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奄美の生き物


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はぶトキソイド
今年度で廃し。
代替は「携帯用毒吸出器」の普及を図るとのこと。

 
携帯用毒吸出器
鹿児島県がハブ咬傷(こうしょう)予防対策の一つとして実施してきた「はぶトキソイド」接種事業が今年度いっぱいで廃止される。製造してきた千葉県血清研究所が閉鎖され、トキソイドの確保が困難になったため。県は代替策として咬傷現場でハブ毒を吸い出す「携帯用毒救出器」の普及を図る方針を固め、地元自治体への説明を始めている。
トキソイドはハブ咬傷時の重傷化を予防する目的で開発された。精製したハブ毒を無毒化した薬で、計画的に接種するとハブ毒に対する免疫が人体に作られる。咬傷後は当然治療が必要だが、それまでの重傷化が防げる。但し副作用等もあり連続接種は10年が限度とされている。(県薬務課)
代替策として普及を計画しているのは沖縄で広く利用されている注射器様の吸出器。咬傷箇所にセットして毒を吸い出す仕組み。1セット3,000円で、洗浄すれば繰り返し利用できる。
今年度中の接種需要見込みには応えられるとのこと。来年度より自己負担の見込み。



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ハブ咬傷時の応急処置
ハブ咬傷時の応急処置について

1.緊縛
 受傷部位より上部の緊縛が行なわれるが、あまり強くしめるのではなく脈がふれる程度がよい。細いヒモ等でしめ過ぎるとかえって局所の壊死を起すことがあるので強くしめ過ぎないこと。病院まで時間を要する場合は、15分毎にヒモをゆるめて「うっ皿」を起こさないようにする。

2.吸引
 受傷直後に牙痕を口などで吸い、毒液を吸い出す方法は有効。この場合、口腔粘膜を保護する意味で、唾液等と一緒に吐き出すか、水又は茶でうがいをするのが良い。吸引するとき、口の中にきずがある人、又は虫歯の人は他の人はさける。

3.血清
 ハブの咬傷を受けた場合、できるだけ早く血清を注射することが治療を決定する大きなポイントとなる。奄美には僻地が多く医療機関までの距離が遠いため救急用として部落区長宅や学校・駐在所等に血清を配備してある。
(注射方法及び注意)
 @咬傷部位の周辺は、次第にハレて来るのでその部位の上部または反対側の健全な筋肉(でん筋部) に注射すると吸収が早い。また、すでにハレた部位に注射しても局所に余分な負担をかけるばかりで なく吸汲もわるい。
 A注射後患者は、必らず医師に見てもらう。

4.安静と激励
 患者を安静に保つために担架などを用意する。また患者を激励して精神的に安心させるようにする。吐気、嘔吐などの痘状がなけれは、熱い茶または濃いコーヒーをすすめる。酒類などは絶対いけない。

5.受傷部位の絶対安静
 患者を運ぶ場合は、出来るだけ前もって病院に通報する。又、平素から事故発生のことを考えて、最寄りの病院の電話番号をメモした方が良い。

6.通報
 咬まれた場所が足の場合は、絶対に歩かぬこと。咬まれた足で走らず、出来るだけ乗物で医師の所へかけつける。急患だと言えは、たいていどの車でも援助してくれるので遠慮せず運んでもらう。

7.治療
 有効な血清療法や対症療法があり、患者は安心して医師の治療を受けて欲しい。血がでないからハブではないとか、自分は何回もハブに咬まれた経験があり、免疫が出来ているから心配ない、などと自己療法しないこと。ただハブ咬傷は、交通事故のようなもので、ケースケースで随分咬傷に軽重があり、どんなに努力しても不幸な転帰をとることがある。大部分は、3日から15日位で治るが、それ以上続くのもあり、何よりもまず咬まれない用心が必要である。


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ハブの弱点
ハブに咬まれないための、ハブの弱点。

1.直射日光に弱い
 ハブは直射日光の下で気温30度であれば約10分で死亡する。ハブは昼、直射日光を避けるために日陰にいて、夜行動を始める。活動時間は、午後7時頃から10時前後が一番活発で、ついで朝4時頃より6時頃までである。真夜中はあまり活動しない。これは餌であるネズミ類の活動周期に一致している。以上の点から、ハブの出没する場所をなるべく直射日光が当たるようにすると、ハブが出没しなくなる。具体例として、家の周囲の草を刈る。道に覆いかぶさっている草木を刈り取る。道巾を広めるのもよい。要するに、ハブと出会わない秘訣は、直射日光の下を歩くということである。

