また、この辺りを「こさっどん」と言う所から高札の場所(法度などを記した立札を立てていた場所)であったと言う説と、沖縄県の石垣島にある崎原御岳(さきはらうたき)の伝説の白髪の老人が、八重山から坊津に鍬、鋤、鎌などの農具を求めに来、開けてはならない「櫃(ひつ)」を授けたと言う話が、沖縄の琉球国由来記の14に伝えられています。 これらから推定しますと「こさっどん」は「耕作」つまり農業の神として祭っていたことも想定されます。
現在でも石垣島の大浜村に有名なヒルマクイ、幸地玉ガネ兄弟が坊津へ渡った話と、その時の「櫃」の中の神を崎原御岳に新神と称して祭ってあるとのことです。
下浜集落の船戸神社の上手の細い道の脇にあります。 指宿市山川町でしかとれない黄色っぽい山川石と称する石で出来た三重層の塔で、県下でも二番目に珍しいものである。
下層正面に青面金剛(しょうめんこんごう・病魔や病鬼を追い払う菩薩)を中心に鶏、三匹の猿が彫ってあり左側に奉寄進庚申結衆中、右側に宝永8年(西暦1711年)などの文字が鮮明に判読できます。 道教の影響を受けた庚申講(こうしんこう)と関連があると言われています。
これは平安時代以降盛んだった民間信仰組織で、干支(えと)の庚申(かのえさる)にあたる夜は徹夜して、会食・談合を行う信仰があり、後に社交の場として継続されて来たようではありますが、現在では以前の様な習慣は途絶えています。
この井川は昔、弘法大師が西国行脚の途中、のどが渇いたため浜に杖をさされたら水が湧き出てきて渇きを癒されたと伝えられています。
地元では「まっどくんがわ」と呼んでいますが、近くに東光寺まつ堂があった所から、この一帯を「まっどう」と呼んだことから、こう呼ぶようになったものと推定されます。
現在では、生活用水としては利用されてはいませんが、由緒ある遺跡であることから、地区内の有志の方々が定期的に、付近の清掃や井戸さらえ等を行っております。
秋目では、ション・コネリーと浜美枝との共演の場面等が撮影され、真夏の暑い最中ではありましたが、ロケ一色に塗りつぶされ、町外からも沢山の見物客が押し寄せ賑わいました。
これらの出来事を忘れないためにと、秋目の有志の方々が、ション・コネリーや丹波哲郎等にサインを貰い、当時開設された国道226号沿いに記念碑を建立しました。
中央の画像は、当地に生息する樹齢千年を越える 『アコウの木』 、何とも奇妙な木で必見の価値があります。