なる一症状にしかすぎず、精神的、社会的に非常に広い範囲で、多採な症状(障害)がでてきます。
そのため近年、アルコール依存症を、アルコール関連障害という概念で広く把えて、その対策を講じていこうという考え方が一般的となりました。

8,アルコール関連障害

 表に示したように、アルコール関連障害は、身体面、精神面、社会面で多様な症状を呈しますし、また、その程度を、第1期、第2期、第3期と分けて考えてみました。
 まず、身体面については、第1期の症状として、消化器系障害、なかでも肝臓障害はよく知られています。この障害のある人達は、本当はアルコール依存症なのですが、大抵は内科、外科の病院に入院しています。アルコール依存症の人達が、すべて精神科に入院しているとは限りません。アルコール依存症の人で、その約70%は内科、外科で、25%程度が精神科で治療していると考えてよいでしょう。
 その他、下痢をするとか嘔吐をするとか、吐血する等々で、アルコール性胃炎、アルコール性胃潰瘍、膵臓炎、あるいは糖尿病などに羅患したりもいたします。次に第2期に進行しますと神経系の障害が出現します。ビタミンB2の欠乏といわれる多発神経炎とか種々の神経麻痺、手指振戦、イソポテンツなどの症状がそうなのです。さらに第3期へと進みますと、循環器系障害、心臓病、動脈硬化症、脳出血、脳梗塞(脳の血管がつまる)なども起こしやすくなるものです。
 次に、精神面での障害はどうかといいますと、第1期のうちは、「イライラする」、「夜間不眠」などですが、飲酒しないとイライラするなどはよくみられる症状です。第2期となりますと、人格のレベル低下、あるいは性格の変化を来します。例えば、年齢相応の行動、周囲の状況に適した行動がとれなくなります。父親らしさ、母親らしさが失われる人もいます。ついには”人間らしさ”が失われてゆくのです。そして、第3期ともなりますと、いわゆる精神病症状が出現してきます。幻覚、妄想、てんかん発作(アルコールてんかん)などがありますが、例えばコルサコフ症候群という病気では、時間や場所の見当がまったく分らない。いわゆるボケ(痴呆)が起ってくるのです。そして最後にはアルコール性痴呆といって、完全なポケ(痴呆)状態となって、社会復帰不可能となってしまうのです。
 また、社会面の問題としてはどうでしょうか。よく経験されるのは、まず家庭不和が問題です。お酒のせいで夫婦喧嘩がおこるという場合には、すでに本人はアルコール依存症であると考えてよいでしょう。そしてついには別居、離婚という破綻状態に進んでゆくものです。
 第2期になると、職場での問題がでてきます。朝から飲酒して酒の臭いをさせて出勤してくるとか、仕事上のミス、同僚との不和など、お酒にまつわる職場での色々なトラブルが続き、そして失職、経済的破綻といった経過をたどり福祉のお世話になるアルコール依存症の人達も多いものです。ですから”福祉のお金は、相当にアルコール依存症の人々に飲ましてしまっている”と言っても過言ではないようです。
 第3期に進みますと、地域社会との問題が表面化してきます。酔って側溝に転落し、救急車のお世話になるといったうちは可愛いいもので、無銭飲食、傷害、窃盗、暴力、器物破壊、放火あるいは殺人など、また、自殺も珍らしくありません。
 さて、このようにアルコール症の症状は、身体面、精神面、社会面で多彩ですが、それでは、このようなアルコール依存症をどうやって治療してゆくかということになります。

9.アルコール依存症の治療 く断酒>

 アルコール依存症の治療、それはアルコールをきっぱりとやめること、即ち、断酒が唯一の治療法なのです。

 一般には、お酒の量を減らせばよいのではないかと、よく言われます。
例えぱ、いつも3合飲酒していた人に、1合で我慢しなさいと指導しますが、このような指導は、アルコール依存症の予防の段階の手だてでして、すでにアルコール依存症になった人にとっては、そんな減量なんて、とても出来ない相談なのです。

 そのアルコール依存症の人の体質は、もう3合の体質になっているわけで、それを1合で押さえようとしても、そのために欲求不満が生じ、イライラや、夜間不眠がおきてきます。
ほとんどのアルコール依存症の人は、奥さんの前では、うやうやしく1合の酒ですましているようでも、きっと何処かで隠れて2合の酒を飲んでいるものです。
あるいは、たとえ、1ヶ月2ヶ月間、お酒をやめても、いつか必ず、爆発飲酒をしでかすのです。