2.弱アルカリ性の土壌に弱い
 ハブの棲息地は、奄美大島、徳之島、加計呂麻島、与路島、請島で、これらの島々の土壌は酸性である。ハブの棲息しない島は、喜界島、沖永良島、与論島である。これらの島々は隆起サソゴ礁である石灰岩から成り、土壌は弱アルカリ性を示じている。ハブは約90%までアルカリ性土壌を嫌う。以上のことから、家の床下の周囲のハブの出没する場所に、消石灰(弱アルカリ性)を撒くとよい。昔から島の祖先はハブを避けるために、家の周囲にサンゴ礁を撒いた。サンゴ礁が弱アルカリ性を示すという点で、この慣習が実験の結果と一致している。もう一つの理由は、夜、サンゴ礁の上にハブがいると、ハブを発見しやすいからである。このことから昔の島民の生活の智恵をうかがい知ることができる。硫黄を燃やすのもよい。

3.1日で100メートル位しか行動できない
 昔話で、ハブは一晩に8里歩くと言われるが、実際は1日に百メートル位しか歩くことはできない。逃げる瞬間は早いが、実際は休止している時間が多い。変温(冷血)動物であるへびの未発達の循環系構造にもよる。また毒蛇特にマムシ科のヘビは、他のへびほど動いたり逃げたりしない。単純だが、この理由は蛇に足がないためである。もし、ハブを捕り逃がした場合、24時間以内であれば捕り逃がした場所から半径50m位の円内で見つけることができる。

4.垂直には登れない。
 ハブは、物にそって(巻きつくのではなく)体長3分の2の高さまでは垂直にのぼれるがそれ以上の高さには登ることはできない。ただし、何かひっかかるものがあれは別である。ハブの侵入を防ぐためには、1m50cmの塀を作り、その上に30cmぐらいの縁を外側に30度の角度で作ればハブは侵入できない。

5.穴を掘ることはできない。
 ハブは冬眠しない。一般に冬眠する動物は、すべて自分で穴を掘るが、ハブはできない。そのため自然の穴、すなわち岩穴・木の穴に入っている。又、黒ウサギと同じ穴で同居生活をするとも言われている。家の周囲にある穴を塞ぐと言うことは、ハブ及びその餌のネズミ類の家をなくす意味で有効な方法である。

6.温度の急激な変化に弱い。
 ハブの生存適温は、摂氏18度から26度までで、24度前後の時に一番よく活動する。この期間は入梅期で、いわゆる5月、6月の気温である。気温が30度以上または10度以下になれば、ほとんど活動しない。そして0度以下に置くと約20分にして死亡する。

7.熱に弱い。
 ハブは変温動物であるために、ハブの体温はその時の気温と関係がある。そのため、周囲の温度が上がれば上がるほど、狂ったように高い温度に向って飛びかかる。山火事の現場によくハブの焼死体が転っているのは、この理由による。夜道の山すそでのタバコは、ハブの被害防止と山火事防止にとって、この上なく危険である。ハブの出そうな場所に入るときは、必ず棒、竹、サトウキビ等を持って足もとをその棒でわけて入るのがよい。これもハブから身を守る一つの方法である。

8.目はあまり見えない。
 ハブの目は、人間の目と比較すると、上瞼と下瞼が固着して動かず、目は下瞼の変形物である透明の薄い被腹に覆われている。そして、脱皮現象が始まると、被腹に白濁現象が現われ、約一週間目が見えなくなる。見える距離は、前方5メートル以内であり、角度は前方、120度、近視で、しかも色盲である。しかし、目が見えなくても鼻、舌で臭いや空気の動きを、そしてピット器官で人や餌の体温、すなわち熟を感じ人に咬みつく。この働きをする器官をピット器官と呼び、ピット器官は眼の前下方の両側にあって立体的に働く。

9.空中を飛ぶことはできない。
 ハブは小鳥のように空を飛ぶことはできない。攻撃する場合は、必ずS字状の姿勢をとり、尾の先端を固定してテコの応用を利用して飛びかかる。最長距離は、70cm前後である。だから、ハブから80cm以上の距離を保てばほぼ安全である。

