前書いたやつ
6/25

あさのテレビで、最近の若者は車を買わなくなったうんぬんという話をしてて、
「ふつう、若者は車とか好きなはず」といっていたけど、
しかし、当たり前だけど車が別段好きでないという人だって大勢いる。
たとえば、登山だとかスキューバダイビングだとか博打だとかいった趣味について、
必ずしも万人が好むとは限らないように、車の運転とか機械いじりとかだって、
嫌いというわけでなくともたいして興味や関心がない人もいると考えたほうが自然だ。

だいたい、車の所持、運用というのは非常にめんどくさいものである。
いや、そんなことはないぞという人もいるだろうけど、
しかし、めんどくささというのは多分に主観的なものであって、
本読みとかジョギングとかを疎み、厭う人がいるように、
車についてもめんどくささを遺憾なく発揮する人だっているのである。

とはいえ、何がそれほど面倒であるのかと考えてみると、
どうも自分の場合は責任がつきまとうのが嫌なようなのである。
何も機械の運転がまるっきり嫌いというわけではなくて、
たとえば遊園地でゴーカートをだらだらと無責任に運転したりとか、
そういうのはたのしそうな気がするのである。
また、電車やバスに乗車したりとか、そういうたのしみも理解できる。

ところが、車の運転というのはそんな無責任にできるものではなくて、
そりゃあもちろん遊園地のゴーカートだって安全を守る必要はあるけど、
比較の問題としては公道で自分の車を運転するときのほうが責任ははるかに大きい。
刑法とか民法とか道路交通法とか、そのあたりの深刻な存在が具体的に関与してくる。
できればそんなややこしい法律なんぞには、かかわらないでいたいというのが人情だろう。

車を所持するのも一苦労だ。もちろん金銭的な問題もあるのだけど、
それよりも、保守管理がすさまじくめんどくさそうでたまらない。
駐車スペースの確保とか、車検とか、ガソリンまだ大丈夫かなとか、
盗まれないかとか、傷がつかないかとか、どこからか変な音がするとか、
そういった心配を日常的に抱えながら生きていくことが、
どうしてもたのしそうだとは思えないのである。

車が近所のコンビニとかスーパーなんかで980円程度で購入できて、
燃えるごみに弊履のごとく出せるような代物ならともかく、
なにせ車というのは結構なお値段がする上に、
場所もとるし、処分にだって手間暇がかかる。
そんな厄介ごと、責任の塊、執着を抱え込むことが人生の重荷になり、
常にたのしからぬ気分を抱えながら日々を灰色に塗りつぶしていき、
失意のまま死ぬことになるのではないかという疑心を払拭できない。

車の運転というのはもろもろの責任が伴う業務のようなものであって、
個人的かつ無責任に行える趣味ならばおもしろかったものであっても、
仕事となったとたんに苦痛を伴うようになるというのは決して珍しいことではない。
運転のたのしさ、よろこびをコンセプトにする車というのもあるそうだけど、
どれだけ運転がたのしかろうが、車を保有して、公道を走ることそれ自体が苦痛である。
現在の車に求められる主題とは、少なくとも自分にとっては、
無責任、自分勝手、やりたい放題、といった概念だと思うのである。

それに、最近の世の趨勢は環境問題への取組みであるから、
車を使わないということは実にけっこうなことである。
何も、単なる無気力、無責任から車を購入しないのではないのだ。
というようないいわけを最近はしやすくなったのでらくなものだ。

ついでに、最近の若者は自分の家でお酒を飲まなくなったという話もあったけど、
それもやはり責任が伴うということとつながっていて、
泥酔、前後不覚、人事不省に陥り、理性不明瞭なる状態で、
何か不可逆的なことをやらかさないかとかそういうことではなく、
自分の場合はごみが出るのがめんどくさいということに尽きる。

アルコール飲料の多くは瓶や缶に入っていることが多いのだけど、
空き瓶、空き缶というのは資源ごみに出す必要があり、
そして、資源ごみというのはだいたい1ヶ月に1度しか回収しない。
ということは、平均すると2週間ぐらいはごみを出すことができないわけであって、
すなわち、2週間ものあいだ、部屋に空き瓶、空き缶が存在することとなる。
空き瓶や空き缶を見るたびに、いや、たとえ視界に入らなくとも思うだけで、
捨てねばならぬ、といったふうにいちいち心を痛めなければならないのである。
これが精神的に多大な苦痛を伴うこととなるので、自分は部屋でお酒を飲まない。

