| 懐かしい思い出・旧満州の迎春花 |
| "翁草 迎春花と いいし頃 "(句集【花を愛して人を愛して】より) 鹿児島県 古川和子 |
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私が初めて迎春花に出会ったのは昭和12年の春でした(四歳半)。父が国境の守備隊として勃利(ボツリ)に滞在して
おりましたので、この年の三月に一家で渡満しました。 見渡す限りの銀世界と言えば美しく思えますが、ただの白い世界に枯草だけが見える荒涼とした色の無い 景色を覚えております。 やがて、春の訪れとともに雪と氷が消え、散歩に連れて行ってもらった際に、原野だと思っていた処に 迎春花が顔を出しており、手を引いた父がインチュンフォアだと 教えてくれたのです。父は現地人と同じ発音だったと思います。現地の人たち (中国人、朝鮮族、少数のロシア人)は、皆そのように呼んでおりました。 野原のあちこちに土饅頭があり、その南側だったのでしょうか、この花が多かったように思います。 土饅頭は現地の人たちのお墓だったことを後で知りました。 その後、五歳のとき、佳木斯(チャムス)に引っ越しましたが、丘の上に忠霊塔があり、その丘にも 赤紫で白い産毛の可憐な迎春花が一面に咲いていたのを覚えております。また、その頃、当番兵の方から 満州娘の歌を聞かされたのを懐かしく思い出します。 迎春花は黄梅のことだと、ある辞典で読んだ ことがありました。でも、私どもの住んでおりました処は、冬は零下三十度から四十度にもなる寒さの厳しい処で、 黄梅が咲いているのを見たことはありませんでした。幼くて気が付かなかったのでしょうか。 勃利→佳木斯→ハルピン→孫呉→チチハルと杏(アンズ)の花は、いずれの土地でもよく咲いていたようです。 現地の人たちは、迎春花が咲くと春だと、一番心待ちにしていたのではないでしょうか。 私の迎春花は、渡満して初めて見た花、そして、内地に引き揚げてきて、故郷・下の木場の隧道の 土手で同じ花を見て感激したこと、私には大切な想い出の花です。 この花の名を伯母は、方言の呼び名でオネコジョ又はオネコジョウと教えてくれました。 父が元気であった頃が目に浮かんで参ります。もう一度あの景色の中で青空を見たいものです。 "父の手の 温もり恋し おきな草" (平成15年10月27日) |
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| この地図は兄が3年前に訪中して作図したものです |
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