10.食べものはネズミが多い。
 ハブの食べものは、ネズミ、が約79.4%を占め、ついでヤモリ、カエル、小鳥、ニワトリ、蛇、ウサギ、ウナギである。人家に侵入するのはネズミを追って入ってくるので、ネズミの駆除は、ハブ被害を防止するためには効果的である。各家庭では、ネズミの餌となる食ベカスなどをよく処分するよう気をつけることも大切である。又、ハブの道というのがあるが、その道の始まりはネズミの通路である。その理由は、ネズミの臭いが残っていると、ハブがネズミを追ってその道を通る。これがハブの道となる。大雨の後、ハブが思いがけない場所に姿を見せるのは、大雨でネズミの臭いが消えたためである。
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幽霊とハブ(奄美の昔話)
昔**というハブ捕りがいて、名人級の腕で、毎晩4.5匹のハブを捕っていた。そして、ハブを本土の漢方薬店に送って、裕福な生活をしていた。島の人は、非常に彼がうらやましくて、ぜひハブ捕りのコツを教えてくれというのだが、なかなか島の人に教えようとはしなかった。ある晩、島の若者が、こっそり**の後をつけてみた。それを感づいた**は、素早く白い着物を木の枝にぶら下げて、幽霊が出たとさけんだ。若者は、それを見てびっくりして、腰を抜かし、ほうほうの体で部落にはい戻り、部落の人々にその白い幽霊の話をした。その後、部落の人々は、二度と**にハブ捕りの話をしなくなり、その幽霊の出た場所に近づかなくなったため、その後も**は、順調にハブをとり続けたのだが、死ぬ間際に、部落の人を呼び幽霊の話はウソで、ハブを捕獲する場所を他人に教えたくなかっただけだと言い残して、息を引き取ったそうだ。
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ハブの出没しやすい気候条件
 気温については、摂氏18度になれは行動を始め、適温は23度より28度までで、特に24度から26度に一番行動しやすい。降雨量については、雨が降ったか、降らないかというように、地面に少し湿気のある状態を好む、1ミリ位のヌカ雨を非常に好む。雨が20ミリ以上になると、あまり行動しない。風速は、2メートル前後のそよ風が一番よく、8メートル以上の風速になると、殆ど行動しない。湿度は、74%から90%がよく、特に78%は一番好きな湿度である、月齢は、闇夜である旧暦の24日より5日まではよく、月夜はあまり行動しない。これをまとめると、
 気温が25度、
 雨量はヌカ雨、
 風はそよ風、
 湿度は78%、
 月齢が3日、
これがハブの一番行動するのに適した条件
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「ハブが一番登る木」


蘇鉄の群生(あやまる岬)


ガジュマルの木
 ハブが一番よく登る木は、先ず筆頭にあげるのは、蘇鉄、次はガジュマル、ツンギ、シャリソパイ、シララギ、松となるが、ハブが殆ど登っているのを見たことがない木は、サルスべリ。季節的に言えば秋が一番木に登ることが多い。その理由は、秋には木の実がなり、それを小鳥が食べにくるので、ハブはその小鳥を捕食するために、また、気候の関係から気温が高いので木の上が風通しがよいので夏より秋口にかけて木の上に棲息する割合が多い。
 ハブの咬傷者の部位の点から考えてみると、夏より秋にかけて上半身の咬傷が非常に多い。これに反して4月から7月にかけては、下半身の咬傷が多い。
 ハブが人間の身体のどの部分に一番咬みつくか、名瀬、徳之島保健所の資料によると、

