坊津・秋目から笠沙方面へ向かう国道226号線の右端に、神代の遺跡があります。
 
笠沙の町名の由来となった「阿多の笠沙の岬」は古事記や日本書記に出てくる地名で、現在の笠沙半島を指すと考えられています。
 
古事記・日本書記によりますと、ニニギノミコトはある時に笠沙の御前(ミサキ)で麗しき美人に出会い、その名を尋ねると大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘で神阿多都姫(カミアタツヒメ)、またの名を木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)と云い、この姫を妃に迎えることになります。
 
やがて二人の間には三人の皇子が誕生し、長子は火照命(ホテリノミコト)と云い隼人の阿多君の祖となり、末子は火遠理命(ホオリノミコト)、またの名を天津火高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)と云い天皇家の祖となったと伝えられており、ここ宮ノ山は皇孫発祥の大ロマンの可能性を秘めた実に神聖で由緒ある地とされています。
 
また、南さつまには、木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)をはじめ、海幸彦・山幸彦(ウミサチヒコ・ヤマサチヒコ)の生誕を伝える伝承の地もあります。

沖秋目島と神々の渡来の地とされる黒瀬海岸。
海上に浮かぶ沖秋目島〔別名:枇榔(ビロウ)島〕と、雨風に耐えて逞しく生きるヤシの木と枇榔の木。(素晴らしい眺めがご覧頂けます。)
 
遥かに続く野間半島と、野間半島全景。
枇榔(ビロウ)島沖に沈む夕陽(この界隈で眺める夕陽は、いつも素晴らしいです。)
 
まるで時が止まった様な、神代の時代を偲ばせる光景に出会える場所です。
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