前書いたやつ
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しかし、それにしたってメロスはそこまで非難されなければならぬのだろうか。
これほど長きにわたって人々に読み伝えられている作品の主役なのであるから、
やはり多少の難点はあれ、本質的にはメロスはいいやつだと思うのである。

だれにだって欠点はあるもので、もしそれが本人の努力では改善できない性質のものであるなら、
その欠点ばかりをしつこく指摘するのは悪趣味である。不毛だ。
指摘している本人はいい気分だろうが、メロスにとっては助言でもなんでもない、
単に不愉快になるだけの悪口を聞かされているだけである。
メロスは褒めて伸びるタイプなのではないだろうか。
些細な瑕など目をつむり、もっといいところを探して、
それを積極的に評価していくべきではないかと思う。

メロスの本当のすばらしさは決断力なのではないだろうか。
考えてもみて欲しい。いかに王が暴君といえど、
よその国の君主を成敗しようとするだろうか。
「ああ、この王が死ねば世の中はよくなるのに」と思うぐらいならば、
おそらく国民の大半が日常的にやってるだろうけれども、
「そんならいっちょやってやろうか」と、露ほどの迷いもなく、
やすやすとふんぎるところがメロスのすばらしさである。
見る前に跳ぶ。もちろんそれが常にいい結果を生むとはいえないが、
おうおうにして向こう見ずな決断力や実行力を人々は好むものだ。
たとえば坊ちゃんの主人公が好例だ。竹を割ったような人物なのだ。
このあたりの要素が、メロスを憎みきれない人物たらしめているのかもしれない。

それから、今生の別れに妹の結婚式に出席したいという理由で、
友人を人質に出すという決断力にも眼を見張るものがある。
並みの人間と、並みの人間がもつ並みの友人にはできないことだ。
常人であれば、何の関係もない人間の命を、自らの私利私欲のために、
勝手に利用してもいいのだろうかと迷うところだが、メロスはちがう。
自分の欲望には忠実である。やりたいことはやらずにはいられない。
このメロスが約束を破るはずがないという自信だってあったのだろう。
ここまで真っ直ぐに突き抜けるとむしろ気持ちがいい。
わたしたちはもっと単純に生きてもいいのだという、
何やらありがたい示唆を与えられているような気持ちすらわいてくる。

強固な自信、満ち溢れる正義感、ゆるぎない決断力、実行力、
それから、石工を友人にもつほどなのだから物の道理にも通じているはずだ。
これらを併せ持ったメロスがやるべき仕事となると、
やはり政治家あたりが適材適所なのではないだろうか。
ところが、冒頭にあるように「メロスには政治はわからぬ」そうなのである。
これがすべての不幸のはじまりであった。
メロスが政治にさとい人物であれば、あのような無謀はおかさなかったはずであるし、
セリヌンティウスだって無闇に命をはる必要だってなかったはずだ。

もしメロスが政治はわかる人物であったならば。
あくまで仮定の話だが、もともと創作なのであるし、
過去の歴史に学ぶことによって今後の過ちを避けるのが人間というものだ。
そういうことで考えれば、メロスは次期君主として立候補するべきだったと思うのである。
いやしかし、あの国が民主制なのか君主制なのかすらよくわからない。
それならば、しかるべき手続きを伴って武力で制圧すればよかったのだ。
もともと産業には活気のある国だったようなので統治する価値は十分にありそうだ。
また、王がメロスに放った刺客三人の不甲斐なさを考えれば、
兵士もごろつきどもの寄せ集め程度なのかもしれないし、
そうでないにせよ、まともな進言、諫言をするような優秀な臣下は
既に軒並み粛清されたようであるので、
現在の国力は非常に低下しているのではないかと期待される。

とはいえ、いかに王が暴君とはいえ、頼まれもしないのに、
他国を武力で制圧するのはあまり関心できたことではないし、
単身向こう見ずに王の命をねらうこともまたどうもぞっとしない。
メロスの実行力は認めるにしても、あとほんのわずかだけ思慮深くてもいいはずだ。
独断で突き進まずに、もっと周囲の意見を求めた上で、
虐げられている民衆たちをうまく扇動し、協力を取りつけ、
国民自らの手で王を除き、自由と平和を勝ち取るよう促すべきだったのだ。

かようにして絶対君主制が終わりを告げるとともに、
近代民主制がはじまるのが正しい歴史というものではなかろうか。
歴史的に見ても、人が走ったことで民主主義が発生した例など皆無である。
真に人々を王の暴政から救いたければ、メロスは走っている場合ではなく、
民衆らとともに敢然と反旗をひるがえすべきだったと思うのである。
これら一連の反乱が、後にメロスの乱として伝えられることになったといわれるが定かではない。


8/5

夏はメロスである。

ことしの夏も全国いたるところでメロスの偉業がたたえられたり、
あるいは、独善的で主観的な正義による悪行が非難されたりするだろうから、
それに合わせて改めてメロスの言動について考察してみたい。

メロスは正義感が強く、正直者で、人を疑うことが嫌いな人間であるといわれている。
それを端的に表しているのは次のメロスの発言だ。
(以下、引用はすべて青空文庫、『走れメロス』より)

>けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
(中略)
>「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」

わざわざ虚偽の内容を書いて読者を混乱させる必要もないはずであるから、
実際、メロスは正義感が強く、人を疑うことをよしとしない人物なのであろう。

ところが、上記のメロスの発言は、ほんの数行先、
舌の根も乾かぬうちにほかならぬメロス自身によって齟齬をきたす。

>暴君は落着いて呟(つぶや)き、ほっと溜息(ためいき)をついた。
>「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
>「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」
>こんどはメロスが嘲笑した。
>「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」

