針の穴から「世界」を覗く

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 20世紀に少年時代を過ごした僕らは、21世紀はまぶしくも輝かしい平和と繁栄の時代なのだと、漠然とそう考えていた。科学や文明の進歩がこの地球上に斉しく幸福をもたらしてくれるのだと、世界のことなど何も知らない少年は、純粋にそう信じて疑うことなく大人になった。
 ところが、どうだろう。20世紀末から急激に進むグローバル化は、この世界に斉しく競争を生み出し、富の偏在を加速し、貧富の格差を広げていく一方だ。絶望の淵から生まれたテロリズムは過激さを増し、そのテロを撲滅するための「正義」と称する報復戦争が始まった。
 こんなはずじゃなかった。何かが違っている。僕らはもっと世界のことを知らなければならないのではないか。そんな思いでインターネットにかじりつき、「針の穴」から覗いた「電話線の向こうの世界」のことを、引用したURLを明記しながら、少しばかり書いてみたい。
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 最初に断っておくが、インターネットはゴミの山である。嘘も真実(まこと)も、軟派も硬派も入り乱れているし、時には、嘘が瞬時に千里を走ることもある。
 例えば、ニューヨークへのテロに歓喜するパレスチナ市民の映像について、あれは10年前のお祭りの際の映像だという誤報があった。南米のある大学生の発言だったのだが、この発言は数日のうちに世界を駆けめぐり、湾岸戦争の際アメリカが「油にまみれた水鳥」の映像による情報操作で世界の世論を味方につけた経緯を知る人間たちは「さもありなん」と思ったのだった。正直に言うと、僕もその一人である。しかし、あの映像はテロ当日にロイターのクルーが撮影したものであったというのが事実である。
 とは言え、ロイターのクルーの取材方法や映像の編集・呈示の仕方にいささかの問題があったと言えそうなのも事実であり、
http://www.jade.dti.ne.jp/%7Ejpj/jp-CNNberlin010925.html
それ以降の欧米メディアの報道が相当な「自主規制」によって「取捨選択」されたものであったり、時にはでっち上げとさえ言えそうなものが多々含まれていたのも事実である。
http://www.smn.co.jp/tks-j/opinions2/011025y.html
 我々の目に映る「世界」が、どのような視点から眺めた「世界」であるのかということを検証しようとするとき、比較的容易に接触できる(少なくとも、日本国内においては容易であるだろう)インターネットを利用しようというのは、あながち無駄なことではないだろう。
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 ブッシュ大統領によれば、今年は戦争の年であるらしい。野球好きの彼は、スコアブックをつけるようにして同盟国の働きを評価するのだと公言している。
http://miiref00.asahi.com/international/kougeki/K2001122200379.html
何ともやりきれないが、もともと、この大統領の発言の中には、多少の違和感を禁じ得ない言葉が少なからずある。「十字軍」という失言や「お尋ね者、生死を問わず」というのは有名になったが、僕にとっては「The world will win (世界は勝つ)」という言葉も違和感に満ちたものだった。その「世界」とは、一体どこの世界なのだろう。
 西洋の東洋に対する優越感(あるいは傲慢)を克明に描き出した「オリエンタリズム」の著者、エドワード・サイード(米コロンビア大学教授)は、テロ事件直後の9月16日、ガーディアンへの寄稿の中で次のように述べている。「それよりも気が滅入るのは(略)平均的なアメリカ人にとっては、西海岸と東海岸にはさまれたこの大陸が世界であり、この大陸の外部は極端なほどに遠いところとして、意識の外に追いやられている」。
http://www.nakayama.org/polylogos/chronique/204.html
(原文は、http://www.observer.co.uk/comment/story/0,6903,552764,00.html
また、昨年インターネットで流れたジョークの中には「アメリカ人には『世界の他の地域』という言葉の意味が分からない」というものもあった。
http://www.edagawakoichi.com/express/e-amerikajinniwananiga.html
