第25回いぶすき菜の花マラソン
      
                 平成20年1月13日(日)   大会ホームページこちら

  

  ゼッケン
 1.序章
  何故にこのような無謀で過酷な選択をしたのだろうか? 
  自分に降りかかる艱難辛苦の発端は精酎組特殊部隊長こだまさんが例年この大会に向け精進を重ねていたことであろう。その精神は美しくもあり、羨ましいと思ったことは事実であるが、それで心動かされる程純粋ではない。
  更に言えば子供の頃より短距離走は選手であったものの、長距離走になるとからっきし駄目で、常にビリを争っていた。陰気で捻くれ根性顕著な高校2年の時には遂に長距離走をずる休みし、体育教師から人間失格の烙印を押された程だったのである。即ちつい数ヶ月前までは苦しいのを我慢して走る精神は到底理解の範疇になかったのだ。

  不幸の第2波は、ジョギング達人で様々な長距離走大会に出場している平均的日本人さんが昨年7月我が精酎組に加わったことであろう。ノンカタの話題も必然的に健脚モードにシフトして行き、彼の二人は菜の花マラソンで盛り上がり、ノンカタだけのずんだれた中高年は肩身の狭い思いをしたのも事実である。

  そして今思い返すと決定打となったのは、10月に入り、平均的日本人さんとこだまさんが所属を「薩摩精酎組」として菜の花マラソンにエントリーしたことであろう。それからと言う物、「1時間もウォーキングをしちょればフルマラソンも絶対大丈夫じゃっが!」等の甘言や、「組長も参加しっせぇ精酎組の名を天下に轟かせもんそ!」等恫喝まがいの勧誘の連続に精神の均衡が崩れ、結局後先考えずに「泣こかい跳ぼかい!泣っよかんひっとべ!」と言う薩摩哲学(^_^;)に押し流されたのである。

  2.トレーニング
  10月より週2〜3回の早朝ウォーキングにジョギングを少しずつ追加していき、11月中旬頃には1時間かけて10km弱は走れるようになった。 休日には1時間以上走りたかったが、現実には様々な野暮用が入り定期的練習は不可能だった。 11月23日勤労感謝の日に2時間半のジョギングを敢行出来たのは大きな自信になったのだが、12月4日(日)の長時間走の途中で左膝を痛め走れなくなってしまった。
 それ以降大会前日までは30分程走ると膝が痛み出し満足な練習も出来ず大いに焦ったのだが、こだまさんのストレッチだけでも短期間で膝の痛みが軽減するとの親身なアドバイスと、昨年の大会で全行程歩いた女性の武勇伝(^_^;)に勇気づけられ、「テゲテゲで行こう!」と腹を括ったのであった。(^_^;)

  3.出走前
  大会当日は5時半に起床し朝ご飯を2杯食べ生理現象も済ませ、7時前に開聞町こだまさん宅に到着した。会場控え室になっている体育館に入ったのは7時半過ぎ。ゼッケンの取り付け、テーピングやサポーター装着、BGM用のMP3プレーヤーのセッティング、更に皮膚の摩擦防止剤等を塗布していると瞬く間に8時過ぎになってしまった。
  陸上競技場に出て丹念に準備体操とストレッチをやった後8時45分頃にスタート地点に並ぶ。スタートは目標タイムによって別れており、一応5時間が目標の我々は若干さばを読んで「目標タイム3〜4時間」の最後尾に並んだのだが、なんとスタートラインの100mほど後方であった。(・_・)


 コース図。画像をクリックすると拡大。 
  4.スタート〜10km
  号砲が轟いても我々の地点はなかなか動き出せない。やがてゆっくりと歩き出し、約5分かかってスタートラインを跨ぎ、走り始めたのは10分以上経ってからである。それにしても我慢できない程遅いペースであるが、密集から抜け出すには左右のフットワークを必要とするためいたずらにエネルギーを消耗しかねず、さらに最初の10kmは登りが多いことと膝の不安から流れに任せて走ることにした。
 10kmは池田小学校を過ぎた当たりで、標高100mコース中最高地点である。給水ポイントがあり沢山の人が群がっている。 兎に角足を止めたくないため此処を素通り。所要時間はなんと1時間20分も掛かってしまった。(-ー;)

  5. 10〜20km
  集団も少しばらけて走りやすくなり、若干ペースアップを図りたかったが、膝の不安のため抑え気味に走る。池田湖への下り坂は特に気を付けそろりそろりと走る。湖畔には菜の花が咲き乱れ、沿道に並ぶ沢山の人達の熱い声援も加わり、絶好の撮影ポイントなっているのだろう、放送各社のカメラがランナーを狙っていた。ボランティアの方が唐芋や色んな食物を振る舞っており、沢山のランナーが群がっている。兎に角足を止めたくないので華麗にスルーする。(^_^;) 

