私の禁煙体験

 毎年5月31日はWHO(世界保健機構)が定めた世界禁煙デーらしい。
2002年のこの日は,日韓共催のFIFAワールドカップの開幕日にもあたり,すべてのワールドカップの試合会場では,全面的に禁煙になったと某テレビ番組で言っていた。
また,その番組では『インターネット禁煙マラソン』というサイトも紹介していたが,喫煙者が禁煙を継続する涙ぐましい努力の経緯が放映されていた。
かく言う私も,約5年前までは尻の穴からも煙が出てくるくらいのニコチン大魔王の奴隷だった。

 私の禁煙のきっかけは「私が小心者」であることに由来する。
5年前,健康診断の胸部X線撮影で再検査のはがき来てかなりショックを受けたことである。
はがきがいつ頃来たかは定かではないが,再撮影の日が8月20日と指定されてきたので,7月の下旬には手元に着いていたのだろう。『要再検査』の文字に驚いて食事は喉を通らなくなったものの,ニコチンの誘惑には負けてばかりで,1日60本近くの煙突人間は,相変わらず煙をはきだし続けていた。
8月20日が近づくにつれ,「もし,撮影の結果が悪かったら・・・。」などと考えたり,「結果が悪かったら,身から出た錆」と思いながらも,やめようとは思わなかった。

禁煙実行の日

 いよいよ運命の撮影日,8月20日がやって来た。前日も確実に2箱は吸っていたはずである。その日の朝,寝床の中で1本吸い,朝食の前にまた1本,朝食のあとに1本吸った。前日,パソコンの前で封を切り,3本吸っていた。朝目覚めてから3本吸ったので残りは14本である。
朝食のあとの1本を吸いながら考えたことは,「肺がんで呼吸が出来なくなって苦しむくらいなら,いっそこのまま禁煙をしてみよう。」と思った。
14本を吸い終わってから禁煙してみようではなく,このまま禁煙である。

そして,14本の誘惑に「捨ててごめんなさい」と言ってひねりつぶしてちりかごに投げ入れたが,そのままでは,拾い出して吸ってしまいそうなので,急いで焼却炉に持っていき火葬してしまった。
また,100円ライターもガス爆発を恐れながらもハンマーで叩き割ってしまい,灰皿も吸殻を処分し,しまいこんだ。

 ここまでしたものの,自分には,「とりあえず,外出するまではタバコがないのだから数分間は我慢しよう」と言い聞かせ,「吸いたい時には,いつでも買っていいよ」と意志の弱い部分ものぞかせながら禁煙に踏み切った。
その日,撮影は昼には終わったが,「3時間近く我慢できたから,もう1時間我慢してみよう。」と自分に言い聞かせ,運命の日は,どうにか我慢できた。

二日目

朝目覚めて,「さてタバコは何処?」無性に吸いたかったが,水をがぶ飲みして,「もうすぐ24時間吸ってないよ」と自分に言い聞かせ,「昨日は,1時間ずつ我慢できたから,今日は1時間30分ずつ,我慢してみよう」と目標を立てた。そして,吸いたくなったら,水をがぶ飲みするか,身体を動かして気を紛らわせた,そして,いろいろ考えると吸いたくなるので,極力パソコンの前に座らないように心がけた。

三日目

普通,禁煙を実行して最初の山場で「1本お化け」が出易い日である。
私の場合,ニコチン切れによる眩暈なども起きていないようである。禁煙プログラムからすると極端かも知れないが,三日目で「二時間我慢」に挑戦したが相変わらず「吸いたいときは,いつでも買って吸っていいよ」と軽い気持ちである。
気分転換に散髪に行ったら,床屋さんに「1本お化けが」待っていた。順番待ちのテーブルの上にニコチン大魔王が「1本お化けの大群」を引き連れて待っていたが,「もう48時間も我慢できたじゃないか!自分で買って吸うのはいいけど,そこにあるのを吸うのはどうかな?」と,何処からか声が聞こえたような気がした。ニコチン大魔王は「据え膳食わぬは,何とか」と言うだろうと誘惑の握手を求めてきたが,いままでに「据え膳」の経験のない自分には,意味が通じなかったようで,どうにか「ニコチン大魔王」の呪縛から逃れることが出来た。

四,五,六日目

相変わらず「○○時間我慢禁煙」である。ただわずか3日間の禁煙であるが,さすがにニコチンの呪縛は恐ろしい,眩暈や意識朦朧はないものの,注意力や思考力が落ちていることが分かる。
注意力が回復するまでは,車の運転も控えなければならないと,思い始めた。

七日目

ニコチンの呪縛からはどうにか逃れられたようだが,時々,「吸いたい欲望」が出てくる。
相変わらず,「○○時間我慢,買えば吸っても良い,貰ってはダメ禁煙」を継続している。

この1週間タバコを断ったの同じくして断っていたものがある,それは大好きなコーヒーとパチンコ。
コーヒーは飲んだ後,カフェインの影響でタバコが吸いたくなると何かの本で読んだことがあり,パチンコは,店に入れば吸いたくなること必至と考えたからである。

「1週間我慢できれば,止められる」とも本で読んだこともあるが,どうにか禁煙を続けているものの吸いたい気持ちには変わりはなかった。

吸ってしまった

2週間くらいたったある晩,とうとうタバコが夢に出てきた。率直な感想としては夢の中で吸ったタバコは非常に美味しかったが,「今まで禁煙してきて,何で今更?」と自己嫌悪に陥り目が覚めた。
そして「夢か!夢でよかった」と胸をなでおろしたこともあった。

只今継続中

一度ニコチンの快感を覚えた人は,禁煙を始めても再び喫煙の確率が高いという。私の場合,禁煙を始めてから他の人のようには苦しんでないと思っている。その分,意志が弱い自分としては,再喫煙の可能性が高いかもしれない。現在でも,禁煙を開始したときと同じように,「○年間我慢出来たのだから」と自分に言い聞かせ,禁煙継続中である。

私が行った禁煙のための施策

1,禁煙宣言をしなかった。
  禁煙できなかった場合に恥ずかしいから
2,おおらかな気持ちで,難しいことを考えない。
  恰好をつけてタバコを吸いたくなるから
3,吸いたくなったら,水をがぶ飲み
4,喫煙者に近づかない
5,カフェイン・アルコールを避ける

笑い話

前述したとおり,私は「禁煙宣言」をせずに禁煙したが,禁煙を知った母は,私がシケモクを拾い集めてそれを吸っている夢を見て,夢の中で私が集めたシケモクを捨ててしまったそうだ。

ちょっとした失敗など

 私が禁煙を開始したのは,1997年8月20日だが,神様はその前年に禁煙の機会を与えてくださったのである。それは,前年の3月イタリアで怪我のために入院していたときである。3月19日,怪我をして20日にローマの病院に転院したときにイタリアの旅行会社の運転手に貰った一服が非常にまずく感じたのと,骨折で自由が利かないために歩行訓練が始まるまでの10日間は,タバコを吸えなかったのである。このとき,持っていたタバコをすべて主治医の先生に差し上げていれば,1年と5ヶ月早く,止められたかもしれない。
 また,禁煙を始めたころ,アメリカの大学の先生とメールのやり取りをしていたが,考えがまとまらないのと英語に翻訳が出来なくなり,とうとう断りのメールを送り,そのまま疎遠になってしまった。
 もう一つは,禁煙をしたことにより,体質が変わったのか,櫨科の植物に負けてしまうようになった,ハゼの木には当然かぶれるし,それまで何ともなかったハゼ科の果物マンゴーを食べられなくなったことである。


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