第1章 本格焼酎「いも麹 芋」の誕生

1.「いも麹 芋」が誕生するまでのいきさつ

平成9年2月、鹿児島県国分市の「石野商店」の跡取り息子”石野浩二”さんが国分酒造協業組合の杜氏”安田宣久”を訪ね、「さつまいもだけでいも焼酎は造れないか」と相談を持ちかけました。
当時、石野さんは、ディスカウントスーパーなどの進出により、今後の酒屋の経営に対し大いに危機感を感じていました。そういった中で、「熊本の米焼酎は米だけ(米麹+米)で、大分の麦焼酎は麦だけ(麦麹+麦)で造られているのに、鹿児島の芋焼酎は米と芋(米麹+さつまいも)で造られているのはなぜだろう」という疑問にぶちあたり、「それでは、さつまいもだけで芋焼酎は造れないのか」ということで、あちこちの蔵を歩き回りましたが、技術的に難しいとの理由で断られました。
そうしてたまたまやってきたのが国分酒造でした。
国分酒造の杜氏・安田からの回答は、「技術的に難しいが、できないことはないかもしれない」とのことでしたが、理事長の許可がおりず、何もないまましばらく月日が経ちました。
平成9年12月、相談を持ちかけられて以来、さつまいもだけで芋焼酎を造ってみたいと考え、研究を重ねていた杜氏・安田から、石野さんへ連絡が入りました。「理事長の許可が出たので造りましょう」。この一言がスタートでした。

      
   石野さん(昭和36年生)      杜氏・安田(昭和26年生)

2.初めての仕込み

平成9年12月、その年の仕込みの一番最後に「いも麹 芋」を手がけました。もろみが腐ってもいいようにということで、一番最後の仕込みにしました。
仕込みが開始されました。仕込み方法は、杜氏・安田が研究した結果、全麹仕込み(いも麹にさつまいもをかけるのではなく、いも麹だけで仕込む方法)で行うことになりました。
予想どおり、アルコールの出が非常に悪いでした。通常芋焼酎は、米1に対し芋5をかける方法がとられていますが、できたアルコールに寄与する割合は、4対6といわれています。つまり6分の1の米が全体の40%のアルコールを造るということになります。それだけ、さつまいもからはアルコールが造られにくいということです。
アルコールが出ないと、蒸留ができず、もろみは腐ってしまいます。「このまま腐ってしまうのかな...」杜氏・安田と石野さんに不安がよぎりました。「あと1日か2日でアルコールが出ないと、もろみを捨てましょう」と言っていた翌日、ようやく蒸留できるまでアルコールが出て、蒸留にこぎつけることができました。蒸留直後のアルコール度数は27%、できた焼酎の量は5石(一升瓶換算500本)でした。

3.初年度のできばえ

10ヶ月ほどタンクで熟成させ、初年度の「いも麹 芋」が完成しました。アルコール度数26%、”原酒”をそのまま900ml瓶に詰めました。約1,000本できあがりました。肝心のお味のほどは、「とてもいも臭い」と予想していましたが、以外とさらっとしていて、キレがあり、飲みやすいタイプに仕上がりました。
平成10年終わりから11年初めにかけて、石野さんが一人で販売し、4ヶ月ほどで完売でした。

4.2年目の仕込み

初年度の仕込み以降、杜氏・安田が研究を重ね、平成10年12月、2回目の仕込みが始まりました。「いも麹 芋」のもろみは、米麹を使用した芋焼酎のもろみと比較すると、見た目が黄金色っぽく、さらさらとしていて、香りはさつまいもそのものの香りがします。
研究の成果でしょうか、蒸留直後のアルコール度数は32度、20石弱(一升瓶換算2,000本)の「いも麹 芋」が完成しました。
2年目の仕込みでは、もろみが腐る心配もなく、順調に行われました。

5.2年目のできばえ

5ヶ月ほどタンクで熟成させ、2年目の「いも麹 芋」が完成しました。原酒のアルコール度数は31%、これを26%まで加水し、一升瓶で2,000本ちょっとできあがりました。2年目の「いも麹 芋」は、酸度が高めで辛口タイプに仕上がりました。キレの良さは相変わらずです。
平成11年4月の発売前に、地元の南日本新聞に掲載されたこともあり、大変な反響でした。平成11年は4月と9月の2回に分けて発売しましたが、石野さん、鹿児島市内の酒屋さん、福岡県の酒屋さんの3人で、あっという間に売れました。

第2章 全国展開に向けての3年目の仕込み

第3章 「いも麹 芋」へのこだわり

 

ホームへ戻ります