 #あんた等スタートの時は私より遙か前に並んでおいて、もう休憩を取るのかい?(-"-)

  池田湖と別れる15km地点少し手前の上り坂でかなりの人が歩いていた。(-_-?) 立哨員の方の「此処で足を止めるな!」の叱咤も虚しく響く。(^_^;)
 15kmを過ぎたら給水しようと考えていたのだが、どの給水所でもランナーがたむろして、走りながらコップを掠め取る事が出来そうにないためスルーを余儀なくされた。徐々に頭の中は給水と摂食ばかり考えるようになる。(^_^;) 枚聞神社の前でやっとバナナ一片を取ることが出来た。皮を剥き口に含むと走りながらでもスルリと喉を通っていく。実に美味い!
 19km地点の開聞町役場前でやっとゲータレードのコップを取ることが出来た。早速口に入れようとすると走る震動で中身が顔にベチャッと掛かってしまった!(>_<) 何たる不用意。眼鏡まで濡れて一瞬視界を失ってしまった。(^_^;) 水分補給が出来れば元気百倍、足も止めずに快調に走る。この10kmの所要時間1時間5分位

  6. 20〜30km
  当初の目論見では、最悪全行程の半分を走り残り徒歩にて制限時間の8時間以内でゴールすることだったので、20kmを超えて若干安堵した。しかし足はまだまだ動くし膝もさほど痛みを感じず、自分としては快調であった。中間点の手前で豚汁の振る舞いがあったが、結構な数のランナーが行列を作っている。(・_・) まだまだ足を止めたくないため、給水とバナナだけにする。20kmを過ぎるとちょっとした上り坂でも歩いているランナーが多く、道端には足を止めストレッチする人も散見された。
 開聞国民宿舎前のダラダラした登りでチョコレートを差し出して下さる方がいた。これも楽に喉を通るし、即座にエネルギーになりそうな気がした。有り難い!
 25km付近フラワーパーク前では、一般の来園者の方が「キシリトール含有レモン飴」を差し出して下さった。レモン風味は清涼感があり何かしら元気が出たようであった。

 徳光集落に続く道は急坂で殆どのランナーが歩いていたが、ここも足を止めずにじわりじわりと登り詰めていった。 集落には黒糖を出している所があり、走りながら鷲掴みにしようとしたのだが、左手に黒糖塊の感触が全くなく、絶望感に苛まれながら左手を観ると小さな欠片が軍手の繊維に絡まっていた。これを口の中に舐め入れ、若干のエネルギーの充足を感じる。 次の獲物はプチトマトである。今後のエネルギー補給を考えると是非とも3個程はゲットしたいと、左手を可能な限り開いて鷲掴みすると確かな感触が得られた。喜び勇んで左手を観ると、何と1個しか無いではないか。(>_<) 軍手を外し両手で掬うように取るべきだった反省したがまさしく後悔先に立たずであった。 しかしトマトの甘味と酸味が何とも言えない!トマトの旨さを再確認した。

  集落を抜けるとコースは畑の中を上り下りする。ヘルシーランドを過ぎ30km地点手前の登り坂途中でスピードがガクンと落ち、歩いている人と変わらない程遅くなってしまった。それでも歩くことには抵抗があったのだが、「ここは歩いても大丈夫だから!体力温存!」と自分に言い聞かせ、遂についに歩いてしまった。(T_T) 登り終わって走ろうとしたときに突然左大腿部が攣り走れなくなってしまった。膝の屈伸運動をしようとすると、下腿部まで攣りそうになったため歩くことを余儀なくされた。この10kmの所要時間1時間8分位
 

 完走賞のタオル。一生の宝物になるかも。^_^;)
   
  7. 30〜37km
  30km地点の救護所で右足にアンメルツを塗って貰うが症状は一行に改善せず、もし仮にこのまま走り続けることが可能であったとしても5時間を切るのは難しい情勢であり、さらに残り全行程歩いてもウォーキングで鍛えた我が脚なら6時間以内でゴールするのは可能と判断し、給水とバナナ摂取を充分にして歩くことに決めた。
 コース脇には私と同じように足の攣った人がしゃがみ込んだり、ストレッチをしたりとまさしく阿鼻叫喚、敗残兵の如き様相であった。これこそマラソンの修羅場!30km過ぎの地獄なのだろうが、錦江湾と大隅半島の絶景を愛でながら、好天に恵まれたレースに感謝し、気を強く持ちながら山川の市街地へ下って行った。

