鹿屋酒造組合加盟酒造所で今年11月いっぱいで廃業届の蔵があるとの情報を得たのは前日のことであった。 焼酎ブームと世間が浮かれているのを後目に、消えゆく蔵があるのが何とも無念至極で、せめてその最後の勇姿をカメラに納めようと垂水フェリーで錦江湾を渡った。
晴れぬ心を見透かすかのように黒く厚い雲が低く立ちこめ、時折強い雨足の中、フェリーから吐き出されるように大隅半島に上陸したのは、午前10時過ぎだった。
久木田酒造(名) 創業昭和11年 西暦:1936年
鹿屋市向江町11−17 Tel 0994−42−3319
大隅路を一路鹿屋に向かう。 途中酒屋を見付け品揃えを調査するが、有名銘柄ばかりで暮れゆく蔵の焼酎は全く置いていなかった。
ネット上の地図検索サイトよりダウンロードした地図を参考に、鹿屋市市街地中心部スーパーサンキューの駐車場で車を降り、
久木田酒造を探し歩くが、それらしい構造物は全く見当たらない。 仕方なく毛糸屋で場所を訪ねると、車を駐車した所の真ん前とのことであった。(^_^;)
久木田酒造は一見しただけでは全く判別不可能なアーケード街の酒屋然としていた。
↓
応対に出てきた女性に11月末日で酒造所廃業の旨訪ねた所、初耳だと言われた。 「しまった!やっぱり情報は間違いだったか!」と狼狽し、必死に取り繕っている所にご主人が現れた。(^_^;) ご主人は廃業のことをご存じで、今後は小売りだけになると話された。 酒造所は弟さんが経営しているらしいが当日はあいにく不在とのことであった。
廃業の理由を聞いた所、まず
焼酎粕廃棄の話をされた。 今でこそ商店街になっているが、創業当時はまだ人家も少なく、焼酎粕は裏の堤防に捨て、それを近所の農家が家畜の飼料に貰って行くと言う循環で特に問題は無かったらしい。
ところが周囲に人家が増え商業地の活況を呈すると、役人から廃棄の問題を度々指摘されるようになったらしい。 工場敷地も狭く、周辺の土地を買収するにも高騰した商業地ではそれも困難だったのかも知れない。 結局焼酎造りの情熱が無くなりかけたのと、
本年11月までに酒造免許を返上すると補助金が出ることで廃業を決意したとのことであった。
「さつま太陽」は鹿屋地区のサンキューには卸されているらしいが、主力販売所はこの店のみであるような印象を受けた。 昔ながらの包装紙に包まれた商品が何とも不憫のような気がしてしまった。
笠毛酒造 創業明治32年(1899年) 3代目
鹿屋市野里町5185−1 Tel 0994−42−3405
次に
笠毛酒造を訪ねるのだが、地図が今一解りにくい上に、土地勘が全くないので、野里町の標識のある所から直接電話で道を聞いた。 しかしそれらしい建物に辿り着けないので、もう一度電話をする。 教えられた通りに行っているつもりなのだが、
霧島ヶ丘公園をドンドン離れ、
海上自衛隊の基地に益々接近し、やがて全く人家が見えなくなったため、やむなく途中のガソリンスタンドで道を尋ねる。 そんなに方向音痴ではないはずなのだが、雨で太陽の方向が解らないのと、詳細な地図がないと・・・。(^_^;) 江戸にも極端な方向音痴を自認する焼酎評論家がいると聞いたが、焼酎に耽溺すると方向音痴になるものかも知れない・・・。(^^ゞ)
やっと辿り着いた
笠毛酒造は田舎の集落の中にひっそりとあった。 店の中に入ると、代表者(女性)が運動会の飲ン方の打ち合わせに来ていた男性と準備する焼酎の数等を相談している最中だった。
加世田から来た旨告げると、なんとご主人も数年前まで加世田高校教師として単身赴任していたとのことで、何度も当地を訪れたらしい。
工場→
店には平成10年、及び平成11年の鑑評会の賞状が誇らしげに飾ってあったが、何かしら寂しげにも映った。
それとなく廃業のことをお聞きした。
要約すると、第一に海上自衛隊基地拡張のため、現在地への
移転を余儀なくされたこと。 次に代表者は笠毛家に嫁入りしてから焼酎製造に関わり出したとのことで、先代の子供が他種職業に就き、またご自身のご子息も県外に就職しているため、
後継者がいないということらしい。
廃業も色々逡巡し迷いに迷って10月に急遽決めたらしい。 またご本人は酒造免許を転売するのではなく返還するのだから、少しは気持ちが安らぐようなことも仰った。 ただ
「華の友」は昔から集落内ではよく飲まれており、この銘柄の存続に心を痛めておられるご様子であった。
「
笠毛酒造謹製の
「華の友」が、これで最後だったらプレミアムがつくかも知れませんね。」等と冗談めかして2本購入しようとしたら、加世田からわざわざ来られたのだから差し上げると言われた。 一応固辞したのだが・・・、只焼酎には極端に弱い性格故有り難く頂戴してきた。(^^ゞ
大根占方面に到る県道への道筋を聞き、礼を言いながら車に乗り込んだが、みんなに愛されている銘柄に幕を引く心情を察すると、やりきれない思いでアクセルを踏み込んだ。
西園酒造(株) 創業昭和28年 西暦:1953年
肝属郡根占町川北320−1 Tel 09942−4−2032
車は道に迷うことなく、寸分違わず根占を目指した。 1時頃になると、シリアスな会話で幾ら沈鬱な気分になっても空腹にはなるようである。(^-^;) 昼食のためバイパス(国道269号線)を避け大根占市街地を通ったのだが、食事所が全く見付からない。 仕方なくそのまま根占町へ入ると直ぐに道路左側に南大隅高校の標識を見付け、急ブレーキを掛けて車を静止させた。 右側を見ると
