国鉄薩摩永野駅
こくてつさつまながのえき
国鉄宮之城線
有人駅
1987/01/10宮之城線廃止
同時に駅も廃止
マップ

訪問日:02/02/11

写真をクリックすると倍サイズを
表示します。

永野鉄道記念館へ

さて、実は真幸駅を撮った帰り、来る時とはルートを変えて薩摩永野駅跡を訪れてみた。これまた完全な思いつきであり、日没寸前にぎりぎり着いたという写真撮る気あるのかオイってな突っ込みをされそうなナーバスなコンディションではあるのだが、一応何枚か現在の薩摩永野駅跡を収めてきた。
国鉄宮之城線というのは個人的にちょっと思い入れのある路線で、多少なりとも今の私が鉄道に興味を持っているのはこのローカル線があったお陰とも言える。この駅以外は特に見所のないローカル線ではあったのだが。

静態保存されている保線区の車両。一応スレート屋根が付いてはいるのだが……


何故か駅名標がこんな所に……


んー、なんと申しましょうか。見るも無惨な状態でありました。廃止から15年も経っているので、沿線住民の記憶からもかなり遠ざかっていると言うことなのだろうか。大体国鉄の赤字線が廃止されたら、駅のあった自治体がこぞってこの手の鉄道記念館を作ったものだが、維持管理するのはなかなか大変のようである。
鉄道記念館の中に展示されている物は保存状態は良さそうだったが、鍵がかかっていて展示室に入れなかった……

スイッチバック

この駅は当時の鉄道マニヤの間ではそれなりに有名な駅だった。なぜか? それはスイッチバックだからさ〜
今日訪れた真幸駅もスイッチバックだが、この薩摩永野駅もスイッチバック構造の駅だった。ただし設置された目的は異なる。本来の計画では薩摩永野の一つ手前の薩摩求名から大口方面へ線路を延ばす予定だったが、当時永野では金山が発掘され活況を呈していた。で、貨車輸送や鉱山労働者を運ぶために、地元が工事の資金を負担して線路を永野方向へと延長したわけである。
薩摩永野から薩摩横川まで延長して肥薩線に接続する計画もあったらしいが、宮之城線の赤字転落と、永野金山の衰退により叶わぬ夢となってしまったそうだ。

移動保存されているスイッチバックの跡。唯一まともに見られる物だった。左の車掌車もボロボロ。

戻る←