薩摩半島半周の旅
      
                     平成20年5月25日(日)

  
全九州3日間バスのチケット
 SUNQパス(3日間全九州バス乗り放題切符)
 

  伊集院から枕崎迄通っていた鹿児島交通線が廃線になって20年以上経った。それ以降移動の手段は自家用車が主で公共交通機関とりわけ鉄道に乗るのは皆無になっている。車は便利であるが運転中は景色をゆっくり楽しるわけでもなく、目的地まで辿り着くまでのワクワク感も乏しい。さらに致命的な欠陥は酒類を飲めないことである。(^_^;)

 常々球磨の鉄人nobuさんにも触発され、鉄路を利用し焼酎をちびちびやりながら小旅行に出たいと願っていたのだが、予期せぬ好機到来があったのである。23日24日の両日、カミさんがSUNQパス(3日間1万円全九州バス乗り放題)の切符で佐賀及び福岡の愚息を訪ね、最終日の1日を遊ばすのは勿体ないと言うことで、私がこの切符と指宿枕崎線を利用して薩摩半島半周一人旅に出ることになった。\(^O^)/
 

枕崎行きバス
 枕崎行きの鹿児島交通バス南鉄線
  12:00、加世田出発。
 鹿児島交通バス南鉄線(伊集院枕崎線)に乗り込み一路枕崎へ。乗客は4〜5人ほどいただろうか。
 途中JA葬祭前でテニスの部活帰りらしい高校生が5名ほど乗り込んでくる。
ここでバス最前列に陣取り先日ジョギングで走ったことを思い出しながら車窓の風景を堪能する。
 車では何度も観た陳腐な風景なのだが、バスのフロントガラスを通して高い位置から見るとまた新鮮であり人の暮らしや集落の佇まいなど様々なことが連想させられる。
 
本坊酒造工場
 本坊酒造の古い工場と新しい原酒タンク。
   
  
 バスは15分ほどで津貫に着いた。
本坊酒造の工場が左手に見える。小学生の頃、枕崎への遠足途中ジーゼルカーの窓から見えるこの工場の威容に、加世田にはこんなに大きく立派な工場があるのだと誇らしい気分になったものである。

 バスは枕崎市街に入る前に国道270号を離れ桜山の町に入り、それから花渡川沿いに市街地に入った。このころ曇り空が明るくなり日差しも出てた。枕崎は南に開けた港町、明るい日差しがよく似合う。

  

枕崎市街地
 枕崎市の駅前通。シャッター通りになっている。(-ー;)

  12:40、枕崎到着。
 列車の発車まで時間があるので、市街地の散策に出かける。
駅前通のアーケードは取り外され、田舎町のご多分に漏れず商店街の殆どの家屋はシャッターが下され人通りも殆ど無かった。鰹節や干物の臭いが町中に漂った昔の枕崎の賑わいを知る者としては寂しい限りである。

 で、酒屋を探したのだが見当たらず、やむなくバス停横のタイヨーに飛び込み16度の「薩摩白波みなみカップ」を購入。(^^ゞ


  
枕崎駅
 新しい枕崎無人駅舎
  
 鹿児島交通と国鉄が同居していた昔の枕崎駅舎は、この土地がタイヨーに売却されると共に取り壊され、100m程南の位置にJRの新しい無人駅が作られた。
そしてそこには「日本最南端始発・終着駅」と記されており、侘びしい佇まいの無人駅が売り込みようによっては結構貴重な観光資源になるのではないか。
 そうこうしている間に2両編成の下り列車が警笛を鳴らしながらプラットホームに滑り込んできた。
  
始発終着駅
 駅舎の看板。日本最南端始発・終着駅が光る!
  

13:39、枕崎発。
  車両は2両編成のワンマンカー。無人駅では一両目のドアーしか開かない。
一両目右側(海側)の座席に座った。乗客は一両目には3〜4人しかいなかったような気がする。走り出して直ぐに枕崎港や湾の景色に見とれるが、開けたかと思うと家屋が邪魔になりなかなか上手いシャッターチャンスがない。その内比較的長いトンネルに入ってしまった。
 鉄路は伊座敷白沢を経て薩摩塩屋松ヶ浦と旧知覧町を通過する。旧南鉄中央線(金峰町阿多駅〜知覧駅)が廃止されて40年以上経つが、旧知覧町に鉄道の駅が残っていることに新鮮な驚きを感じる。
 
水成川駅から佐多宗二商店
 水成川駅より佐多宗二商店新工場を望む
 

 旧頴娃町に入り頴娃大川駅次ぎに車窓に佐多宗二商店の新築の工場が目の前に迫った所で水成川駅に止まる。昨夜城山観光ホテルで催された佐多宗二商店の創立百周年祝賀会に出席して、脈々と続く偉業に接したばかりなので、白い蔵を仰ぎ見るのも感慨深い。