西園酒造を僅か5m程過ぎた所であった。 何たる勘の良さ! だんだん研ぎ澄まされてきたようである。(^^ゞ
店に入って、「去年蔵を閉じられたそうですが・・・?」
と単刀直入に訪ねると、「潰れた焼酎屋を冷やかしに来やったとな?」と、奥さんの意外なリアクションに一瞬たじろいでしまった。(>_<;) 今日の行程や酒造所の消滅を非常に寂しい思いで見ていることなどを話すとやっと誤解を解けてもらえたようである。
蔵閉鎖の理由を聞く前に「色々あっとですよ。 ほんのこて色々と・・・。」と話され、それ以上の質問は死者に鞭打つようで、無神経な小生でも憚れた。 久木田酒造さんや笠毛酒造さんのことを話すと、
西園酒造さんは補助の出る酒造免許返上は去年末までと誤解していたらしく、後で返上取り消しを求めたけれども却下されたとのことであった。 やはり永年営み続けた生業を廃業することにかなりの迷いがあったことは容易に想像出来た。
かつて同じ地区の主力銘柄
「子鹿」を差し置いて
「西乃園」が鑑評会の賞を取ったことや、現在は酒の小売業として生計を立てるのに一生懸命であること等を話された。 店内では都会で取り沙汰されている幻の銘柄も多数取り揃えていた。
最後の年に
「西乃園」は二千本程作ったとのことであったが、店内には2本しか陳列していなかった。 小生にとっての幻の銘柄は
「西乃園」であるので、無理を言ってその2本を購入した。 奥さんの「まあ飲んでみて下さいよ。
森伊蔵のような味がすっで・・・。」という言葉が、長く耳から離れなかった。
やはり何かしら割り切れぬ気持ちではあったが、空腹には勝てず、奥さんに教えて貰った
大根占の寿司屋さんを探した。
その寿司屋は国道から僅かに入った所にあったが、道標も看板も全くない、まるで商売っ気のなさそうな店であった。 ご主人は歯はないが結構人の良さそうな顔をしていた。
西園酒造さんに紹介されてきた旨を告げ、鮨を頼む。 結構旨い! 焼酎の話をしたのだが、この当たりはやはり
白玉醸造の縄張りらしい。(^_^;) 「
魔王はよかふい手に入っとですか?」と聞くと、「昔、借入金返済に追われ一生懸命働いていた頃は懇意にしていたので、何本かは手に入ったが、今はあんまり仕事にやる気がないので、全く手に入らなくなった。」と答えられた。 まるで小生と同じ心情の持ち主とお見受けした。(^-^;) 小生が「幻の焼酎の名声に文句を言う筋合いじゃなかたっどん、せめて地元の料飲店にだけは優先的に卸すっごっすれば、大根占の店では
魔王が飲んがなっち、県下でも注目されて地域の活性化に繋がっとになぁ〜。」と吼えると、「じゃっど、じゃっど!」とすっかり意気投合してしまった。
八木酒造(名) 創業昭和3年
垂水市上町71 Tel 0994−32−0024
沈鬱な気分のまま国道を北上し、垂水市の
八木酒造を探す。 地図検索ソフトでは国道沿いにあるはずなのだが、それらしい建物は見当たらない。 結局酒屋に入って場所を聞き、やっと辿り着いたが、閉まっていた。(>_<)
八木酒造(看板も何も出ていない)→
笠毛さんから八木さんはコンビニもやっているとお聞きしたので、垂水市街地のコンビニを探すと、市役所を通り過ぎた国道沿いに
八木商店を発見した。 早速
「白馬」を2本購入して別嬪さんの奥さんと話をする。
「白馬」も以前は垂水市内の殆どの酒屋さんで取り扱って貰っていたらしいが、最近はここと後1軒だけで小売りしているとのことであった。 最近の小売りの傾向を聞くと
「島美人」、
「黒伊佐錦」が爆発的に売れて、大分水を空けられて鹿屋の
「さつま大海」及び吾平の
「子鹿」が売れ、
「さつま白波」は全く出ないとのことであった。
道路に出ている
焼酎看板は「サツマ大海」と「子鹿」ばっかりなのに、ここでも北薩系の焼酎が席巻しているのかと暗惨たる気分になってしまった。
廃業する酒造所の話をすると、ご主人はまだ焼酎造りに夢を持っておられるらしく、
廃業は全く考えていないとのことであった。
一番根本である意欲さえあれば将来にきっと希望が持てる、頑張って欲しいと励まし店を出た。
←八木商店(別嬪の奥さんと可愛いお嬢さんの二人で切り盛りしていた)
フェリーのシートに身を沈め、「廃業、廃業・・・」と反芻してみた。
一口に廃業と言ってもこれまで精魂込めて営々と積み上げたものを手放すのだから、我々他人には推し量れない程の葛藤を乗り越え苦渋の選択をしたのだろう。
近くの酒造所が無くなると言うことは故郷を失うような寂寥感があるのでは? 近所の人達はどう思っているのだろうか? 我々消費者が何とか出来なかったのだろうか?等と苦い思いが込み上げて来た。
厳しい競争社会のさなか、痛みを伴う構造改革がヒステリックに叫ばれているが、悠久の地鹿児島に於いては
時代に逆行する文化があっても良いではないか。 行政も鹿児島の焼酎文化を護るために手を差し伸べるべきではと考えもした。
色んな思いが頭の中を交錯し、厚く垂れ込めた雲同様益々重く沈鬱な気分になりながら、午後4時鴨池港に着いた。
表紙 焼酎の部屋 薩摩焼酎巡礼 宇都酒造 白石酒造