上半身 6%
下半身 47.5%
44.5%
 その内訳は、上半身のうち頭、顔が3%、前膊2.7%、上膊1%、肩首0.3%である。下半身の内訳は、下脇が25.2%、足が17.9%、大腿4.7%、腎部と腹が0.7%である。前述の上半身6%の内、頭が3%で毎年10人位が木の上とか高いところから攻撃されている。また、ハブの好む木は、殆どがトゲトゲのある木で、それ故ハブは木の上からでも攻撃できるのである。3%、前膊2.7%、上膊1%、肩首0.3%である。下半身の内訳は、下脇が25.2%、足が17.9%、大腿4.7%、腎部と腹が0.7%である。前述の上半身6%の内、頭が3%で毎年10人位が木の上とか高いところから攻撃されている。また、ハブの好む木は、殆どがトゲトゲのある木で、それ故ハブは木の上からでも攻撃できるのである。
 ハブは攻撃する場合、必らず尻尾を何かにひっかけて、テコの反動を利用して攻撃してくる。また、攻撃角度は、大体35度から40度である。この攻撃角度を見れば、咬傷部位が下半身に多いということが理解できる。
3/1 bP3
「ハブと熱の関係」


 


 
 ハブは非常に憶病な動物で、危害を加えなくても他の毒蛇と異なり攻撃してくる。その理由は次に挙げる事柄に起因しているようだ。
1.ハブは変温動物であるからハブ自体の体温はその時の気温と密接な関係があり、ハブの体温より高い熱(赤外線の熱線)に対してはすぐ咬みつく習性がある。
2.ハブの体温より低い熟に対しては殆ど咬みつかない。

 人に向ってくる理由は、人間の体温がその時の気温、すなわちハブの体温より高いという簡単なことに起因している。それではどのくらいハブに接近すると咬みつくのか。これはハブの体長にもよるが10センチから30センチ以内に接近すると必らず飛びかかってくるようだ。そして攻撃目標に対する命中度はおおよそ正確である。
  気温が人間の体温より高くなった場合、気温の上昇と共にハブの体温が人間の体温よりも高くなり、人間が近づいても攻撃しない。
 ハブの生存適温は摂氏24度から27度の間で30度以上になると静止して殆ど動かなくなる。低い温度に対してはどのように行動するのかと云うと、摂氏18度になると昼間は半径10メートルの円内を、夜は半径50メートルの円内で行動することが分っている。摂氏10度になると昼間はもう殆ど行動せず、夜間に5メートルぐらい蛇行するていどで、摂氏3度になると昼夜にわたって殆ど行動せず棒で頭をさわってもやっと頭を持ち上げる程度である。摂氏0度になると24時間以内で死亡する。摂氏マイナス10度になると3時間以内で、摂氏マイナス20度になると1時問以内で死亡する。このことからハブは高い温度にも低い温度にも非常に弱い動物であることが分るのである。
 ハブにとって奄美は本当に、パラダイスの島だと言わざるをえない。なぜなら奄美は0度以下になることはなく、普通6度以下に下ることはない。またハブは急激な温度の変化に非常に弱い動物でもある。
 従って、温度が直接ハブに伝わらない工夫をすればハブに咬まれないですむことも考えられる。
 具体的な方法として
●素足では絶対山道を歩かないこと。皮靴、雨靴、キャハソ等で足を保護すること。
●ハブの出そうな場所で農作業をするときは、努めて手袋で手を保護すること。
●山作業をするときには首を保護するために首にタオルを巻きヘルメットを着用すること。
●要するに熱を出すものを携帯しないことである。タバコとかろうそくなどを持って山道に入らないことである。
2/23 bP2
「ハブ発祥地の枝手久島」

