1995年10月インド日食の報告と

2009年7月トカラ日食の予報




1.はじめに

 皆既日食は月が太陽を覆い隠す天体現象であるが、最もスリリングで幻想的な天体ショーでもある。また学問的にもコロナをはじめとする太陽大気の研究など重要な研究対象となっている。

 皆既日食はほとんど毎年のように世界のどこかで発生し、最近ではこれを見にいくツアーがさかんである。日本からも多数の天文ファンや観光客が日食を見るために海外へ遠征している。私もいつかは日食を自分の目で見たいと思っていたが、このほど念願かなってインドから東南アジアにかけて見られた皆既日食をインドで観測することができた。この日食の経過と観測の結果を報告する。

 また日本で見られる皆既日食はここしばらくはないが、2009年7月には中国大陸からトカラ列島を経て太平洋にいたる皆既日食が見られる。まだ先の話ではあるが、この日食の経過と観測の方法について考察する。

 なお今回の日食観測では学校を4日間留守にしたが、生徒や同僚には心温まる応援をいただいた。またトカラ日食の経過については石井馨氏に計算をしていただき、自治体対応への助言ををいただいた。この場を借りてお礼申し上げます。



図1 日食の経路

2.1995年10月インド日食の概要

 1995年10月24日、インドから東南アジアにかけて皆既日食が見られた。皆既日食帯は中近東のイランに始まり、アフガニスタン、パキスタンを経てインドを通過。いったんベンガル湾に出て再びインドシナ半島に上陸。タイ、カンボジア、ベトナムなどを横断して南シナ海上で2分10秒の最大食となる。その後カリマンタン島北端をかすめて太平洋上で終わる。

 この日食に対して日本から皆既帯への数々の旅行が企画された。旅行計画のほとんどはタイまたはインドへのツアーである。タイでは好条件で1分半の皆既日食が見られるが、雨期が明けない可能性がある。インドは雨期が明けて晴れる可能性は高いものの皆既時間が50秒弱と短いもとなる。今回は初めての皆既日食ということもあり、皆既時間が短くても確実に見られる可能性の高いインドへのツアーを選んだ。

 私の選んだツアーは日食ツアーの中でも最も全行程4日の短いコースであり、日食観測だけを目的にしたものである。観測地はニューデリーから南西へ約100kmのサリスカ村で、皆既継続時間は52秒である。ここでの日食は日の出間もない東の空で始まり、皆既時の地平高度は約25度と低いものである。皆既日食時には太陽活動極小期のコロナと金星、水星そして一等星のスピカがコロナの両側に見えることが期待できる。

サリスカでのデータ

第1接触  7h24m22s
第2接触8h32m56s
(皆既継続時間 52s)
第3接触8h33m48s
第4接触9h54m35s



3.インド日食の経過

 10月22日夜、関西空港を出発したインド航空のジャンボ機は香港を経由して約9時間でインドのニューデリー空港に到着した。インドと日本の時差は6時間30分であり、到着は現地時間で23日の未明だった。ホテルでしばらく休憩ののちアグラ市のタージマハルを観光し、観測地のサリスカ村へ移動は貸切りバスで約6時間の強行軍で到着は日食前日の夕方になった。

 日食当日、未明のうちに最も皆既時間が長い日食中心線上の観測地に移動。観測場所は旅行業者が現地の畑を借りて整地した場所である。北極星が見えているうちに赤道儀をセッティングし夜明けを待った。観測地の緯度は北緯27.48゚で奄美大島とあまりかわらないため、星空の見え方も同じである。夜明け前の黄道光がくっきりと見えた。

 快晴に恵まれた日の出から約1時間後に太陽の西側から食が始まった。月の影はどんどん大きくなるが肉眼で見た太陽はやはりまぶしく地上の風景も普段と変わらない。ところが太陽表面が80%以上欠けた頃から太陽の光は弱くなり、風景はサングラスをかけて見たような異様な暗さになった。そして日食開始から約1時間後、月の影は完全に太陽を覆い隠して皆既となった。青空は青みを増して薄暗くなり、太陽は空に開いた真っ黒の穴となって真珠色のコロナが取り巻く不思議な光景がしばらく広がった。しかし約40秒後、太陽の西側にキラリと光の点が見えると、光の点はみるみる広がって地上にも光が戻ってきた。予報より皆既継続時間が短かったのは月の縁に谷があって太陽の光が漏れていたためと思われる。皆既が終わって約1時間後に月の影は太陽の東へと去り日食は終了した。全経過2時間あまりの天体ショーであった。

