童謡・唱歌で気になること


8月19日出水の中央公民館音楽ホールで,今年度2回目の市民大学講座開かれた。

 昔から音楽好きで,気に入ったものなら何でも聞き,歌うのも嫌いではなく,下手の横好きながらピアノも「ソナチネ」まではかじって,社会人になってからもリコーダー(縦笛)を吹いていた。

 古典の演奏会はほとんど縁はなかったが,学生時代はご多分にもれずジャズにのめりこみジャズ喫茶通いとビッグバンドやジャズコンボの公開録音には必ずといっていいほど行ったものだった。

 とにかく最近の奇妙な発声の日本語ロックや和製ポップスは苛立って聞くに堪えないが(中には,いい歌詞やきれいなメロディーの楽曲もあるが),音楽好きである。

 アメリカで行われたワールドサッカー前夜祭の「3大テナー」のリードを聞いてから,オペラのアリアもどうにか受け入れられるようになり,歌うことにも音楽の楽しみを感じられるようになった。そして,1999年St.フランシスコ・ザビエル渡来450周年の記念ミサでは,聖歌隊の一員になってミサの邪魔をしてしまった。普通,教会のミサでは合唱はせずに,斉唱で済ますためにバス(低音部)を歌ったこともなく覚えるのに非常に苦労したが,1年間毎週,川内と鹿児島の練習に通ったことは楽しい思い出である。

 さて,話を元に戻すと,市民大学講座で「童謡に託す私の夢」という演題で,すばらしい歌声と童謡に対する燃えるような情熱を話してくださった沖吉けい子さんは,阿久根市出身の美人童謡歌手だった。

 私がこの話と歌を聴いてホッとしたのは,文部省唱歌をほとんど元歌のまま歌われたことである。古い日本の情景が歌われ,人の心の温かさを伝えてきた唱歌が,最近の音楽の教科書から消えつつあることに対しての危機感を持っておられることには,私も同感である。

 例をあげると,ある本によれば「村祭り」(♪♪村の鎮守の神様の・・・・・。)という唱歌は,村という単位の地方自治体がない県が出来たために,教科書から消えたらしい。なんと,馬鹿げた考えだろうか,教科書から消すのではなく,逆に「村」という「町」よりも小さな自治体があることを教えれば済むことではないか。または,「鎮守の神様」のフレーズが「信教の自由」を侵すという小心者の発想から消えたのかもしれない。どちらにしろ,教育の一つの方法として唱歌を考えると,語呂合わせやリズムにのせて覚えると記憶しやすいように,社会科の補助科目として「村」の存在を教えれば,教科書から外さなくともいいのではないかと思う。

 次に,作者不詳のために(?)歌詞の改ざんが行われていることも納得出来ないことだ。たとえば「冬の夜」という唱歌は,テレビやラジオがまだなかった時代の農村の囲炉裏端の情景を歌った名曲だが2番の(♪♪過ぎしいくさの手柄を語る)のところが(♪♪過ぎし昔の思い出語る)に改ざんされている。これも改ざんするのではなく,戦争の無意味さを教え,作られた当時の時代背景をちゃんと教えればそのままの歌詞でよいのではないだろうか?確かに,日本は侵略戦争をしたことは否めない事実であるが,それだからこそ,正しい歴史認識をさせるために改ざんは必要悪だと思うし,歌詞の内容まで近隣諸国のご機嫌伺いをする必要はないと思う。

 歴史の正しい認識ではないが,最近の国語力の低下もうかがわせる発端となるような改ざんも見受けられる。「春の小川」では(♪♪春の小川は,さらさらいくよ)と歌われるが,「川」は行くものではなく流れるものであり,「虫の声」では(♪♪きりきりきりきりきりきり,こおろぎや)と歌われるが,元の歌詞はこおろぎではなくキリギリスだったが,歌いづらいと言う理由だけで「こおろぎ」に置き換えられてしまっている。これでは,作詞家の方々も草葉の陰で嘆いておられるのではないだろうか。

 時代に合わないとか,歌いづらい,子供たちが言葉の意味を理解できないだろうからといった安直な理由付けで作詞家の意図を無視しないで欲しいと思うのは私だけだろうか?子供たちが言葉の意味を理解できないならば,理解できるように自分自身が勉強して教えていくのが教師の務めではないか。

 最後に編曲についてひとこと,滝廉太郎作曲の「荒城の月」は,ほとんどの人が(♪♪ミミラシ,ドシラ,ファファミレミ)と教えられていると思うが,3小節目は(♪♪ファファミ レ# ミ)とレの音は半音上がりで作曲されたという事実を教えられていないし,この編曲(私は変曲だと思っている)が作曲家山田耕作の手によるものだとも知られていない。歌唱指導でもここを正しく歌いなさいと言われないらしい,音楽を教える人はこの辺も正しく教えて欲しいものである。音楽の教師でさえ「荒城の月」が書き換えられていることを知らない人が多いのだから無理なことかもしれない。学生時代に元の音階で歌ってしかられたことがあるWebMasterにしてみれば,沖吉けい子さんが元の音階で歌われた(歌唱指導された)ことは非常にうれしいことだった。

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