 古い昔のこと、大和朝廷(大島では、日本内地を大和と称しており、又一説には薩摩藩主とも伝わる)が琉球王朝に対し、「毒蛇ハブを捕えて献上せよ」と命令を使わした。琉球王は、早速、家来に命じて三匹のハブを生け捕りにして、それを見事な金のカガをはめた唐焼の壷に入れて多勢の家来を付き添いにして大船を仕立てて旅立たせた。やがて港を出た船は、飛ぶように早く走って、ほどなく奄美大島沖にさしかかった時、一塊の黒雲が湧き出て台風となり船は沈没して乗組員も全員行方不明になってしまった。しかし、不思議やあれほど狂った天候も嘘のように鎮まり、更に不思議なことはハブを入れた金の壷だけが、ちゃんと一片の船板に乗って波にゆられゆられ伊里離れ(枝手久島)の海岸に打ち上げられたのである。壷から這い出したハブはここから本島に渡って広がっていったと伝えられている。いわゆるこれが枝手久島のハブの発祥地と言われる伝説である。小舟から見る枝手久島は、宇検村に属し宇検部落の先約700メートルの焼内湾に浮かぶ無人島で、周囲13.2キロ、面積5.45平方キロ、東経129度21分、北緯28度17分の位置にあり干潮時には歩いて波れる。田畑は、約3町歩位で久志、宇検の島民が農作業に出かけてくる。島の中央に烏帽子岳(322メートル)があり、人工林の他広葉樹林と松の自然林は全然手を加えず放置されているように見える。 枝手久島の地図  
2/19 bP1
「クロウサギとハプ」
奄美の昔話
文英吉の奄美大島物語の「クロウサギとハブ」の話。
 それによると、昔、世の主加那志の一人娘がある青年と恋に落ち入ったところ、その青年はハブの化身であったことが分って、世の主加那志は、大変におこってハブ退治を計画させた。ところが、1匹の兎が長い耳でそれを聞き、ハブ仲間に通報した。それを聞いたハブ達は、山奥の岩穴に身をかくして難をのがれた。然し、その兎は、直ちに捕えられて長い耳を半分ぶち切られ短かくされ、体には鍋墨を塗られて真黒にされた。これが、奄美のクロウサギの元祖である。現に、クロウサギは、普通の野兎より耳が短かく後足も短かく、休も黒色である。耳を切られたのは秘密会議を立ち聴きした罰、体を黒くされたのは、他の善良な兎と見分けをつけるためだという。さて、ハブ族は、その恩に報いるためクロウサギを一切傷つけないことにし、また洞窟に仲よく同居生活を営むようになったと云う。
2/16 bP0
ハブの由来
 ハブの名称の語源は反鼻蛇、飯匙蛇、マジムン、波布、マシモン、あやくまだらく、ナガムシ等々。色々とあるがやはり「ハブ」と書くのが一番あてはまっています。ハブの和名は、1891年岡田信利氏によって名付けられたが、最初に世界の科学文献に紹介したのは、1860年エドワード・ハロウエルと言う人です。これより先に名越左源太が、奄美大島に遠島されていた期間(1850年〜1855年)の見聞を1854年頃までに記録し、この記録は1933年「南島雑話」として編集されたが、その中にハブについてつぎのような記述がある。「ハブ一名マシモンと言ひ毒気強く人の首より上を食へば立所に死ぬ。犬馬亦同じ、羊と牛は適死することなし。医療良薬も施すに術はなく島中男女ハブの為に打たるる者年に2、30人其の過半は死す。秋は毒気一番強く、冬は石穴に入る。硫黄の気を嫌い遠く逃げ去る」と書かれている。
 1877年の伊地知貞馨氏の沖縄志には、「ハブの大きさは長いもので六、七尺、ネズミ色で全身に斑点あり、頭が大にして平まるく、春暖に出て、涼秋に土に入る。草根や樹上に棲息して、尾を草木に巻き、頭で攻撃する。毒は歯牙から出してすぐ死亡するものもある。又助かっても廃人となる人もある。金ハブと呼ぶハブは、体が小さく毒は非常に強く、これに咬まれたものは必ず死亡する。又、大島、徳之島に棲息して、永良部喜界の二島に棲息せず」と記してある。又、笹森儀助氏の南島探験記(1894年)によれば、「各島巡回中ハブの一種金ハブを4匹打殺した。大体大きさは、二尺から三尺位のもので長いものは見なかった。最初、国頭北部を廻った時に駐在所の調べによれば、ハブの咬傷は10余名で死亡するものは、この内8名あり、又、ハブは春3月頃暖かくなると土より出て、10月頃土中の巣窟にもどる。ハブの口の左右に針の如き牙があって、その牙より徽少な孔があって、人を見れば必らず飛び掛かる。人を咬む場合は、牙より白乳汁のような毒を出し、ハブに咬まれると百人中百名死亡して治療法なし」と記録されている。
 このような記録が世間に伝わったているため、奄美と言えば恐ろしいハブを思い出し、山に行けは木の枝からぶらさがって、あちこち歩けはハブがうようよしている思いがちです。しかし実際に山にはハブが多く棲息していますが、目にすることはほとんどありません。
2/14 bX
ハブの交尾について
交尾するときの気温は、21度前後が最適で、ちょうど4月頃の気温。交尾期のハブに対して、一番注意しなければならないことは、雌ハブが一種の分泌液を出すので、4.5匹の雄ハブが、雌の周囲に集まってくることだ。
2/12 bW
赤マタを逃がしなさい
赤マタのいる場所には、ハブはあまりいない。山に入って、最初に赤マタを捕らえたときは、他の山に移らないと、ハブは捕れないというジンクスがある。−ハブ捕りの話

