
8月のこの時期は、平和についていろいろな企画がありますが、私たちの身の回りにある戦跡をあらためてたずね、掘り起こしてはいかがでしょうか。
1945年8月11日なぜ加治木町は戦災にあったか?(米国第5航空軍団の記録から)
◆オリンピック作戦の真実(米軍九州上陸作戦計画)
昭和20年11月1日に南九州に上陸する計画です。
南九州の上陸参戦は、昭和20年の4月頃から着々と練られ、そして入念に総合的な判断で、8月9日に発動された。上陸地点は西部が鹿児島県串木野海岸(吹上浜)東部が有明(志布志湾)で、北部が宮崎県の海岸というものです。
65年前の8月11日、加治木町では、旧制加治木中(現加治木高校)において、15名の学生が命を亡くしています。
加治木高校、校門を入った左手の樹木の一角に「殉難学徒の碑」があります。

「昭和二十年(一九四五)八月十一日、この日出校日にて、朝より暑き日なりしが沖縄発進の米軍機の空襲を受く。焼夷弾投下により校舎炎上焼失、無差別機銃掃射を受け、学友十五名死亡、負傷者数知れず、その惨状眼を覆うばかりなり。四日後即ち八月十五日終戦、痛恨極まりなし、嗚呼。
ここに同窓相寄り殉難学徒の名を印し、遺影を刻して御冥福を祈り、永遠の平和を願わんとす。
殉難学徒よ、以て瞑せよ」
8月11日の空爆で焼けたクスノキが今も、加治木高校グランドのスタンドにあります。

●加治木町戦跡−引揚船入港跡
京都の舞鶴港は歌にも歌われ全国的にも知られていますが、この加治木にも引き揚げ船入港という歴史がありました。
2万6780人が上陸した加治木の港 「引揚船入港の地 加治木」碑文

(加治木町木田「塩入公民館」)
●加治木町戦跡−引き揚げ船墓碑由来記
加治木町の錦江小学校裏の「吉祥寺墓地」には、引き揚げ船墓碑由来記の墓碑があります。

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●戦争遺跡 国分隼人地区
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国分隼人地区の戦争遺跡です。私たち身近な所の戦争の記憶を掘り起こし、次世代に語り継いで行きたいものです。
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