”GOLDEN BOY”オスカー・デラホーヤ

ブラウン管越しに見たのは、予想以上の光景でした。
ゴールデンボーイの異名をとる23歳に、よけられる。打たれる。圧倒される。
切り裂かれた左目、潰された鼻。そこから流れる信じられないほどの出血で、体中が赤く汚れる。

ズタズタにされた33歳の名前はフリオ・セサール・チャベス。
デビュー以来休みなく戦い続け、怒濤の89連勝。100戦目を迎える今日まで、わずかに1敗1分。
メキシコの英雄、ピープルズチャンピオン、彼はそんなボクサー。

そのチャベスを打ちのめしたゴールデンボーイの正体が、オスカー・デラホーヤ。
記念すべき100戦目で、しかしチャベスはわずか4Rで血まみれという屈辱的な結果。

チャベスは、デラホーヤのために用意されたボクサーだったのでしょうか。

1Rからこの出血自分の帰るコーナーもわからないチャベス4R、ついにレフェリーストップ

なかなか更新されないSSBですが、そのSSB第三の男、それがオスカー・デラホーヤです。

両親はメキシコからの移民=ヒスパニックで、アメリカで生まれたデラホーヤも国籍こそアメリカですが肉体的には100%のメキシコ人です。 デラホーヤのようにアメリカ生まれのヒスパニックはその中でも特に「チカニト」とか「チカノ」と呼ばれるそうで。

チャベスに勝ったデラホーヤ
ちなみに「オスカー・デラホーヤ」の「デラホーヤ」は「de la hoya」と書くそうで、「de la」は英語で言うところの「of the」に相当するモノだそうです。つまり正確には「オスカー・デラホーヤ」ではなく「オスカー・デ・ラ・ホーヤ」が正しいのですね。
日本のボクシングファンの間では略して「デラ、デラ」と呼ばれる彼ですがこれって本当は「of the、of the」といってるようなモノで、本当はおかしいんですよね。
でもここはメキシコでもアメリカでもないですし、日本では「デラ」が正解なのです。

アメリカではモハメド・アリに始まって5階級制覇のシュガー・レイ・レナード、45歳で20年ぶりに王座に返り咲いたジョージ・フォアマン等、歴史に名を残すスーパースター達は大抵オリンピックで金メダルを獲っています。
ですからアメリカにおいて「オリンピックに出て金メダル獲得」というのはスターになるための第一条件という風潮があります。日本で言えば甲子園に出場して、巨人にドラフト一位指名されるようなモノでしょうか。
19でバルセロナオリンピックに出場し、ボクシング勢の中で唯一金メダルを獲得したデラホーヤは、ですからあらかじめスターになることを約束されたような選手でした。
米国でもドン・キングの向こうを張るプロモーター、ボブ・アラムに破格の契約金をもらい、6回戦にもかかわらずデビュー戦がメインイベントにされる程の期待ぶり。

デラホーヤがプロ入りする際に掲げた目標は、それまでの記録を上回る前人未踏の6階級制覇(デラの場合、Jライト、ライト、Jウェルター、ウェルター、Jミドル、ミドル)。それを26歳までに達成し、「ファンに衰えた自分を見せたくないから」と無敗のまま最盛期に引退。
その後は大学に入り直し、建築学を勉強して両親に自分で建てた家をプレゼントするのだそうです。「ボクシングを終えたあとは建築家として有名になりたい」とか。

「ゴールデンボーイ」の異名は言うまでもなく唯一金メダルを獲ったところからつけられたモノですが、デラホーヤはその名に違わぬエリートぶりを発揮します。
ジンミ・ブレダルをKO
ホルヘ・パエスは2Rで陥落
92年11月、ラマー・ウィリアムズを1RでKOしたのを皮切りに94年3月、ジンミ・ブレダルを10RTKOでWBOJライト級王座を獲得。
同年7月には軽業師ホルヘ・パエスを2RでKOしてWBOライト級王座を獲得。95年にラファエル・ルエラスとの統一戦でWBOに加えIBFのライト級王座も手に入れ、9月には一階級下の名王者ヘナロ・エルナンデスの挑戦も退けます。
96年に一時は現役最強とまで言われたメキシコの英雄フリオ・セサール・チャベスを4Rで血まみれにしWBCJウェルター級王座を獲得。その初防衛戦ではライト級で10度王座を防衛したミゲル・アンヘル・ゴンザレスに左一本で判定勝ち。ズタズタに切り裂くような左ジャブは、未だに印象に残ってます。
97年にはさらに階級をあげ、アンタッチャブル(触れることができない)の異名を持つ変則的なディフェンスの名手、4階級制覇のパーネル・ウィテカに挑戦。巧みに攻撃をかわされますが、攻めに攻めて判定勝ち。そうして4階級を制覇したあとは往年のスピードスター、へクター・カマチョとの防衛戦に圧勝。ウィテカを苦しめたウィルフレド・リベラとの試合にも危なげなく勝利し、今やボクシング界を支える屋台骨にまで成長しました。