 摂食について唐芋だけは水分無しで食べるには苦労すると考え、走っている間は敬遠していたのだが、歩き出すとそのような自制心も薄れてしまい、山川の市街地で小さな唐芋に手を出し、歩きながら食べ始めた。しかし、疲労困憊した身体にとってこれを咀嚼するエネルギーは並大抵ではなく、さらに水分無しに飲み込むことも困難を極め、激しく後悔したのであった。かといって途中で投げ捨てる訳にも行かず、山川駅までの約2kmを歩く間にやっとの思いで完食した。(>_<)
  この5kmは約50分弱も掛かっており、若干の焦りもあるが、指宿に伸びる長い上り坂を難民の群のように、数珠繋がりのランナーが足を引きずりながら歩く様を目の当たりにすると、走る意欲は萎えてしまうのである。
  坂を登り切った所から再度走行を試みるが、左足が痛くてとても走れない。(>_<)
  国立病院前の救護所で再度エアーサロンパスを両足に噴霧して貰うが、やはり痛みが酷い。ここで5時間以内ゴールの交通規制が解かれ、歩道を歩かされる羽目になった。(>_<)

 完走証。画像をクリックすると拡大。

8. 37km〜ゴール
  指宿市街の踏切手前で空豆スープを飲み、残り5kmを走ろうと意欲が徐々に湧き上がってきた。頑張るご褒美最後のエネルギー源にと、山川で頂きポケットに忍ばせていた唐芋飴を口に放り込んだのだが、これが微妙に柔らかいため咀嚼せずには居られず、食べることに労力を消耗することこの上ない。(-ー;) 
 気持ちは焦るのだが、右膝周辺が痛くて尋常ではとても走り続けられそうにない。走り方を色々と変え、試行錯誤を繰り返す内に右膝を曲げずに伸ばしたまま走ると痛みが少ないことを発見する。 
 走ったり歩いたりしながらも、ここまで来たら5時間30分切りを目指し、残り4kmで猛然とラストスパートをかけた。恐らくアドレナリン過放出による錯覚だろうが、当日一番のスピードで、ゴールまでに100名位をごぼう抜きしたような気分になった。 
 ゴールの陸上競技場を周回するとき、ふと足下に目をやるとシューズの左つま先がピンクに染まっていたが、委細構わず足も千切れんばかりに走った。(>_<) 艱難辛苦の末やっとやっとやっと辿り着いた!両手を天に突き上げて雄叫びを上げながらゴールゲートをくぐった! 

 完走賞の黄色のタオルを頂き、芝生に仰向けに倒れ込みストレッチ紛いを始めた。空を見上げると限界に挑戦し自分なりに克服出来たことの充足感ともう走らなくて良いという開放感で満たされ、タイムや順位等超越した気分であった。

  待ち合わせ場所の体育館に入ると、こだまさんの姿はなかった。私より若干遅れてきた彼は「スタート直後にトイレに行き5分程ロスしたことと、20km過ぎで足が攣りだした!(-ー;)」と結果に不本意そうであった。(^_^;) 完走証を受け取りゼッケンと共にラミネート加工して貰った。記録5時間25分42秒。部門順位(マスターズB50〜60才)830位(1366人中)。総合順位4416位(11495人中)。途中歩いてしまい目標タイムには及ばなかったが、何とかゴール出来たことは一生の記念になるだろう。 表彰式前のざわめく会場を後にし、まだまだ沢山のランナーが喘いでいるコースを逆走してヘルシ−ランド露天風呂に向かった。(^_^;)

9.終章
  風呂から上がり若干の休憩後、夜の帳がおり始めた6時過ぎに指宿の居酒屋へ打ち上げ(こだまさんとのノンカタですな)に向かった所、なんと踏切付近を選手とおぼしき人達が重い足取りで歩いて居るではないか。(・_・) この時間にこの場所を歩いていると言うことはゴールまでには10時間以上は掛かるのであろう。それぞれの42.195kmに賭ける思いの深さに「同士よキバレ!」と叫ばずにいられなかった。
 さらにゲートが閉まっても(制限時間8時間)ランナーを待ち続け歓待してくれるボランティアの方々がいることや、途切れなく続く沿道の声援、食べ物の供与等大会全てが言葉に尽くせない程暖かい! 激しく感動するのである! 薩摩の一地方都市(旧1市2町)の主催にもかかわらず、リピータが多く、参加者が増加の一途を辿るのも納得の素晴らしいマラソン大会なのだ。この夜美酒を痛飲したのはいうまでもない。(^^ゞ

  翌朝我が家に凱旋しレース中の心境等を話した所、「それ程までに自分を痛めつけ、苦しい思いの末に達成感という喜びが得られるのは・・・・、お産と似たようなもなのかしら。(-_-?)」と愚妻が呟いた。(^_^;)

  大会関係者、ボランティアの方々、終始暖かい声援を送って下さった沿道の方々、そして会えなかったけど「薩摩精酎組 にっしー こだま ガンバレ!」のプラカードを出してくれた高校同期のぶんぶんさん全ての人達に感謝!感謝!大感謝! 来年のことはまだまだ考えたくはないが、恐らく・・・帰ってくるのでは・・・。(^_^;)


 表紙 鈍足おんじょランナー 第20回磨崖仏マラソン