  赤マタの画像
2/10 bV
うたれる
奄美では、ハブに咬まれることを、うたれるという。ハブの敏捷さをうまく表現した言葉である。

  ハブの画像 
  
2/8 bU
日本に棲息するコブラ
「ヒャン」
ヒャンは日本に棲息するコブラの一種でコブラ科に属し、神経毒を持ち体長は50から60cm位で体は黄褐赤色に飾られた17の黒い環状の縞をもつ蛇である。ヒャンには17の環状模様があり、その模様が天候を教えるといわれている。この模様の幅が広くなると、2.3日後に雨が降り、細くなれば、晴天になる。また、野生のヒャンを見た日は、縁起がよいとされ、ヒャンを見た日に、縁談を進めれば必ず結ばれるという言い伝えもある。このことから昔の島民は、ヒャンを見ることで、天候、日柄を知り、生活の知恵として利用できるので、ヒャンを保護するため近づくなといい伝えている。

  ヒャンの画像
2/7 bT
一番危険なハブは
ハブの成長を、1mまでを幼年期、1mから1m40cmまでが青年期、1m40cmから1m70cmまでが壮年期、1m70cm以上が老年期と分類すると、やはり、青年期のハブによる被害が一番多い。
2/5 bS
季節によってハブの出る場所が変わる
1、2月は、深い山の大体南向きの場所で、風があまり当たらない松の木、石、蘇鉄の穴の中などに棲息。3月頃になると、谷川の中腹に出没するが、這い廻るのは大体夜3時間ぐらいで、昼は穴の中にいる。4、5月になると、山から田畑、山道に降りてくるが、6、7月頃は、道に出るのが80%を占め、ネズミを追って、人家にも出没し始める。この時期が最盛期で、人間との出会いも多くなる。8月は、小川、海岸、山の頂上に現れ、中でも海岸に多く出没する。9、10月になると、次第に4月頃の棲息場所と同じで山に登り始める。11、12月は、ほとんど、山と畑の境界よりもやや上の方で、風当りの弱い場所に移動する。そんな風にハブは季節によって、棲息場所を変える。
2/3 bR
ハブの好物
ハブの好物は、8割までがネズミで、つぎが蛙、小鳥、トカゲ、ヘビ、ニワトリ、大きいものでは、ルリカケス、猫、ウナギ・・・、しかも、ネズミ一匹食べると、5ヶ月間何も食べずに生きていくことが出来ます。
2/2 bQ
ハプの棲む島棲まぬ島
奄美は、ハブの棲息する島と棲息しない島に分かれている。3000万年前は、アジア大陸、台湾、沖縄、奄美、トカラ列島は全て陸続きで、一つの半島であった。当時の陸地は、現在よりも900mも高く、ハブは、アジア大陸より陸づたいに北上してきた。当時すでに、トカラ海峡が出来ていたので、宝島から北の方には渡ることが出来なかった。その後激しい隆起沈下が起こり、多くの島々が出来、大島本島の湯湾岳(694m)、徳之島井ノ川岳(644m)の中腹の350m位の所まで海水がきていた。ハブの一部は、頂上に近いところで生き延び、再び島が隆起してきたとき、あちこちに散らばっていった。長い間すっぽり沈んでいた喜界島、沖永良部島、与論島は、琉球石灰岩という隆起珊瑚礁で覆われてしまい、そこにいたハブは、完全に滅亡してしまった。
2/1 bP
奄美の人は、山道を歩くとき、必ずお客や女を先頭に歩かせる
その理由は、ハブの攻撃は、三段階に分かれている。第一段階は、敵に気づきカマ首を軽く上げて、警戒すること。第二段階は、とぐろを巻きS字状の態勢を作る。第三段階は、敵に飛びかかる一瞬である。それ故に、三番手を歩く人が、ハブにもっとも良く咬まれるのである。
奄美の生き物
出典:ハブ捕り物語 中本英一 三交社 昭和60年8月1日他