前書いたやつ
11/21

明るみ始めながらも白光が覗き始めるわずかな間、島内は青白くしている。時折わずかなでる風も涼しげでいる。辺りはしんとして、伊佐美屋の店内から出てきた六匹の猫の小さな足音がだれに聞かせるでもなくコンクリートの堤防を伝うように遠くまで響く。先頭はクロ、少し離れてブチヒゲ、その後ろにミケ、ぴたりと横につけてチビ、それから灰色がかった猫と、土に落ち葉を撒いたような模様の猫が着いてきていた。灰色がかった猫は抜け目のない顔つきと、また実際に顔つきどおりの性格をした、短い尻尾のチョロである。さほど愛嬌のある顔には見えないが、よく人間たちから餌をもらっていた。賢い猫であるから、仕草や素振りを心得ていたのかもしれぬ。もう一匹の猫は物心ついてから極力人間に恃むことなく生きてきたタイルである。仔猫のときにそのように育てられたのか、どういうわけかタイルの上で寝るのを好んでいた。以前は民家の屋外に設置された水周りに陣取ってはそこの住民に辟易され、そのまま頭から水をかけられ嫌な思いをすることもしばしばであったが、島から人がいなくなってからは平穏な日々が続いていた。

船着場の周りには朝早くから多くの猫が集まっていた。寝ているものと起きているものが半々ぐらいだろうか。クロたちの姿を認めると起きていた猫たちは尻尾をささと地面に這わせながら振った。後で取りにくるつもりなのか、再び漁をする予定があるのか、不法に投棄していったのか、船着場には比較的小ぶりな漁船や今にも割れそうな小舟などが十艘ほど停泊してあった。それらは穏やかな海に鷹揚に浮かび、ときどき船体をほかにぶつけてゆっくりとして大きな音を鳴らす。三毛猫のミケはコンクリートの縁に立って耳を震わせながら、じっと考えごとをしているようである。自分がかつてよく連れられていた船は見当たらないように思えるし、どの船にも乗ったことがあるようにも思える。そもそも記憶が定かでない。周囲の猫たちは固唾を飲んでミケの挙動に注目している。クロのやつも厄介なことをいいだしたものだ。どれにも確信が持てぬのであれば、どれを選んだとてそう大差はあるまい。ミケはコンクリートでできた係船岸との距離がもっとも小さな船の近くに寄った。五匹の猫がミケの近くに寄り、そこから十歩ほど離れたところで残りの猫たちは半円状の猫垣を作った。ミケが選んだ船は、魚鱗のようにぺりぺりとはがれた塗装が目立つものであったが、停泊していた船の中では幾分ましな外観をしていた。

係船岸から船までの間隔は揺れを平均して軽く一跳びほどの距離だろうか。隙間は奈落の底へと続くように深暗くしており、また実際にこれまで二三匹ほどの猫が誤って転落して帰らぬものとなってきている。だがまあ、落ちることはあるまい。それよりも。ミケは頭をかしげるように抱えるように上半身をひねって落ち着かぬふうに脚を舐めた。魚魚魚。漁に何度も連れられたのは確かだが、船の記憶と同様、どうやって魚を獲っていたのか記憶がはなはだ怪しい。網を海に沈めて、それを引き上げると魚が絡み取られていたように思える。では網は。船内にあるのだろうか。いや待て待て、そもそも船は海に行くものなのだろうか。どうやって。これ以上舐めると胸に毛玉でもつかえるのか、ミケは脚を舐めるのをやめてその場で小さな円をたどるようにぐるぐるとやりだした。ミケの近くに寄っていたクロたち五匹の猫は、いつになく落ち着かぬミケの様子を前に少し怖じるように腰を下ろしていたが、そのうちに痺れを切らしたタイルが船に跳び乗った。船に乗ったのは初めてなのかタイルは身を低くしてしきりに鼻をならしながら船内に注意や興味を撒いていた。続いてチョロとチビがぴょんぴょんと軽快に跳んだ。チビは動き回るタイルにせわしなくまとわりついていったが、チョロは澄ました顔でじっと座りながらクロとミケの方へ視線を向けている。ミケは一度後ろを振り向いてから、えいやといった体で船に乗り込んだ。もはやそれ以上考えることが億劫になったのかもしれない。残るはクロとブチヒゲだが、ブチヒゲは船には乗り込まないようである。動きの端々からそういう気配を感じられる。残ってせねばならぬことがあるようだ。クロが甲板に跳び移ると、間もなく彼方の茫洋に閃光が覗いた。瞬間景色に色彩がつき、ぬるくなった空気が辺りに染み出し始めた。やはり暑い一日になることだろう。


