薩摩焼酎巡礼


      本坊酒造(株)屋久島工場伝承蔵

   熊毛郡屋久町安房2384
  Tel 0997−46−2511
訪問日   平成16年9月20(月)
伝承蔵全景
伝承蔵全景。正面が蔵、左事務所、右瓶詰め工場。
   本坊酒造(株)屋久島工場伝承蔵は安房市街地幹線道路沿いにある。敷地は広大で今回酎行の投宿施設屋久酔館も併設している。すなわち蔵で宿泊するので、焼酎が足りなくなったら原酒タンクから汲み出そうと目論んでいたのである。その反面泥酔者がタンクに飛び込み溺死(>_<)なんてことも危惧していたのだが・・・。(^_^;)

  飲んかたの様子は屋久酔酎行ーその1及び屋久酔酎行ーその2をご覧下さい。

  蔵の朝は早い。前夜11時頃まで飲んで騒いでいた津貫会の研修生達も早朝5時頃には叩き起こされ作業を始めたはずであるが、鼾に苛まれていた愚生は、少しでも惰眠を貪りたく固く床に伏したままであった。(^_^;)


芋切り作業
 芋切りに励む津貫会の方々。Tシャツが良い!
  9時頃我々が原酒貯蔵トンネルに出発するときには、芋切り作業の真っ最中であった。皆さん初めてなのだろうか、落とすヘタが大胆にもかなり大きい。(・_・) 唐芋の良い部分だけを取れば良い焼酎が出来る道理なのだが、団塊の世代にはもったいなさが先に立つ・・・。(^_^;)

  先導する有馬工場長の箱バンを見失わないように、10人乗りのライトバンは苦しげに唸りを上げ、屋久杉ランド方面にグングン高度を稼いで行った。 蔵からの距離は4km、標高は500m位はあるであろうか、道路から僅かに外れた所に、伝承蔵の貯蔵庫はあった。
トンネル貯蔵庫
 遙かトンネル奥まで整列する貯蔵甕。

   ここは屋久電水力発電所建設用の資材運搬用のトンネルで、現在は使用していない為借り受けているとのことである。無法者の狼藉がないように入り口はセコムで厳重にガードされている。

  庫内はしっとりヒンヤリ、中央溝には水が流れ、遙か彼方まで蔵庭に置いてあった物と同じ中国産の1040L入り貯蔵瓶がずらっと整列している。何たる壮観!

  通年湿度温度が一定しかも暗黒のトンネル内での芋焼酎長期貯蔵は我々焼酎ノンゴロの安易に抱く夢であり、以前串木野ゴールドパークを見学した後、たぶちゃんを焚き付けたことがあったのだが・・・。(^^ゞ
  
貯蔵甕をバックに集合写真
 トンネル内で集合写真。何故かおかしか中腰。(-_-?)

  有馬工場長の話ではトンネルのキャパシティーは150甕で、平成14年から毎年12甕ずつ貯蔵し、大半は長期貯蔵で味わい深くなる麦焼酎だが、2年物の芋焼酎も4甕程あるとのことである。昨夜の飲んかたで試飲させて頂いた香しく深みのある麦焼酎の味わいを思い出してしまった。
  芋焼酎の味も気になる所であるが、都会の酒屋さんが甕ごと購入を申し出たらしいが、社長さんは踏み切れなかったとのこと。う〜むぅ、どんな味わいか気になりますな〜。(^_^;)
  芋焼酎の甕の前で逡巡していると、「きゃ〜〜!」絹を切り裂くような悲鳴が聞こえた。 ゲジゲジが傍を通ったようである。(^^)
 
芋蒸し器
 芋蒸し器と芋掛け用タンク。

   紀元杉見物の後11時頃再度蔵に戻り、造りに忙殺されている内嶋杜氏が時間を割いて蔵を案内して下さった。 
  スリッパに履き替えて蔵の中に入ると、入り口付近に芋蒸し器と芋掛け用ステンレスタンクが目に止まった。 この日の一次醪への芋掛け作業は終わったらしく、タンクは綺麗に洗浄されビニールが被せられていた。

  杜氏の話ではこの蔵は貴匠蔵のように見学のために整備された物ではなく、あくまで製造第一を目的としているとのことであった。

  蔵左奥には仕込み用の甕壺が整然と並んでいる。古い物は明治22年から使っている物もあると聞いた。(・_・)
  
