誕生


世の中がまだ高度経済成長の中、やっとカラーテレビが出回りだした頃、私は母の実家の畳の上で産声をあげずに生まれた。産声がないので、叩かれてやっと息を吹き返して、大変弱弱しく産声をあげたのである。
 実は私は母のおなかの中にいるときに、へその緒が首や頭に巻きついていたのである。そのせいか、私は生まれつき頭の形に左右ゆがみがあるのである。そのせいかどうか、確かなところはわからないのだが(私がそれがかなり影響していると思っているのだが)後々かなりのいじめにあうことになったと思っている。そして、もしかしたら、現在の生き方に少なくともかなりの影響を及ぼしているに違いない・・・。その首に巻きついていたへその緒のために相当な期間、整体に通って直してもらったそうである。


幼稚園時代


私はこの時代、幼い子がよくかかる病気にはほとんどかかっている。
そして、同世代の子供たちと外で遊ぶことはほとんどなく、ひとりで絵を書いたりしていることが多かったのだが、それは多分に私の生まれついての体の弱さとは無関係ではないだろうと思っている。
 幼稚園にはいつも周囲の子との遊び方がよくわからなくって、おそるおそる通っていたのを覚えている。
 この頃から、病院の記憶のほうが何よりも鮮明に残っている。ほんとに体が弱かったのだ。
 あと、土曜日はいつも決まって、祖母の家に泊まりに行ったものである。かなりのおばーさんっ子だった。


小学校入学・・・いじめらっれっこ


 小学生低学年の頃、私は男の子がするような活発な遊びをどうしても、できなかったし、決まって女の子たちとままごとのような遊びをしていたのをよく覚えている。
まー、ままごととは言っても、ただの泥遊びなのだが、どうしても体いっぱいを使って走り回るなんて、病弱だったせいもあるかもしれないが、できなかった。
(大抵の普通の人がかかる大病(=水疱瘡、おたふく風邪等々)にはかかったし、扁桃腺も切った)
 しかしながら、私の生まれた土地というのは伝統的な文化がまだまだ強く残っていて(例えば、男の子は夏休みになると毎晩、まわし一枚で公民館単位での相撲の練習行事があったりした。)しかも、父親が厳しかったので、気持ちとは裏腹なところに参加せざるを得なかった。そして、学校でも、そういう土地柄、特に男の子は強くたくましくあり、女性よりもえらいんだ・・・というような風潮が強かった。
 当然、その当時病弱で、しかもかなりなよなよした私が格好のいじめの標的になったのはいうまでもない。よく、泣いて家に帰ったのを覚えている。


私にもやがて、思春期の時期が訪れ、中学生になった。
しかしながら、私は早生まれだったせいか、体格も他の同級生に劣っていて、体育や朝礼の時など、前から数えて、2−3人目だったくらい、小柄なほうだった。
 そして、その頃、ある同級生に目をつけられて、事あるごとにいじめられていた。
 その同級生は私からみると非常に体格がよくて、怖くて、すごく大人に見えた。
 校舎の窓から、突き落とされる真似をされたり、あと、「ジュース買ってこい!」などの小遣いはいつものことであり、ある時はかつあげされた事もあった。そんな感じだったので、自然と私は学校という空間では、自分らしさを封印する癖をつけてしまっていた。だから、私にとっての中学生時代は真っ暗な時代だったのである。
 そんな中学生時代に私は母の化粧道具をこっそり使い、下手ながらも始めての化粧をしたのである。化粧したのはほんのわずかな時間ではあったが、その時間だけはほんとに自分らしさを取り戻す事ができたように、感じたのである。
 もしかしたら、それが初めて私が自分の女性の部分に気づいた瞬間だったのかもしれない。