奄美大島旅行記3日目


 2日目の宿泊地は名瀬市中心街より車で10分ぐらい離れた、湾のはずれの名瀬港を一望できる山羊島と言う場所にある名瀬シーサイドホテルである。今日はあいにくの雨で風が結構強い。子供達の友人家族と9時半にホテルで待ち合わせて、大島本島北部に向かう。
西郷南州候謫居跡 
(西郷南州候謫居跡)
 まず訪れたところが、島流しにされた西郷隆盛の住居である。
龍郷町役場前を左折して走ると、西郷隆盛が大島に上陸した地点に立っていた西郷松があり、それを過ぎて1Kmぐらい行くと目的地である。

住居内部
(住居内部)
そこには一般的な昔の鹿児島の家の床の間に、天皇皇后両陛下の隣りに飾ってあった「セゴどん」の写真が幾葉も残っていた。亜熱帯植物に囲まれ雨に打たれながらひっそりと佇んでいるようにも見えたが、昔のまましっかりと保存されているところから類推するに、私たちの敬愛する郷土の英雄は、奄美の人たちにも大切にされたのだなと、感慨深いものがあった。
 次にお約束の黒糖焼酎の工場へ。あいにく工場は休みでしまっていたが、試飲できるおみやげ売場は開いていたため、色々試飲をして(-_-?)、お土産を買う。芋焼酎にこだわりがあるなどと、自負していても、飲み助の悲しさと言うか、野次馬根性というか、結局アルコール類だったら何でも旨く感じるから、幸せである。
 次が蒲生崎に行った。ここは笠利湾と東シナ海が一望でき、遠く十島の子宝島も遠望できる絶好のロケーションらしいが、あいにくの雨である。それでも、眼下に見えるマリンブルーの海は何処までも透き通っていた。
 以前来たときは大島南部の畑は殆ど荒れ地になって、この島の人たちは何をやって生計を立てているのだろうか、不思議に思っていたが、今回は所々に老人が農作業をしているところを見た。奄美大島北部は南部と異なり、結構平野があり、農業も盛んなようだ。でも、殆ど水田を見なかった
あやまる岬
(あやまる岬)
あやまる岬は奄美観光のメインスポットの一つで、国民宿舎や小さな遊園地も併設されている。この高台からは喜界島が一望できるのだが、あいにくの天気である。
幸いにも屋根のついた場所に備え付けのテーブルがあったので、子供の友人のお母さん手作りのお弁当を開いた。旅行に出て、手作りのお弁当をピクニック気分で頂けるなんて、ウルウル物、大感激であり、子供の友人家族に大感謝!!!
 雨は弱くなったり、強くなったりしていたが、子供は元気な物である。ここで結構遊んで、結局びしょぬれになり、着替える羽目に。
土盛海岸
(土盛海岸)
 最後に奄美で一番美しいビーチと言われる土盛海岸に行った。沖のリーフが自然の防波堤の役目を果たし、波は殆どなく、水は青く透き通りそこの砂や岩珊瑚などを映し出している。砂は砕けた珊瑚の死骸が混ざり白っぽく美しい。天気が良ければここで泳ぐのだが、天気が返す返すも残念である。
 名瀬市に戻り夕食まで町の中をぶらついた。名瀬市は加世田のように空いた遊んだ土地は全くなく、ぎっしりと詰まりながら賑わいを見せている。ティダモールアーケードには結構洒落た店が多く、小天文館と言った風情である。
 私は、古仁屋で見つけた塩豚がどうしても気になって、あちこち歩いて精肉店を探したのだが、見つからなかった。どんな味がしてどの様に調理するのだろうと、今でも興味が尽きないでいる。(^_^;)




クィーンコーラル(鹿児島新港に接岸したクィーンコーラル)
 フェリーの出航予定が夜9時で、8時までに手続きを済ますように言われていたので、7時過ぎに港に行った。所が、マリックスラインの窓口は閉まっており、何人も行列を作っている。聞けば今日はお客がいっぱいで乗れないかも知れないとのことである。我々は予約しているので大丈夫らしいが、乗船手続きを早く済ませ、車を所定の場所に置きたいと考えているのに、駐車場や手順を示した案内など全くないのである。おまけに窓口は8時にならないと開けないらしい。少しは融通を利かせたらいいような物なのに、不親切極まりない。プリプリ怒りながら手続きを済ませ、どうにか車を乗り込ませた。
 この日はロビーにシートを敷いて寝る場所を作るぐらい混雑し、まるで難民船のごとき様相であった。そして、悪天候の影響か揺れに揺れた
 無事5月5日午前9時に鹿児島進行に到着して、楽しい奄美大島旅行は終わった。
次は夏にまたでかけてみたい。