栗野町郷土芸能保存会 (町制施行70周年記念披露会より)
栗野町東中下地区 オバッチョ踊り
オバッチョオドイについての由来は、上馬場オバッチョは、「島津義弘公が朝鮮従軍の凱旋祝いに百姓たちが有り合わせのものを持ち寄って踊った」とされています。
 また、米永(坂元)のオバッチョは「朝鮮征伐の士族の踊り」であると言われています。
 町内では、次の地域で踊られていたとされています。
@御前野(おめの)オバッチョ A上馬場(東中下場)オバッチョ B米永のオバッチョ   
 現在では、「上馬場(東中下場)オバッチョ」の1地区で伝承され、踊られています。
北方地区馬踊り(うまおどい)
   以前、中郡後では、上北方の熊峯にある牧神神社を馬頭観音として例年4月上旬に奉納し、そのあと馬の子が生まれた家々を回っていましたが、家々の馬がいなくなったことなどから、昭和52年頃から馬を型どって踊られていましたが、次第に途絶えてしまいました。
   平成12年に中郡後婦人会及び有志により馬を型どって「馬踊り」は復活し、祝事の際に踊られています。

 棒踊りは、伊佐・薩摩郡地方と同じように種類が多くあります。六尺棒、六尺・三尺の切いまぜ、カマンテなど。 六尺は四人組の平佐や六人組などの別があります。ただし三尺棒のみで踊るのは加世田棒だけであります。 恒次ニ渡には棒踊り変形の金山(かなやま)踊りが明治三十九年まで踊られていました。
 六尺棒 稲葉崎六人組 松本の平佐棒 別府の六尺棒 馬場迫の六尺棒 老谷の六尺棒 下坂元の六尺棒 宮下の六尺棒
 三尺棒 馬場迫の棒踊り 六尺・三尺の切いまぜ(切分け) 長谷の棒踊り
 カマンテ 植村のカマンテ 川南のカマンテ 老谷のカマンテ 山崎のカマンテ 田尾原のカマンテ 本村のカマンテ 上郡・中郡のカマンテ 棒踊りは、多くの集落で様々な「棒」を用いて踊られていました。
 由来については、踊られた期日や場所、幾つかの事例から、春に馬頭観音に奉納されるものであったようですが、大方の集落においてはそのきまりも薄れ、祝事芸能として踊られています。 棒踊りは、それぞれ「棒」自体に種類があるため、以下、郷土誌をもとに棒の種類に分けて列挙します。
百姓の舞(ひゃくしょうのまい)
   平成6年度の栗野町ふるさとまつりで踊られた「百姓の舞」は、米永地区郷土芸能保存部による新作であります。
   この踊りは、昔の稲作を表現した踊りで、牛馬を使用していた時期よりもさらに前の、手作業で行われていた 稲作の全行程を、当時の農具を使って、昔ながらの農作業の「しぐさ」を表現した踊りであります。
   出演者は32名で、太鼓、笛、たる、チャンバーなどは、最初から最後まで連続演奏されます。
灯籠太鼓(とうろうだいこ)
   栗野町西下場地区において、永眠された方々の在りし日の元気な姿を偲びながら感謝し、衷心より冥福を祈るために、「灯篭踊り」を平成3年に新作されました。
   この踊りは、8月の盆に先祖の霊が里帰りされるという伝えをストーリーにして振り付けたものです。頭に燈篭と蓮の花、胸に太鼓を抱え、8月13日に迎え火として、15日の夜には送り火として、鉦の音に合わせて踊り明かします。

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