bP.正月に門松を立てるのは
bQ.鶏になったうそつきの占い者
bR.湯湾大親(ゆわんふうや)の父子
bS.龍郷での平家落人の悲劇
bT.殿様をやりこめる炊事係
bU.豪傑太郎はケンムンの声を聞けた

bV 恋仲を引き裂かれた美人娘
宇検村 かんつめ
 貧乏なために年貢も払えず、金持ちの家に身売りをするというヤンチュ(家人)の制度があった時代の話である。
 かんつめという美人の娘がいて、あるとき宇検村名柄(ながら)のさる豪農のもとに身売りされて来た。やがて、かんつめは機会あって隣村、久慈の岩太郎と恋仲になった。岩太郎は、かんつめとは違って、当時筆子(ひっこ)といわれた役所の書記であった。岩太郎は三味線の名手、かんつめは上手な唄者ということで、お似合いであったのかも知れない。二人は、毎晩のように、ひそかに名柄と久慈の間の佐念山の小屋で逢って、島唄を歌って遊ぶのであった。
 しかし、それは長くは続かなかった。実はかんつめを雇った主人が、彼女に想いを掛けたのである。かんつめは、もちろん拒否するのだが、本妻が嫉妬するくらいに、しつこく言い寄るのである。ところが、あるときヤンチュ仲間の友達の一人が、かんつめは毎晩、岩太郎と逢引をしていると主人夫婦に暴露してしまう。
 主人夫婦は怒り、特に妻の方は、日頃の恨みをはらさんとばかり、その極みはかんつめの体に焼き火箸を当て折檻(せっかん)するというものであった。
 かんつめは、もう岩太郎との恋は叶わぬと観念し、いつもの逢引の場であった小屋で、首をくくり自死した。その後、いじめた家は、よいことは続かなかったということだ。
 (参考『奄美大島民謡大観』)

 奄美民謡に「かんつめ節」という唄があるが、それにまつわる話である。所によって「かんていめ」「かんとみ」などと発音が異なる。異伝も多くあって、主人夫婦はそれほど、かんつめをいじめていないとか、かんつめは夜の唄遊びのために、昼間の仕事は熱心でなかったなどとも語られている。また、火箸を当てるという折檻は、ほかの話にも出てきており、この伝説自体、誇張されて伝わっていることは否めない。なお、かんつめの生存していた時代は、幕末であることは想像されるが詳しくはわからない。
 
瀬戸内町との境の佐念山にある「かんつめ節の碑」
    宇検村の地図
宇検村のホームページ

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