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クローン病闘病記
 私は、そう、あれは昭和が終わり、平成になった年にクローン病であると診断されました。
(最初のうちはあの大きなサラゾピリン錠を飲んでいました)

 それからというもの、つらくて長いクローン病との闘病の生活が始まりました。診断された後しばらくはそう最初の一年ほとは、トイレへ行く回数が多かったのと時々腹痛がする程度だったので普通に通勤できていました。しかし、あるとき、一番最初の耐えがたい痛みが襲ってきました。そして、最初の入院。それは私にとって初めての絶食で若かった私にとって非常につらいものでした。(点滴だけで二週間ほど)
 それから、本格的な長い長いクローン病との闘病の生活が始まりました。
 最初の絶食入院から半年ほどは多少の痛みがあっただけで、定期的な通院で特に仕事に支障はなかったのですが、そう、あれは90年代になった年から、何にも形容しがたいような、地獄の苦しみが私を襲うようになりました。 クローン病がついにその本当の正体をあらわし始めたのです。それは私が経験した苦しみの中でも他にはない苦しみでした。(私は当事を振り返って地獄の苦しみとはこういうのを言うのだと思い返します。)

 そして、とうとう固形物=つまり飲み物状の栄養剤以外は受け付けなくなったのです。それはまだ20代前半だった私には非常につらいことでした。 (栄養剤は最初はクリニミールでした)

 そして2度、3度と入退院を繰り返したのです。

 その時期はとても仕事なんかできなかったし、ましてや普通の通勤の仕事などできるようになるとは思ってもいませんでした。

 そして何度めかの 入院の時とうとう口から栄養剤を飲む事も困難になり、鼻から管を通して胃、腸に栄養剤を直接流さなければならなくなりました(ED)。その最初に管を入れたときの気持の悪さは今でも忘れられません。                                  

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 そして、自宅でもその栄養剤療法をする必要が出てきて、自分でその鼻管を通す必要が出てきました。そしてなんとか自分で鼻管を通す事ができるようになりました。
(もちろん、いまでもそれはできますが、みなさんはそれをして見せると驚かれます。その時の栄養剤はエレンタールです。 )         


 そして、来るべき時がついにやってきたました。
 栄養剤も通らなくなってしまったのです。(完全中心静脈栄養法IVH開始

 そして、あれはサッカーW杯アメリカ大会のあった頃、手術を受けました。
 麻酔をかけてもらった時の意識が白く消えてしまうような感覚、術後の痛みがひどく痛み止めを打ってもらって頭の中にメリーゴーランドのようなものが回りだした感覚等、今でもはっきり憶えています。         
 そして手術は無事成功ました。
 その後、徐々にエレンタール100%の経腸栄養療法から、徐々に普通の食事を増やしていき、エンシュアリキッドと普通の食事にし、ついには100%普通の食事に戻すことに成功し(段階的食事療法)、なんとか普通に働くことができるようになりました。

手術するまでに私は先生や看護婦さんたちと友達のような信頼をかちとっていました。 そして先生や看護婦さんにも自分の意見をはっきり言って治療してもらえるようになっていました。そして治療法等素直にしたがいました。 
 そして、何よりも私は病気を治して、人並みの恋愛をし、普通に食べたいという強い気持になれました。そしてそれがこの病気に立ち向かう最も大事なことだと思います。 
 しかしながら、この病気は気を抜いてはいけないのです。その後も医療機関での管理を欠かしてはいけません。数年後、私は違う角度でこの病気の怖さを知ることになったのです。

                 
 (終わり) 

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