 皆既の間は歓声とカメラのシャッター音だけが聞こえ、私自身もコロナの美しさに見とれていたが、写真は露出を変えて連続撮影するカメラの機能のおかげで、内部コロナから外部に広がる東西方向のストリーマーまで写った写真を撮影することができた。肉眼では青空の中に金星を確認できたものの水星やスピカなど他の星は確認できなかった。

 夢のような皆既日食の後、私たちは再びバスに乗り込みそのままニューデリーに向かい、その夜の飛行機で帰国した。インド滞在は実質2日であった。

図2 インド(サリスカ)での日食の経過

写真上  日食の経過
  共通データ
 76mm屈折望遠鏡(焦点距離=500mm)
 フジクロームプロビア(ISO100)
 写真4〜6以外はD4フィルター使用
   時刻 露出
  1. 7:45 1/5000
  2. 8:05 1/2000
  3. 8:25 1/1000
  4. 8:32 1/60 第二接触
  5. 8:33 2"  皆既
  6. 8:34 1/60 第三接触
  7. 8:33 1/1000
  8. 9:25 1/8000
  9. 9:45 1/8000
   (時刻は現地時間)

写真左 観測中の筆者
 写真用の望遠鏡とビデオカメラを赤道儀に同架し日除けと減光フィルターを取り付けてある。




4.2009年7月トカラ日食の概要

 2009年7月22日に起こる皆既日食はパキスタンの南端に始まりインドから中国南部を経て上海で東シナ海へ出る。その後鹿児島県のトカラ列島と小笠原諸島の南方を経て太平洋上で終わる。最大食は小笠原諸島南方で6分42秒となり、まれにみる長い皆既継続時間である。

 この日食の観測地は陸上では中国大陸と、日本ではトカラ列島から奄美大島北部になる。皆既帯の北限界線は屋久島の北端を通り、南限界線は名瀬市近辺となる。また中心線はトカラ列島の諏訪之瀬島と悪石島の間のやや悪石島よりを通り、特に悪石島では皆既継続時間が6分を超える21世紀最大級の日食となる。奄美大島北部での皆既継続時間は3分あまりで、皆既帯に入らない日本全土でも部分日食が見られる。

場 所 (緯度、経度)皆既継続時間
名瀬市役所前 (E129゚29'43"、N28゚22'24")1分07秒
笠利崎灯台  (E129゚41'28"、N28゚31'34")3分40秒
悪石島小学校 (E129゚36'23"、N29゚26'48")6分20秒

 7月下旬の奄美地方は梅雨が明けて間もない時期であり、晴天率はかなり高いため皆既日食が見られる可能性は高い。ただ1995年の同日には台風が接近しており、日食当日の天候は直前までわからない。また湿度が高いために1987年のハワイ日食時に見られた日食雲が発生する可能性も高い。

図3 奄美大島での日食の経過



5.2009年トカラ日食への自治体の対応について

 7月22日は学校の夏休みに入るために、全国からかなりの観測者が奄美を訪れることが予想される。海外での日食では日本を始めとする観測ツアーのために旅行業者が観測場所として学校や公園などを占有してしまい、地元の観測者や個人観測者を排除する光景をしばしば目にし論議を呼んでいる。地元の観測者や教育活動のためにも地元自治体による秩序ある対応が必要になると思われる。そこで以下のような対策が望まれる。

 1)今回の日食は鹿児島県内だけで見られるので、県の行政機関に日食準備委員会のような組織をつくり、地元自治体への情報提供やアドバイスをする。たとえば各地での日食の経過予報を発  表し、皆既日食についての啓蒙活動を行う。

 2)地元自治体は公立の公園や広場を地元の人が利用できるよう確保する。旅行業者を整理し、公共の施設を独占されることがないようにする。

3)飛行機や船などの交通機関、公的宿泊施設が旅行業者によって買い占められることがないようにする。できれば日食観測をかねて帰省する地元出身者のための枠を確保する。

 4)県の教育機関が主催して小・中・高校生のための日食観測会を企画する。

 10年以上先の日食でまだまだという感もあるが、海外での日食ツアーの企画が2年以上前から始まっていることや、1999年にヨーロッパで見られる皆既日食の後は2009年のトカラ日食が照準となることから、少なくとも2000年までに何らかの準備が必要になると思われる。この活動がうまく機能できれば海外からの観測隊も受け入れることができ、国際交流のよい場となるかもしれない。また地元の人たちにもよい思い出ができるであろう。

図4 2009年トカラ日食の南西諸島付近の皆既帯(略)


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