2001年7月の広報

ま ち の 話 題

(広報まくらざき12月号より)



10/27 子ども村にぎわう

 子どもたちが手づくりでくりひろげる「こども村の祭り」が、台場公園で開催され、多くの子どもたちでにぎわいまいした。
 お祭りでは、手づくりおもちゃのお店や母親クラブのお店、射的屋、金魚すくいのお店などいろいろなコーナーが設けられ、またあそびの広場では、昔ならではの遊び道具、輪投げ、竹馬、お手玉などがあり、子どもたちは夢中になって遊んでいました。
   

  11/2 枕崎出身の行司、式守與之吉襲名祝う

 大相撲の行司・第九代式守與之吉(53)=本名・山崎敏廣さん(山手町出身)の襲名披露祝賀会に有志や同窓生ら約200人が出席。これまでの労苦をたたえるとともに、九州場所での活躍を祈りました。
 與之吉は昭和39年の春に初土俵。平成7年に幕内格昇格、今年1月の春場所から與之吉として土俵をさばいています。
 大勢がつめかけた祝う会では、発起人で励ます会の森義三郎代表が「天下の立行司になることを期待してます」と祝辞を送りました。
 祝福の花束をもらった與之吉は、「涙が出るほどのご祝辞をいただき、皆さまのご希望に添えるように頑張りたい」と抱負を述べられました。



 11/9 ハロウィンで仮装、市役所に
     
 招魂塚幼稚園では、英語学習の一環として、毎年ハロウィンの行事を行っています。
 今年もカボチャのお化けや妖精などに仮装した園児たちが、市内を練り歩き市役所にも訪れました。
 お菓子をもらったお礼に、一人一人自己紹介をし、皆で「ハッピーハロウィン」を英語で大合唱しました。代表で最年少の宮田美由羽ちゃん(3才)が、皆で作ったありがとうのお花を市長にプレゼントしました。
   



10/12〜11/22 空から郷土を社会見学

  市内の全小学校4年生を対象に「空からの郷土枕崎探訪学習」が行われました。枕崎空港から2機のセスナに分乗し、大空に飛び立ちました。わが町、わが校区を上空500bから見下ろすという夢のような体験に、子どもたちは興奮と感動をあらわにしていました。



11/9 真剣に救助訓練

 秋の全国火災予防運動が11月9日に始まり、市内の寿屋では防火演習が行われました。 はしご車による救助や放水訓練が行われ、消防隊員や従業員は引き締まった表情で訓練に励みました。



11/10 がんばっています、子ども会

 別府小学校体育館で、各学校区から小・中学生や育成会指導者180人が参加して、枕崎市子ども会大会が開催されました。
 塩屋子ども会による「傘踊り」「四つ竹踊り」が披露され、その後、宇都子ども会と下山子ども会がこれまでの活動の様子を発表しました。
 郷土芸能の保存伝承に努力している姿に大きな拍手が上がりました。
 後半は、有園つや先生のご指導で、「押し花」の絵はがきや状差し作りに挑戦しました。はじめは花の配色に苦労していたようですが、そのうち自分らしさをいっぱい表現した作品が完成しました。上手にできたといった満足感から、みんなとてもうれしそうでした。


11/13 もうすぐおいしいそば食べられるぞ!!
     
 仙洞岡緑の少年団(下迫幸博会長)27人が活動の一環として11月13日、収穫したそばの実を、めぐり棒や木の棒で叩き落す作業をしました。金山小学校から徒歩で5分、そば畑に移動。さっそく数か所に刈り取って集められたそばをビニールシートに移し、作業の準備をしました。
 毎年の行事とあって、上級生はめぐり棒を器用にくるくると回転させ、効率よくそばの実を落としていました。「唐実」と呼ばれる昔の農機具が出番。ハンドルを回すと風が起こり、そば殻が勢いよく飛ばされ、そばの実だけが袋の中に集められました。約60`の実を集め、子どもたちはほっと一息、「めぐり棒の作業がとても楽しい」と、牟田和磨くん(6年)は感想を述べていました。



11/18 実るある合併シンポジウムに

 枕崎青年会議所(森政広理事長)が主催する「市町村合併を考える」と題しての講演やシンポジウムが南薩地域地場産業振興センターで開催され、約300人が参加しました。
 「多紀郡4町合併を振り返って」と題しての大対信文兵庫県篠山市政策部次長の基調講演の後、パネルディスカッションを開催。
 パネラーには、枕崎市長や大対氏、県地方課合併推進室の松藤啓介主査、鹿児島総合研究所の上原智之政策研究課長、南日本新聞論説委員会籾木泰副委員長の5人が登壇し、同青年会議所の末野修市氏をコーディネーターに論議を交わしました。



11/18 50年目、「森丸」船員の冥福を祈る

 枕崎市民栄誉賞第一号の今給黎教子さんが、50年前に遭難した祖父らが眠るトカラ列島口之島沖で、遺族から預かった花束や焼酎を流し犠牲者の霊を慰めました。 
 今給黎さんの祖父の立石澄太郎が所有し漁労長を務める「森丸」が、昭和27年11月19日未明に口之島沖で遭難。乗務員50人の内26人が犠牲となり、黒島流れ以来の大惨事となりました。
 世界一周の快挙を成し遂げたヨットとチーム海連号の2隻が枕崎港浮桟橋を18日に出航。翌日の午前7時に、枕崎港から約500`離れた遭難場所に到着し、50年前の痛ましい惨事を偲び、御霊に哀悼の意を捧げました。




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