 アルコール依存症の人がお酒をやめて、しばらくすると出現する症状に禁断症状があります。
最近では、離脱症状という用語をつかいますが、この離脱症状は全くお酒を断った時はもちろん、お酒を減量した際にも出現します。
一晩中、大声で叫ぶとか、自分の目前を女房が通ったとて、「お〜、お〜い」と呼んだり(幻視)、「小さい虫ケラが見える」、「天井から虫が一杯落ちてくる」などといって、部屋の隅で奇妙な仕草をしている等、いろいろな症状がみられます。
それほどなくても、時間や場所の感覚を失って、入院してもう5日も経っているのに「まだ、2日目でしょう」と平気で答える入院患者さんもおられます。
これは離脱症状をきたしている患者さんが意識のレベルが低下しているわけで”せん妄状態”といって意識混濁の状態に陥っているのです。
入院治療では、まず最初に、この離脱症状の治療からはいります。


<アルコール依存症からの回復とは何か?>
 次に、アルコール依存症から回復するということ、それは、赤ちゃんのように依存している人が、自立した大人の心境に帰っていくことなのです。
即ち、治療過程のなかで、その人の人格(性格)に変化をおこさせるということでありますが、このような話をしますと、大低の患者さんは「性格は変わりませんよ」と考えているようです。
この考えは、大変な錯覚でして、例えば、体質について考えてみますと、生まれつき弱い体質の人でも訓練によって鍛えていけば強い立派な体格になることは、よく知られています。
性格についても同様に私達が親から受け継いだ気質、これは遺伝的なものですが、その気質のうえに様々な学習体験を重ねて努力していくことによって、それなりの性格(人格といってもよい)ができるわけで、この過程を普通に人格形成といっています。
例えぱ、気弱で、小心の人が、訓練によって、努力して克服してゆくことで性格が変ってゆくものです。
それは、弱い体質の人が、毎日毎日努力して身体を鍛えて次第に強い体質になるのと同じように、性格も変わるものだと考えてよいのです。


<アルコール依存症に対する内観療法>
 このような基本的考えにもとずき、私は、現在、アルコール依存症の内観療法を行っています。
この療法では、まず<自己反省>ということが一番大切です。
”自分をみつめる”、”自分のいままでの過去を振り返ってみる”ということそうすることによって<自己を発見>できるということなのです。
<自己反省>によって、いままでの自分が、いかに自己中心的であったか、我侭であったかということがよく分ってきます。
アルコール依存症の患者さんはよく「自由を、自由を」といいますが、サルトルという哲学者もいっているように、「自己と社会に責任を持った自由」こそ、真の自由なのでして、アルコール依存症の患者さんが強調する自由とは、我侭、身勝手、自己中心的ということであり、それは丁度”赤ちゃん”であるということでしよう。

 また、患者さんは、家族をはじめ周囲の人々から「お前は、酒さえ飲まなければ、いい奴なのに、腕の立つ男なのに」などといわれる人が多いようで、「おれは腕の立つ男だ。誰にも負けやしない」と言います。
しかし現実にはお酒を飲んでいるわけでして、「酒を飲んでいるから、お前はダメな奴だ」というのが家族をはじめ周囲の人々の本音なのです。
その事がいつまでも分からずに患者さんは、「俺は、俺は・・・」というふうに考えています。
そこに自分はいないのに、自分の虚像を、自己像として描いているのです。
私は、これをアドバルーン自己像といっていますが。
ですから、家族も「酒さえ飲まなければ、よい男だ」と患者さんに言ってはいけないわけです。
家族が、患者さんにそのように言っていますと、いつまでも甘えてしまい、そのつもりになってアルコ―ル依存症から回復しないのです。
家族、周囲の人々は「あなたは酒を飲んでいるから、だめな人ですよ」と、しっかり教えてあげなくてはいけない。
そこに、アルコール依存症治療のある意味での厳しさがあるのです。
そして、「こんな自分の姿があったのか。」と本来の自已像がみえてきた時に、アルコール依存症の回復へのきっかけがつかめるのです。

 このように、「自分は病気なんだなあ。」、「俺もアル中なのか。」ということに、ようやく気付くのは、大低の場合は、入院3〜4ヶ月ほど経ってからです。
アルコール依存症の場合やはり、脳が麻痺している状態が続いていますから、その回復にも時間が相当にかかるわけであります。