 列車は線路脇からはみ出した樹や竹の枝等から車腹や車窓を散々に叩かれ、時に深い峡谷の如き鉄橋を渡り、結構な速度で走っている。
  ここまで走った印象は景色の良さもさることながら、まるでジャングルの中を走る鉄道のようで、実にスリルがあって楽しい。

御領と大野岳
 御領駅から大野岳を望む
 
 そして路線の整備はあまり思わしくないのだろうか、激しく捻れるような横揺れにかつての鹿児島交通線を思い出し、少年の頃の乗り物酔いの悪夢が蘇る。それを打ち消そうと持参した二合ペットから猪口になっているキャップに焼酎を注ごうとしたときに、惨めにも床にぶちまけてしまった。 アル中のおんじょが列車の中で焼酎を溢して車中臭いなんて後ろ指を指されないよう慌ててティッシュで床を拭く羽目に・・・。(-ー;)
 それ以降はキャップに注がず、ラッパ飲みすることに・・・(こっちの方がよっぽど危ない人に見られたかも)。

西頴娃
 西頴娃駅に入ってくる下り列車
 
  水成川、そして石垣を過ぎる辺りから車窓はジャングルから唐芋畑が広がるのどかな田園風景に変わり、御領に到着した。遠くに先月登山マラソンを走った大野岳が見えた。

 列車は西頴娃で下り列車離合のため4分間停車することに。今迄停車した駅では乗降客は殆ど無かったが、この駅では結構な数の乗客(と言っても一桁台ではあるが)が乗り込み、また離合した下り列車からも結構な客が降りてきた。ここら当たりからは鉄道も住民の足として生きているのだろう。

開聞岳
 開聞駅の手前から開聞岳を望む

 列車は頴娃入野を過ぎ開聞岳に近づく。車窓に大きくなる開聞岳を見つけてはシャッターを切ろうとするのだが、車窓の風景は刻一刻と変わりじっと止まってはくれない。シャッターチャンスとばかりに適当にシャッターを切った直後に秀麗な姿が目に入り、再度シャッターを押そうとするが、カメラは即座には反応せず、風景は彼方に走り去っている。結局本路線の主役の一つ迫り来る開聞岳のいい絵は撮れなかったが、この素晴らしい光景は独り占めでも良いかなとも思う。
 開聞では登山帰りの中高年男性が2名乗り込んできた。
 
西大山駅
 日本最南端の駅の碑と開聞岳
  
  
 列車はビニールハウスや温室が目立つ田園風景の中を走り、日本最南端駅である西大山に2分停車した。乗客が記念撮影を出来るための配慮である。民営化後なかなか心のこもったサービスもやるようになったではないか。
  この駅はこの路線の中では最も有名なポイントであり列車以外でも訪れる人も多いと聞く。さらにボランティアーで湯茶のサービスをやる夫婦の話題が新聞に載っていたが、上り列車のためか、それらしき人影は見当たらなかった。

  
竹山と地熱発電所
 竹山と地熱発電所。遠くに大隅半島南部を望む
  

 大山を過ぎると進行方向右手に錦江湾及び大隅半島南部が見えてくる。そして手前には1月第2日曜日に開催されるいぶすき菜の花マラソンのコース近くにある竹山の奇岩と地熱発電所が現れる。

 この頃には持参した2合ペット焼酎はすっかり空になってしまった。(-ー;)
列車は山川駅のホームに入った。案内によると山川駅は日本最南端有人駅であり、初めて2両全部の扉が開いた。
山川港
 天然の良港山川港とマラソンで苦しめられる登り坂


 ここでしばらく時間調整をした後、列車は山川港沿いの急坂を登る。眼下の国道は菜の花マラソンの35km過ぎの地点で、過去3回はこの長い坂を走る気力失せていずれも敗残兵の如く歩いた。来年こそは元気に駆け登りたいものだ。(^_^;)
 14:38、指宿着。
 14:39、指宿発

 指宿で鹿児島中央駅行き3両編成特快なのはなDX8号に乗り換え、更に北上を続ける。車内で枕崎から谷山までの乗車券を購入。1,600円だった。
薩摩今泉駅
 薩摩今泉駅。篤姫ブームで新築したのだろうか?