様々なトレーナーから技術を吸収しては、その都度また新しいトレーナーを招くデラホーヤは非常に吸収力の優れたボクサーだそうです。
「攻撃力がUPしたら防御が出来なくなった」ということがよくあるようですが、デラホーヤはそういうことがない。一戦ごとに改良し、成長する。いい意味で非常に貪欲で、我の強いボクサーです。

デビュー当初のデラホーヤを見て驚くのは、今現在の彼との体格の違いです。
Jライト(59.0s)でデビューして現在はウェルター(66.7s)ですからリング上での体重差は約8s。リング上のボクサーの体には余分な脂肪などなく全て筋肉ですから、デラホーヤは最後の試合の97年までの5年間で8sも筋肉をつけたことになります。
階級(体重)が上がればそれだけスピードが落ち、動きにキレがなくなるボクサーが多い中で、デラホーヤは短期間で急激にウェイトを上げたにも関わらず、スピードやキレが落ちていません。
食事やトレーニングメニューを徹底的に管理した科学トレーニングを行うことによって、スピードを落とさずウェイトを上げることに成功したのだそうです。(このトレーニングメニューはアメリカのフィットネス雑誌に紹介されたそうで、ボクサーとしては異例のことだそうです)
これがデビュー当初のデラ最新の試合のデラ。
体がふた周りほど大きくなってるのがわかるでしょうか

元々の素質に加え、そういう努力を重ねることによって今や全世界が注目するほどのボクサーになったデラホーヤですが、彼には多くのアンチファンも存在します。ちなみに僕もその一人です。
それは何故でしょう。

確かにデラホーヤは強いし、実績のある選手達を倒してきました。それは認めるのですが、デラホーヤは常に「そのクラスで最強」とされる王者との対戦が実現しないのです。
ライト級の時はロシア出身のサウスポー、オルズベック・ナザロフ。
Jウェルターの時は同じくロシア出身の、獣のような勘と獰猛な攻撃力を誇るコンスタンチン・ツー。
そして現在いるウェルター級では”バズーカ”の異名をとるWBA王者アイク・クォーティー、IBFのKOアーティスト、フェリックス・トリニダード・・・。
彼らとの試合はまだ実現していません。一説に寄れば次の指名戦をクリアしたらさらにまた階級をあげるとか。

チャベスやウィテカは最強といわれたボクサーでしたが、既に30歳を越え、ボクサーとしての能力は下り坂に向かっていました。(ウィテカ戦ではウィテカが勝ってたという見方もあります)
ヘナロやゴンザレスは元々下の階級の選手で、デラホーヤと戦ったときの階級が彼らにとってナチュラルなモノだったかどうか、という疑問もなきしにもあらずです。(もちろんデラホーヤも階級を上げて行ってるのですから、その意味では同条件なのですが)

これだけの強豪を短期間に破ってきたデラホーヤは、確かに素晴らしいボクサーのですが、どれも「順当に行けばまずデラホーヤが勝つ」と予想できる試合が殆どでした。
「このボクサーと戦ったらどっちが勝つかわからない」というような試合は、まだ見せてないのです。

「’90年代のレナード」と称されることの多いデラホーヤですが、レナードのいた「黄金の80年代」を再現するには自分と同等の実力を持つライバル達との名拳譜が必須条件でしょう。
恵まれていることに、現在彼の居るウェルター級には史上でも1,2を争うほど密度の濃い才能が集まり、想像するだけでワクワクするようなカードが幾らでも作れます。

嬉しいことに以前までは「26歳で引退」といっていたデラホーヤはここに来て「29歳まではリングに上がりたい」といい、(98年の)「12月にはクォーティーとウィテカ戦の勝者との試合になるだろう」といっています。
また、6階級制覇からひとつ増やして7階級制覇を目指すとも。

ボクシングというスポーツをひとつのビジネスとしてみた場合、やる気はあっても金銭面の折り合いや試合を中継するTV局の絡みなどで実現しないことはよくあります。
ですからこの言葉をそのまま鵜呑みにするわけには行きませんが、何とも嬉しくなる発言とは思えないでしょうか。

少なくともアイク・クォーティー、フェリックス・トリニダードとの試合だけは実現してもらわないと、ファンとしては納得が行かないのです。
デラホーヤは女性にもモテモテです。アンチ派を増やす原因でしょうか

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