明るいエルサレム

1992年の夏,初めてイスラエルに行ったときのこと,「黄金のエルサレム」という歌に出てくるくらいの素晴らしい景色を見ながら考え込んでしまいました。

 「エルサレムの緯度は北緯32度で鹿児島県阿久根市とほぼ同じだ。と言うことは出水もほとんど緯度的には変わらないではないか。なのに午後8時でこんなに明るいとはなぜなんだ?」

一緒に行った連中に九州の人間は,もう一人いるだけでした。後はみんな関東の人間で,時間が遅くても私たちは北に住んでいるから「南の方は,夏はこれくらいの時間まで明るいんじゃないの?」とつれない答えしか返ってきませんでした。事実,埼玉に住んでいる甥っ子が鹿児島に遊びに来ると,日暮れが1時間近く遅いために時差ボケ(?)起こして,夏場など遅くまで外で遊んでいます。

 この疑問は4年間続きました。96年3月イタリアの病院に入院していたときのこと。

入院患者でカトリックの洗礼を受けている者は,午前6時に看護婦さんの「ブォンジョルノ!!」の元気なかけ声(あれは,絶対「お早う。」の挨拶ではない。)で起こされていました。

 というのも,午前6時30分から病院所属の司祭による巡回の聖体(ミサの時に戴く小さなパン)拝領が始まり,それを戴くために,起きて顔を洗って,歯を磨いて待っていなければならないのです。

ところが,3月30日の日曜日(フランシーヌ場合ではなく,私の場合だよ。この洒落が分かってもらえると嬉しいが!!)の朝,元気なかけ声は,私の腕時計ではまだ午前5時に始まったのです。私が眠そうな目で時計を見ていると彼女は腕から時計をはずし,一時間進めました。彼女は英語が話せず,私はイタリア語が話せませんから実力行使に出て,時計の針を進めることでサマータイムになったことを教えてくれました。

 ベッドから降りて歩けなかった私には,長い一日でした。一時間損した気持ちにもなりました。

しかし,そのときもまだエルサレムの明るさの原因には気づきませんでした。

 そして,その年の夏,それまで幾度となく国会で審議されて廃案となっていた「サマータイム案」がまた上申されたというニュースが流れました。夕食をとりながら何気なく聞いていて思わず笑い出してしまいました。

なんてことはない,エルサレムが午後8時になっても明るいのはイスラエルがサマータイム制を導入していたからでした。

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