仕込み用甕
 二次仕込み用甕壺。残念ながら醪の様子は見られなかった。

  一次に2甕及び二次に5甕を一日当たり仕込み、仕込み期間はそれぞれ6日と8日間程である。 蔵訪問の時はまだ今年の初蒸留はやっていなかった。
  生産量は一日当たり25度一升瓶で600〜700本。 以前の4倍量を出荷しているにも拘わらず、これだけの手造り蔵の従事者はよほどのことがない限り杜氏を含めて僅か二人のみで、早朝5時から造りに付きっきりの毎日らしい。(・_・)

  昨夜の飲んかたの様子から若さに似合わず職人気質かなりの厳しい杜氏との印象を持ったため、醪を観て良いかと一応尋ねてみた所、もしポケットから物が落ちでもしたら、醪が汚染されその一甕が廃棄になるのでダメとの返答であった。想像通りあくまでも厳格なのである。(^_^;)
仕込み甕
 蔵内全景。奥に蒸留機が見える。
 
   ここで他の同行者達は事務所で「原酒屋久杉」試飲をするため蔵を出て行った。 愚生は内嶋杜氏と二人蔵に残り、あれこれ話を伺った。

  この地での焼酎造りの最大の困難はやはり温度管理が難しいことらしい。 特に麹米は手造りを踏襲しているために、如何に温度変化抑制を主眼とした麹室でも、屋久島の夏秋の高温では麹の管理が難しいとのことである。

  なるほど入り口左手前の麹室は蔵から東側に張り出すように作られてはいるが、屋久島の凶烈太陽に必至に抵抗しているように見えなくもない。(^_^;)   麹室に入れろとは・・・、もちろん言い出せなかった。(^_^;)

麹室と賞状
 中央引き戸の中が麹室。壁にはおびただしい賞状が。
  さらに夏場は山の渇水期に当たるらしく、仕込み水が少ない為に、今年は9月11日から仕込みを開始したとのことである。

  原料芋のことを尋ねると、島内産の唐芋は病害虫の問題と、高齢化が進んでいるため唐芋自体を作る農家が皆無とのことで、現在は南薩産の原料を使っているとのこと。

  同じ熊毛郡でも種子島と屋久島では蔵を取り巻く環境風土がかなり異なり、さらに屋久島島内でも一方の近代化に対し伝承蔵は入魂の伝統手造りと対をなしており、それがまたそれぞれの個性を引き出すのであろう。  
  米が蒸し上がったのでこれから麹の種付けをするという内嶋杜氏と別れて蔵の外に出た。
   
打栓機と出荷前の焼酎
瓶詰め機と製品の入った清酒用P箱。

  前夜飲んかたの席で有馬工場長に島内では「三岳」が席巻していることに関して水を向けた所、伝承蔵では全て手造りカメ仕込み故高コスト即ち価格面で太刀打ち出来なかったと言われた。 そしてなんと珠玉の逸品「南海黒潮」は昨年で製造中止になり、代表銘柄は「太古屋久の島」に変わったとのことである。  事務所前の倉庫には瓶詰めされた「太古屋久の島」の入ったP箱を観ると、薄緑の九州P箱は皆無で、赤い清酒用が多数を占め、県外出荷が圧倒しているのが窺えた。(-ー;)

  伝統的銘柄が無くなることの寂寥感は焼酎ノンゴロにとっては尋常ではなく、失われた「南海黒潮」を求めて入った安房の酒屋で、「うちにも『南海黒潮』しか飲まんお客さんがおいやったたっどん・・・。(-ー;)」と聞いた時には、「やはり愛されていたんだ!そして寂しく思う人がいる!」と胸が締め付けられる思いだった。(^^ゞ 
  #後日談・・・「南海黒潮」五合瓶及び一升瓶共にゲットし、永久保存酎にしました。\(^O^)/

  厳格で職責に忠実な杜氏がおればこそ薩摩の手造り焼酎の伝統は継承されていくのであろう。過酷な自然条件及び労働環境にも拘わらず、精緻で弛緩のない造りを踏み外すことなく、質の高い焼酎を営々と醸し出すことに深く感銘を受けた蔵訪問であった。 さらにトンネル内貯蔵酒の斬新な挑戦も焼酎の可能性開拓上特筆すべきあろう。
  超多忙にも拘わらず厭な顔一つされずに親切に応対して下さり、しかも気さくに飲んかたにも応じて下さった蔵の方々に感謝!感謝!ただ感謝!m(_'_)m 
  しかし、焼酎造りに携わる人に暖かさそして居心地の良さを感じるのは何故だろう?(^_^;)


  
 屋久酔酎行ーその1  屋久酔酎行ーその2
   

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