 14:49、薩摩今和泉着。
 篤姫ゆかりの地薩摩今和泉を散策するのも今回の小旅行の目的の一つであった。昨年からの篤姫ブームでこの駅にも特快なのはなDXが臨時停車するようになり、列車での観光も便利になったのである。
 駅自体は駅員のいない無人駅ではあるが、駅舎自体が観光協会の事務所となっており、観光案内や小さな土産物売り場もある。200円で観光ガイドを購入し散策に出かける。
今泉島津家屋敷跡
 今泉島津家別邸跡の石垣

  
 昔の武家屋敷跡と思われる町割を通り抜けて今泉小学校の方向に歩くと海岸に出た。海岸には石垣が続き、その上に松の老木が生い茂っていた。ここが今泉島津家別邸跡で、現在は今泉小学校の敷地になっている。
この石垣の上に20名ほどの団体客が現地の観光ガイド(恐らくボランティアー)の説明に聞き入っていた。私もしばし団体にくっついて説明を聞き僅かに現存する井戸手水鉢などを見物したのだが、1時間15分しかこの地に留まれないため、団体客と別れ先を急いだ。
今泉島津家墓地
 今泉島津家の墓地。

 線路を渡って山手に行くと今泉の郷社である豊玉姫神社(恐らく知覧の豊玉姫神社の分社か)があり、さらに住宅街を抜けると今泉島津家墓地が現れた。この地領主になられた六代忠郷から篤姫の兄十一代忠冬までの殿様及び奥方が埋葬されている。島津家墓所福晶寺(私は世界遺産に登録されるべきだと考えているが)に似て静謐な空気が漂っている。決して華美ではないが威厳のある墓石とそれを取り巻く灯籠が整然と現存している姿に、今泉の人達が殿様をしたい誇りに思っている光景が目に浮かぶようである。
ワンカップ白波
 幕末の薩摩に思いを馳せながら飲む(^^ゞ

 史跡を急ぎ足で回って、少々時間があったため再び海岸に出て枕崎で買ったさつま白波みなみカップを開ける羽目に・・・。(^_^;)
 石垣に腰掛け遠くに霞む桜島を眺めながら飲む焼酎はまた格別ですな〜。(^^ゞ

 16:05、薩摩今和泉発
 鹿児島中央駅行き2両編成各駅停車ワンマンカーに乗り込み再び指宿枕崎線を北上する。この列車は通勤用の長いベンチシートだが、右側に斜め座り飽かず車窓に映る錦江湾桜島を眺めていると、中学3年夏の苦い思い出が蘇ってきた。
 
谷山南部住宅地から桜島
 谷山南部和田辺りからの桜島

 私の中学時代、野球部の最大の目標は夏の鴨池市営球場で行われる県大会出場であり(我々にとっては夏の甲子園に等しかった)、そのためには十数校が競う川辺郡大会で優勝し、さらに3校しかない枕崎市大会の優勝チームとのプレーオフで勝たないと行けなかったのである。
 何とも理不尽な制度であったが、私の加世田中学校は枕崎で行われた試合で枕崎中学校に苦杯を喫し、晴れ舞台で野球をする夢が立たれたのである。
 翌日鹿児島鴨池競技場で開催される放送陸上に出るため、野球部のチームメイト2名と試合終了後すぐにこの路線に乗って鹿児島に行ったのである。負けた悔しさで只ぼんやりと桜島だけを眺めていたような気がする。
加世田行きバス
 加世田行き鹿児島交通バス

 列車は喜入平川を過ぎると乗客も結構増え、車窓を眺めながら焼酎をチビリチビリやるのが若干憚られそうな雰囲気に・・・。(-ー;) それでも最後の一滴まで飲み干しましたが・・・。(^_^;)

 16:55、谷山着
 谷山でJRを下車し、バスの待ち時間の間付近を散策する。

 17:15、谷山発
 愚息1号が小学時代に通っていた塾前のバス停から加世田行きのバスに乗り込み無事帰還となったが、心地良い酔いのせいか伊作を通過以降は爆睡してしまった。(^_^;)

 18:10、加世田着
 公共交通機関を利用すると車で通行するときには気付かない風景に出会ったり、それが思い出の扉を押してくれたりし新鮮な気持ちに浸れる。そしてその光景を焼酎を飲みながら愛でられるというのも大きな魅力である。自家用車の利便性が豊かさの象徴なのかも知れないが、車を運転するという制約を離れると、小さな旅にも今迄感じたことの無かったような豊かさや未知の可能性があることを実感する。
 そして全く飽くこともなく風景を楽しめるこの路線を一人でも多くの人に体験して貰いたい。さらに坊津〜野間池〜吹上浜を自家用車以外の手段でも楽しめる観光ルートとして確立できないものだろうか。


  車を捨てよ。小さな旅に出よう!(^_^;)



表紙 Kaseda Now 開聞岳登山