更に、お酒は放置しているとそこに虫がよってきやすいそうであり、
それを避けるためには、飲み終わったら直ちに空き瓶、空き缶を水洗いする必要がある。
しかし、これが実にめんどくさい。やるせない、むなしくなる。
パーティー会場に散らばったクラッカーの中身を独り掃除するような悲哀を感ずる。
洗浄作業など、しらふですらめんどうだというのに、酩酊状態ともなればなおのことだ。
また、酩酊状態で歯を磨くのも面倒であるし、夜中にトイレに立つのも面倒でたまらない。

それらの問題をすべて解決したアルコール飲料、
容器はすすがずに燃えるごみでいいし、飲めば歯磨きしなくてすむし、
排尿をうながさないし、次の日のあさの目覚めもすっきりさわやか、
というような商品が出ればよろこんで常飲するかもしれないけど、
おそらくきわめて人工的な代物になることは容易に想像できるわけで、
味や健康面においておおいに不安があり、現実的に期待できない。

しかし、趣味のひとつやふたつぐらい持つべきであることは確かで、
果たして自分のような無責任を人生の規範として生きる人間が、
大過なく実施できる趣味などあるのだろうかと探してみたところ、
どうやら植物栽培や盆栽いじりならできるのではないかと考えられる。

まず、自分のペースで好き勝手にできそうなところがよい。
もちろん草木には育てるタイミングだのなんだのはあるだろうけど、
ひとりで自分の部屋で育てる限りは、法に触れない種類の草木でない限り、
好きなものを好きなように育てられるし、
高度な運動能力や技能などもほとんど要求されない。

それから、草木は餌をよこせと吠え立てることもないし、排泄物で困らなければ、
散歩の必要もなく、目を離した隙に逐電したりする心配もない。
また、あくまで程度の問題としてであるが、不本意に枯らしてしまったとしても、
イヌやネコを死なせたときよりは罪悪感にさいなまれないで済みそうな気がする。

何よりも植物栽培なら無責任な人間にもできるのではないかと考えたのは、
ある園芸肥料に記されているらしい次の一文を思い出したからである。

「用途:家庭菜園、ガーデニング、植木等」

ただし、植木等氏は実生活では大変まじめな方だったことには注意したい。
となると、やっぱり植物栽培も自分にはあまり向かないような気がしてきた。


6/9

自分はタバコを吸わないし吸う予定や希望も特にないのだけど、
タスポというものがいったいどんなものなのか手に取って見てみたいと思い、
作成が無料である、発行料金はおろか書類郵送の料金すらJT持ちである、
お遣いでタバコを買ってきてと頼まれることがあるかもしれない、
車でもなんでもオプションが多いほど高級な扱いであるから、
特に意味はないにしても携行品が増えるのはけっこうなことである、
加えて、ちょうど使わない証明写真が大量に余っていた、
といった理由から、試しに注文してみたら10日ぐらいで届いた。

ネットなんかでちょろと調べた感想としては、
もちろん世の中にはタスポの存在について、
別にどうでもいいやと考える喫煙者も大勢いると思うのだけど、
不快に思う人はまあまあないしかなりいるようだ。
手続きが面倒である、個人情報を管理されるのが業腹である、
官と大企業による利権そのものであり搾取の典型である、
というようなことが主な理由らしい。

けど、自分が手続きした感想ではたいして面倒ではなかった。
申込用紙を印刷して(タバコ販売店の店頭でも頒布しているらしい)、
必要事項を記載して、顔写真を貼って、免許証や住民票のコピーを貼って、
それをJTに郵送するだけで手続きは終わる。かなり多く見積もっても半日程度だ。
とはいえ、顔写真を用意するのが若干面倒かもしれないので、
JTは完全に電子的な手続きで処理を行えるようにしたほうがいいとは思う。

個人的には上記のようにことさらに面倒ではないという認識なのだけど、
しかし、世の中にはいわゆる事務手続きというものを非常に嫌う人もいて、
そんな煩雑な手続きを面倒だと感じないということはすなわち、
去勢されてよだれを垂れ流す飼い慣らされた家畜のようなものであり、
これだからタバコも吸わないようなやつはかなわん、
人間的に浅い、反骨精神がない、幼稚、有り体にいってばかである、
というようなことを主張する人もいる。
いやもちろん、タスポをおもしろがってる喫煙者もいるけど。

顔写真や住所といった個人情報を登録して、あまつさえ、
会員番号のようなものを割り当てられることに強い反発を示すらしいのである。
たしかに、世の中には番号を割り振られることに不快感を示す人がいる。
管理されたり監視されたりということに対して著しい嫌悪感を持っているようで、
まあそういう感覚は程度の差こそあれだれだって持っているものであるし、
社会秩序や公共の福祉に対して憂慮せざるを得ない、
人々に脅威を及ぼす価値観というわけでもないので特によしあしは思わない。

