













宮之浦川に、昭和五年宮之浦橋が島で最初に完成。
宮之浦川。宮之浦岳の真下を源流とし,そこから河口に至るまでの流れ、約16.5q安房川、永田川、栗生川と共に八重の深山から流れる幾条もの流れを集めて流れる屋久島を代表する川です。
島のまわりを取り巻く海から立ち昇った水蒸気が、山肌に添う上昇気流に乗って雲となり、雨となり、そしてこの島の類い稀なる豊かな緑の世界を育み、潤して、又海へと還る。
中国の歴史書「随書」によると、推古天皇の御代、あの聖徳太子が摂政の時代、遣唐使の小野妹子は、わが島を知っていたようだし、629年には朝廷派は、田部連をこの島の調査に派遣している。これが後に、遣唐使船が南島航路をとった際、水の補給基地、風待ちの港としての役割を担う島へとつながつたようです。
遣唐使の吉備真備は、鑑真和上を伴ってこの島に上陸している。
朝廷に出仕した人々が、この宮之浦川の流れを目にしたことでしょう。
益救神社前に広がつていた、白い砂浜では、
正月七日、砂浜をすり鉢状に深く掘り下げて、子供の日の勇壮な鬼火焚き、門松を山と積んで赤々と炎を吹き上げた門木の燃えかすを、厄よけに欲しくて砂の斜面になだれのごとく殺倒した。
砂浜は私達の町を生き続けさせる大切な生産の場でもあり、トビオ魚、キビナゴ等の塩漬、販売、年二回の大掃除も川は人々で、貨物船の荷物、客船の乗船下船でも賑わつた。
この豊かな森を育んだのは島の周りに広がる海です。
渚は、自然のリズムをもっとも強く、もっとも微妙に感受出来るところである。
波の洗い清めた砂浜の上に季節は去来し、朝と夕がとおりすぎる。
満潮と干潮の反復、渡り鳥、塩の香、海風。それらが一体となって自然のリズムを形成する。私の少年時代の体感と歴史に学ぶ。
益救神社通り(旧・宮之浦一丁目商店街)
渡し舟で、イタリヤ人宣教師シドッチは小島から宮之浦の島津藩の手形所に護送された。(この川を渡し舟で渡った1708年の8月が過ぎようとする頃。)
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益救神社は、天津日高彦火火出見尊(火遠理命、山幸彦)大山祇尊(大山津見神)木花開耶姫尊、塩土翁尊(塩椎神)豊玉彦尊、豊玉姫尊、玉依姫尊、境内社、くしいわまどの尊、豊磐まどの尊旧、益救神社は、天津日高彦火火見尊を祭神として正祀する神社でであります。
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