 アルコール依存症の患者さんが、「あゝ俺は、こんなハカげたことをしていたのか、これではいけない。」と分った時に、はじめて、その人の人生観の中における価値観の変化、価値基準の変化がおこってくるわけで、そして本当の意味での治療意欲がでてくるし回復への期待感が出てくるのです。
「俺には酒をやめることは出来ないと思っていた。
しかし俺にも出来るのではないか」という期待感が生まれてきます。
過去の自分を反省したうえで、本当の意味での自己像がみえてくるのであります。
こうして自己の理想像がみえてきますと、もうその理想像に向って進んでゆく、病棟でも、患者さんが明るくなってきますのはこの段階に到達した時のようです。

 そして、自己の理想像に向けて自己統制をしていく、この自己統制力、これは精神力といってもよいわけですが、このような自己をコントロールする力がつきますと、アルコール依存症は随分回復したといえますし、やがて患者さんが退院−断酒生活−積極的な社会参加という過程をたどり、本来のすばらしい姿をとりもどすことになるわけであります。

10.アルコール依存症回復のための要因

 アルコール依存症回復の要因については、表のように、治りやすいタイプAと、治りにくいタイプBとに分けてみました。
また、「人格レベルと回復過程」の項目の中の点線は、社会的レベルを示しています。
例えば、治りやすいAタイプの場合には、幼児期から次第に成長して大人になったが、ある時期にアルコール依存症となって人格レベルが低下したわけですが、このタイプの人は、治療によって回復するのは比較的容易なのです。
ところが、治りにくいBタイプとは もともと人格未熟な人でして、1回の治療では仲々回復困難です。
元来、人格レベルが低いわけで、アルコール依存症によってさらにレベル低下をきたしているために、社会的レベルに到達させるには、3回、4回と入院を繰り返すことになるでしよう。
しかし入院ごとに少しづつレベルアップしてくれば、それで十分だと考えています。
患者さんや家族だけでなく治療者にとっても相当の時間と根気を必要とします。

 また「断酒状況」については、治りやすいAタイプの場合には、内部統制といって自分の力で統制していく事があるわけですが、治りにくいBタイプでは、外部統制、即ち他人から統制される状況にとどまっています。
これは「入院させられるから、お酒を我慢する」とか「女房がうるさいから・・・」といった状況でして、この外部統制の状況ですと、退院後3ケ月頃に再度飲酒をはじめる人が多いようです。

 職業については、定職がある方が回復しやすいし、住居や家族についても同様のことが言えます。
幸いに家族がいる場合には、家族への教育がまた非常に大切です。
私どもの病院では月1回、家族講座を開催しており、毎回50人から80人の家族が参加されます。
家族への指導によって、患者さんが入院中にも、その奥さんが地域の断酒会に熱心に参加して勉強される例もみかけます。

 次に、地域社会の問題であります。
それぞれの地域には、やはり専門病院か専門病棟があるのが望ましいと思います。
どうしても、一般の精神病院では管理も非常に難かしく、治療効果もあがりにくいと思います。
また、治療スタッフの能力如何によって回復率も変ってきます。

 その次に、断酒会です。
このような会が、各市町村にあればよいと思います。
そして、その地域の人達がアルコール依存症の本当の姿を正しく理解してくれることが望ましいのです。
アルコール依存症を誤って理解している地域では、どうしても回復率は低いわけであります。

 また、地域の行政の取り組み方、姿勢も、アルコール依存症回復に大きく影響することを申し添えておきたいと思います。


11.まとめ

 アルコール依存症の患者さん、その家族に対する鋤きかけの要点として
 患者さんや家族に働きかける際に、どういう態度で接するかについて、その要点をいくつかお話してまとめにいたします。

