bP.正月に門松を立てるのは
bQ.鶏になったうそつきの占い者
bR.湯湾大親(ゆわんふうや)の父子
bS.龍郷での平家落人の悲劇
bT.殿様をやりこめる炊事係
bU.豪傑太郎はケンムンの声を聞けた
bV.恋仲を引き裂かれた美人娘
bW.為朝の子、親に似た力持ち
bX.もとは人間だった奄美の妖怪

bP0 上納の機織りで子供を失う悲劇
喜界町 五つ甕
 むかしむかし、琉球(今の沖縄県)のある集落に五人の子供を持ったお母さんがいた。とても器用な女だったので、選ばれて、王さまへ上納する絹布を織ることになった。しかし、子供が五人もいては、機織りは思うようにはかどらなかった。上納の日は一日一日と迫り、いよいよ明日となった。母親は考えたあげく、五人の子供たちを小舟に乗せ、甕壺(ハミンカー)を1個ずつ与えて遊ばせることにした。母親は機織りをしながら小舟に結んだ縄を引っ張ったり、緩めたりして子供たちと合図をし合っていた。小舟の中で無心に遊び戯れている様子に安心して、機織りに精を出していた。

 夕方になった頃、やっとのことで上納の絹布を織りあげ、やれ、やれと一安心した。その時に、わが子供たちのことに気づいたのである。声がしないので、舟のなかで寝ているのかと浜に出てみると、そこにあるはずの舟がない。母親は狂気して八方探し回ったが、どうしても子供たちの乗った小舟は見つからなかった。

 母親は神さまに祈った。「どこかの島に流れ着きますように・・・。」

 母親の一念が通じたのか、小舟は波に揺られ、流されて喜界島小野津の御神山海岸の泊(港のようになった潮溜り)に漂着した。五人の子供たちは甕壺を一個ずつ抱いたままであった。

子供たちは、アダンの実などをなめたりして生きていたが、ある日、ヤドカリをもて遊んでいるうち、舌を掛み切られ、苦しみながら死んでしまった。死体は村びとによって御神山の林に五つの甕壺とともに葬られた。

 のち、五つの甕壺は、集落の人びとによって小野津八幡の境内の祠にまつられた。現在、甕壺は三個しか残っていない。
 (原話『喜界島見てある記』)

機織りの間に子供の乗った舟が流されて死亡するという話は、徳之島では「敷島口説」となってやはり琉球の話として伝承されている。
   
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