また、個人情報の保護だとか市民の権利だとかを声高に唱える人というのも、
疲れそうだ、面倒な生きかたである、本人には損が多いのでは、と思う反面、
やはり世の中にはそういう人が一定数必要なような気もするので、
それはそれで正々堂々、正面切って反対していって欲しいとも思う。

タスポ導入の目的は未成年者の喫煙防止らしいけど、
その目的に対して全く効果的でなく無駄であるという理由で嫌う人もいる。
実際、タスポで未成年者の喫煙を駆逐できるかというとどうも無理そうに思えて、
そりゃまあ、店頭で購入できない気弱な未成年者なんかは排除することはできるだろうけど、
このご時世、強く出られれば店員だって命が惜しいから店頭でも販売してしまいそうだ。
もし自分が店員だとすれば、ちょっと脅されればまちがいなくそうしてしまう。

それに、タスポの運用がどうやらかなりずさんなようなので、
導入にかかった費用のわりには、劇的な効果は期待できないように思えてならない。
何年か経ってから統計を取らないことにはなんともいえないけど、
しかし、この手の統計をまともに取れるとは到底思えないので、
結局タスポについて正しく評価することはほとんどだれにもできない。

そもそも、だれがこれなる仕組みを発案し、導入に至ったのだろうか。
JTのウェブサイトによれば、タスポの運営にかかわっている団体は、
日本たばこ協会、全国たばこ販売協同組合連合会、日本自動販売機工業会、
の三つであるらしい。JT(日本たばこ産業)はかかわっていないようにも見えるけど、
日本たばこ協会の役員としてJTの理事が入っているようなので、
憶測だけど影響はあると考えたほうが自然だろう。

では、これらのタバコに深く関連した団体の責任者の方々は、
本心から未成年者の喫煙を防止すべく、タスポを導入したのだろうか。
口さがない人は効果がないことを承知の上で利権を目的として導入したと噂するけど、
もちろんくだんの団体のウェブサイトを見てもそんなことは書いていない。
こればかりはひとの心のことであるから確かめようがない。

とはいえ、いかに崇高な使命にもとづいてこの制度をはじめたにせよ、
すこぶる評判がわるく、効果を挙げていない現状を鑑みれば、
喫煙者らは団結して責任の所在を明らかにするとともに、
厳しく糾弾すべきなのではないだろうか。

タスポ導入は禁煙を強要する社会がわるいのだという人もいるけど、
しかしながら、タスポを導入したのは紛れもなくタバコ関連の団体である。
もし、タスポ導入に絡んで、喫煙者から得た血肉にも等しい貴重なお金を用いて、
不当に私腹を肥やしているということがあるのならば、
当然その鬼畜にもとる所業を正すべく鉄槌を下ろすべきであるし、
本心から人々のためを思ってやったことだとしても、
一連の計画の失敗に対する相応の落とし前はつけてもらわねばならぬだろう。
いや、外部からの圧力のために導入せざるを得なかったのだと考える人もいるだろうけど、
そうだとしても、圧力にやすやすと屈するような軟弱な経営姿勢では困るのである。

喫煙者は国にではなくJTとその団体にもっと怒るべきではないのだろうか。
もし、JTがもっとしっかりしていれば、効果的なロビー活動を行い、
万人を虜にし得る広告戦略を編み出し、よりよい世論を形成し、
時代の変化と人々の要求に柔軟に対応してきていれば、
現在のような目を覆わんばかりの惨状は招かなかったはずなのだ。
それを、専売であることと喫煙者らの依存心にあぐらをかき、
経営努力を怠り、無為無策に漫然と経営を続けていたがために、
喫煙者らは不当に迫害され、搾取される事態に陥ってしまったのである。

図らずもタスポという仕組みはその構造を露呈するものとなったのである。
喫煙者らは自らを取り巻く現在の環境の根本的な改善を求めるべく、
利権の温床たるJT、のみならず世界中のタバコ関連団体に対して、
敢然と要求を訴え、場合によっては彼らが独占的に販売している商品の不買運動、
すなわち、禁煙の断行すら辞さぬ覚悟を持たねばならぬといえよう。
そのためなら、非喫煙者の人々だって協力を惜しまないだろう。

人は、何より自由を尊び、権力による不当な搾取や桎梏を蔑み、
自らの犠牲を省みることなくこれを打ち砕いていかねばならぬのである。
これは私憤ではなくもはや義憤であるといってもよい。
以上のような信念にもとづき、自分は非喫煙者という立場から、
禁煙を行っているものであると理解していただいて差し支えない。
タスポが、喫煙者と非喫煙者とがよりよい社会のために、
手を取り合い、共闘するきっかけとなることを願ってやまない。


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