 アルコール依存症は病気であって、単なる酒ぐせが悪いとかいう間題ではない。
しかし、病気だから治るんだということを認識させることが大切です。
 「飲まなければよい人だ」などといいかげんな言葉で慰めるのは絶対禁物であることを知っておいて下さい。
 精神病院への入院の場合は、患者さん、家族にとっても大変不安なことであるが、その病院の現況を詳しく熟知していて説明してあげる。
それによって患者さんや家族の病院に対する不安、抵抗感を軽くしてあげることが大切です。
 アルコール依存症の苦しみ悩みを本当に理解してあげる。
酩酊して良い調子になっているなんて思ってはいけないのです。
 アルコール依存症の患者さんを説得する場合には、”なにわぶし調”の説得は効果がありそうです。
覚醒剤やシンナー依存の人と違って、アルコール依存症の場合には「年老いた母親のことを考えてごらん。」とか「子どものことを考えてごらん。」と治療者自身も共感して涙を浮べて語りかけるといった真剣な態度が必要です
 家族間の葛藤を処理してあげることも大事です。
家族は患者さんを「もう殺してしまいたい。」と考えている場合も多いのですが、その一方で「なんとか助けたい。」という気持で一杯なのです。
また、患者さんの方も「女房を殺したい。」という気持がある反面で、「なんとかしてくれ。」と甘えているのです。
このような患者と家族の心境、葛藤状況を理解してあげて、治療者は、患者と家族の間に立って、ある種の”仲人役”のように、一方だけの味方ではなくて、両方の側ともうまく立てながら、葛藤状況を処理してあげることが肝要なのです。
 断酒に関する書物とか断酒会員を紹介してあげるのも良い方法です。<アルコール依存症は必ず治るんだ。ここに、こんな証人がいますよ。>ということを実際に見せてあげることによって、患者さんや家族の励みになると思います。
 アルコール依存症では、家族は「もうだめだ」と諦めていることもあります。
「この人は、もともと意志は弱いから・・・」「断酒はとても、うちの人には出来ないはずだ。」などと、きめ込んでいる家族もいます。
しかし、断酒会員の回復者に紹介して彼等の経験談を聞かせてあげるという試みは、回復のために相当の効果をあげるものです。
 <決して、甘えを許してはいけない> 
 治療者が、患者さんや家族の苦しみ、悩みを理解してあげることは大切ですが、彼等の甘えを許してはいけないのです。
そのため、治療者は、彼等と一定の距離をおくことが肝要であり、のめり込んではいけないのです。
彼等の自主的な力をパワーアップするための方法を教えてあげて、支援してあげるといった態度を保つことが大切です。
 これまでお話したようなアルコ―ル依存症回復への様々な方法は、すべて計画的に実行することが必要です。
また、アルコール依存症治療のルートに乗せる場合に、外来通院だけでよいか、入院させねばならないかと、保健婦の訪問活動だけでよいか、断酒会の力を借りるのがよいのか、家族や周囲の理解はどの程度か等々について、患者さんや家族の状態を十分に把握して時期を失せず、早めに一応の目途をつけることが大切です。
 アフターケアの間題ですが、退院しても、家族や関係者は「こいつはダメだろうなあ・・・」という気持で見ておられる場合が多いものです。
それを患者さんは敏感に感じとって淋しい思いをしているのです。ですから<誉めてあげる><信じてあげる>く誇りをもたせてあげる>といったことを試みて下さい。
 アルコール依存症が回復しても、ノイローゼとか、うつ状態になる患者さんもいます。
この場合には、もう1度治療が必要です。大低、外来通院による薬物療法で十分に改善するものです。
 アルコール依存症では、退院後3ヶ月間が節目です。
断酒会に入会してし自力で断酒した人でも、3ヶ月目に精神的エネルギ−が切れることがあります。
 そこで周囲の人々の支えが必要になります。
 退院後6ヶ月目を過ぎると次第に安定してきますし、退院後1年になると準安定期、そして退院後2年を越すと、もう安定期といわれます。
 家族への教育はなんといっても大事なことです。
アルコール依存症という病気は少しづつ回復すればよいのですが、家族をはじめ周囲の関係者の期待があまりに大きすぎる場合がよくあります。
そのため患者さん自身も、一気にいままでの遅れを取り返そうとか、一気に汚名を返上しようとあせることになります。
そのために失敗する例も多いのです。
アルコール依存症は、1歩1歩、ゆっくりと回復へ向って前進すれば、それで十分なのだということを家族や周囲の関係者に理解させるように努力する,ことが大切なのです。
 そして、アルコール依存症の患者さんは、必ず回復するものだし、社会復帰できるものなのだということを皆様方が確信をもって指導していただきたいと思います。


出典:宮崎県精神衛生センター機関誌「心の健康」第38号(1986年)「アルコール依存症の回復のために」
1985年7月23日(火)に開催したアルコール問題関係者研修会での講演を記載しました。