11/7

日が完全に沈むころには伊佐美屋の店内はむしろわずか明るく見えるようになってくる。目をこらさずとも、白毛がちな猫ならばぼんやりとした姿を薄暗闇ににじみ浮かばせている。伊佐美屋から道をはさんだ正面にはかつては盛況していたフェリー乗り場があるため、近くに二基ばかりの街灯が設置されている。行政機関が島内の人の出入りを正確に掌握していないのか、住民がいなくなった現在でも忘れ去られたようにその二つの街灯は夜がふけると律儀に黄色い光を落とし続けている。光量は少し弱くなってきており片方はときどきばちっと音を立てて明滅することもある。伊佐美屋の店内まで入り込む明かりは更に弱いが、とはいえさして激しい動きをするでもない猫どもにはたいした問題ではない。集まった猫どもは、息遣い、におい、視線、姿勢、隣の猫との間隔といったものを巧妙に調整しながら、周囲の仲間たちと自らの存在や意向を相互に確認しあっていた。例えば今夜のクロとブチヒゲとの間の距離は前脚を伸ばせば届くほどであったが、このことはクロもブチヒゲも心身ともに充実していることを示唆しているといった具合で、そういった機微が店内の至るところでやり取りされていた。

朝の船着場での集まりとは異なり、夜の伊佐美屋での集まりには島内のほとんどの猫が参加しているはずである。そのため店内にひしめく猫の数は多く、四五匹程度の減りならばにわかには判断がつかない。それでもやはり参加する仲間たちの数は夜な夜な減っているのではないだろうか。島内に残されている猫はもともと生活様式の半分ほどは野良であったものがほとんどであり、人間たちから餌をもらわなくなってもどうにかこうにか空腹を紛らわすことができてきていた。しかし、この状況がいったいいつまで続くのだろうかと心配でもある。狩りのうまくない猫、人間に飼われながらも島内から連れ出されなかった猫、体の弱い猫などはもとより、そもそも島内に棲息する猫が捕食できる動物の数が、クロたちの数に比べて少ないのではないだろうか。野良猫として生きながら狩りをすることがあったとはいえ、やはり島内の猫どもの食を支えていたのは漁のおこぼれだったのである。前脚をせっせと毛づくろいしながらクロは魚の記憶をたどっていた。人間たちがいなくなってからというもの、魚を口にしたおぼえはない。何度か停泊している船の中に入ってみたこともあるが、船の中に魚が棲息している気配もない。するとやはり、人間たちがやっていたように、船を海の奥の方にまで出さねばならぬのだろうか。前脚をなめていると、かつて魚をつかみ、食べていた記憶がよみがえってきた。魚を食べたい。かつてのように魚を大量に捕獲することができれば、憂鬱に餌を求めて島内をさまよう必要もなくなり、大勢の仲間たちとともに一日の大半を悠々と寝て暮らせるようになるのではないだろうか。毛づくろいを終えたクロが一息つくように寝そべると、それに合わせるようにして隣にいたブチヒゲも同じく姿勢を崩した。

しかし、どうやって船に乗って魚を獲ればいいのだろうか。クロとブチヒゲは寝転がった姿勢ながらも、慎重に薄暗闇に記憶と感覚を張り巡らせていた。確か、三毛猫のミケはよく船に乗せられて漁に着いていっていたはずである。漁師のだれかの飼い猫のようなものだったのかもしれないが、運気がよくなるとの理由で漁に連れられていたとの話も聞く。それならば、魚を獲る様子を多少なりとも知っているのではないか。ミケとはまだ仔猫のときに何度か同じ餌を食べるようなこともあったので、やつならば気心も知れていて話は簡単そうだ。チビも少なからず船に乗っていたような気がする。出航前の漁師にまとわりついていると、そのまま船まで乗せられることがときどきあったようである。そいつらに加えて、ほかに頼りになりそうなやつをいくらか引き連れていけばよいのではなかろうか。クロは何匹かの顔を頭に浮かべてみた。ブチヒゲもだいたい同じようなことを考えているに違いない。クロとブチヒゲの平時とは異なる気配を察してか、集まった猫どもは息を潜めながら神妙にしている。夜が更けて風がやむと店内には猫どもの体温も加えた熱気がこもり始める。一匹また一匹と、思い立ったようにひょこんと立ち上がって外へと散っていく。そうして、六匹の猫だけが店内に残って朝を迎えた。


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