これは、メロスが王暗殺を企てて失敗した直後における、メロスと王との会話である。
一見すると自らの命の危険すらかえりみることなく、
敢然と暴君を糾弾する勇ましいメロスの姿が書かれているようであるが、
しかし、さきほど述べたように、メロスは人を疑うことは悪徳であると明言しているのだ。
であれば、当然、王の発言についても疑うことなく、額面どおり受け取るべきだったのだ。

つまり、メロスと王とのやりとりは以下のようにならなければ道理に合わないのである。

暴君は落着いて呟(つぶや)き、ほっと溜息(ためいき)をついた。
「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「なんと、王は平和を望んでいるのか。いや、これはわたしのはやとちりであった。」
「わかってくれればよいのだ。もう下がるがよい。」

しかしながら、既に十分周知のとおり、メロスは王の発言を一切信じることなく、
自らの独善的な予断と偏見のみに従い、王はわるいやつだと決めつけ、
あまつさえ、その命すらねらったというのだからおだやかでない。
自分は正義感が強い人間であるから、自分の一挙一動はすべて正義を伴っており、
であれば、自分の判断に過ちがあるはずがない、という、
もはや精神に異常をきたしているといっても
差し支えない思考にメロスはとらわれているのであろう。
メロスが疑わないものとは、人の心というよりも、
自分が信じているところの正義にもとづく事象なのだ。

物語ではメロスの暗殺は失敗に終わったけれども、
仮にこの暗殺が成功して、先王に代わりメロスが王座につき、
司法、立法、行政を正義の名のもとに掌握していたらどうなっていただろうか。

なにせ、自らの独断と偏見、予断と思い込みで、
身勝手に人を殺そうとするほどの男である。
こういうやつが人を裁こうとすると一大事だ。
だれもがメロスのように嘘をつかない人間であれば話はかんたんだが、
しかし、人間だれしも見栄や保身というものがあるので、
必ずしも真実をありのままに話すとは限らない。
その結果、互いに食い違う供述が行われるなど別段めずらしくもない。

「信号が青だったので交差点に進入したところ、
 赤信号を無視して進入した相手の車と衝突しました」

たとえば、交差点での交通事故において、
どちらも上記のような主張をしているとしたら、
いったいメロスはどういう判断を下すつもりなのだろうか。
また、可能性としては低いが、信号機の故障などによって、
両者の意見がどちらとも正しいという場合だってあり得る。
他人を疑うことを絶対にしないというのであれば、
この事件はどうやったって解決しない。
だれかが嘘をついている、または、かんちがいしている、
あるいは、何か見落としたことがあると疑ってかかるべきなのだ。

したがって、こういう場合は不確かな当事者の主張だけでなく、
客観的に揺るぎない物的証拠や、事件の利害関係から一切離れた
第三者の証言をもとにして、裏づけを行うべきなのである。

ところが、メロスはそういったこともしない。
ただとにかく自分の思い込みは絶対にまちがっていないと妄信して、
ほとんど無意味なわずかな主観的判断にもとづいて、重大な決定を下そうとする。
思い出してもみて欲しい。メロスは「街の活気がないような気がする」ことと、
「偶然出くわした身元も信用性も不確かな人物による証言」だけをもとに、
「王は問答無用で行きずりの旅人に殺されねばならぬほどの悪人」と決めつけるやつなのだ。
むしろ、物的証拠だとか物事の筋道だとか理屈だとかを提示しても、
「小ざかしい策を弄する卑劣漢」などと一方的に判断して、
「潔く罪を受けよ」などと、正義感あふれるしたり顔でいってきやしないだろうか。

こんなメロスが人を裁くことになれば、
「こやつは顔が悪人面である」とか、「態度が不遜だ」とか、
「人の目を見て話さない」とか、「近所での評判がよくない」とか、
全くほとんどメロスの腹具合ひとつで有罪、無罪が決められることだろう。
かような独裁の行く末、「あやつは謀反をたくらんでいた」とか、
「人の目を見て話さない」とか、「おれに意見する」などといいながら、
自らの判断の正しさを確信しながら、人々を平気で処刑するに決まっている。

なにせ相手は自らの正義のためであれば、
一国の君主を手にかけることすら躊躇しないやつである。
そうして無辜の人々の財産や生命を略奪してしまったとしても、
「これも正義のため。わしだって、平和を願っているのだが」などと平然とうそぶくことだろう。
そのとおり、これは紛れもなくほかならぬメロスが排除をたくらんだ、
かの邪知暴虐の王の言動そのものというわけである。

物語はメロスが無事に帰ってきて、王と友人を交えて、
手を取り合い、人の心の気高さや尊さに涙するところで終わるが、
果たして民衆に真の平和が訪れたかというとどうもそうではないようだ。

>「おまえらの望みは叶(かな)ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。
> 信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。
> どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」

なんということか、王はメロスの軍門に降ってしまったというのである。
これまでは頭のおかしい王ひとりだけによる支配体制だったが、
これからはメロスと王が協力して頭のおかしい支配体制を創っていくというのだ。
人々への搾取、弾圧、虐待、粛清はいっそう過酷なものとなるだろう。
民衆はメロスが妄信する正義に支配され、
夜のノックにおびえながら死んだように暮らすこととなるだろう。
走れメロス。メロスが駆けたあとには絶望だけが残されたのだ。


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