 しかし、難民の受け入れにも消極的で「世界で最も閉ざされた先進国」である日本の国民には、そんなことを云々する資格はないのかも知れない。サイードの言う「平均的なアメリカ人」の感覚は、誰にでもチャンスを与える、自由な、開かれたアメリカの「普遍性」に対する自負の裏返しであるとも言えるだろう。陽気で、お節介なほどに親切な、彼ら「善良なるアメリカ人」にとっては、世界を知るためにはアメリカだけを知れば、それで十分なのである。
http://member.social.tsukuba.ac.jp/tanaka/america3.htm
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 合衆国大統領はこうも言った。テロリストたちはアメリカの自由が憎いのだ、と。同意するわけではないが、テロリストたちの母国であるサウジやエジプトでは、自由が著しく制限され、女性の権利も抑圧されたままであるらしい。もっとも、タリバーンの「圧政」を非難し、アフガンの人権状況についての詳細なレポートを公開している
http://www.isc.meiji.ac.jp/~takane/special/afghan-HR/afghan-HR-Rep-top.htm で邦訳が閲覧できる)
アメリカがサウジやエジプトの人権状況を問題にしたのを見聞きしたことはないし、これらの国の政権を支援しているのはアメリカ政府である。
 アメリカがサウジを支援する背景には、ヤルタ会談直後の45年2月、ルーズベルト大統領とサウド王との間で交わされた「アメリカがサウジの石油にアクセスする特権を得る代わりに、アメリカがサウジを防衛する」という密約があると広く信じられているという。
http://members.jcom.home.ne.jp/katori/klare.html
もちろん、これは「石油陰謀史観」とでも云うべきもので、公開された確たる証拠がある話ではないだろう。
 しかし、さらに驚くべき事には、米英の右派の間では「植民地主義の復活こそが解決策である」という赤裸々な論調が公然となってきている。
(例えば、http://tanakanews.com/b1114suntimes.htm
「問題がある(イスラム教の)国々は、地元の人々に政治を任せていると周りに迷惑をかけるだけなので、英米が植民地支配していた状態に戻すべきだ」とするこれら右派の声は、「欧米は今日まで中東に対する『間接統治』を続けて」きたのであり、「中東では『独立』は欧米が間接統治を続けるための表面的な変化にすぎず、欧米が必要と思えば、武力で中東諸国の独立状態を破壊し、直接統治に戻す権利を英米が持っている」と主張しているのだという。
http://tanakanews.com/b1114colony.htm
 エジプトを間接統治しているのがアメリカだというのなら、エジプト国民の自由を抑圧しているのは他ならぬアメリカであるということになる。テロリストたちが憎んでいるのは、決して「アメリカの自由」などではないだろう。
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 アメリカでは、今回の戦争を「報復戦争」ではなく「テロ撲滅のための戦争」と位置づけている。もちろん、国民のなかには「やられたらやりかえすのが当然」という意識もあるが、公的には「テロ撲滅のための戦争」であり、「報復をやめろ」ということ自体、議論をすれ違わせているだけだという。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/diary4.html#greetings)。
 であればこそ、ソマリア、イエメン、スーダン(さらにはフィリピン、インドネシア)へと戦線を拡大することも当然の選択肢のように語られるのだろうが、
http://tanakanews.com/b1224somalia.htm
その戦争で殺されるのは、テロリストとは何の関係もない無辜の民草である。
 前国連難民高等弁務官の緒方貞子氏はアフガンをして「世界が見殺しにした国」と語っているが、
http://miiref00.asahi.com/national/ny/news/011006ogata.html
見殺しにする以前に、アフガンのテロ活動を組織し、ソ連を「わなにはめた」のはアメリカである。
http://www.ne.jp/asahi/home/enviro/news/peace/blum-J
これは、ホメイニ革命に対するアメリカの対抗策でもあり、その一環としてイラクの軍事強化に狂奔したのもアメリカである。自ら育てたフセインの軍隊と戦い、その後の制裁の影響で50万人ものイラクの子供が死んだとも云われるが、アフガンにおける「正義の戦争」も同様の経過をたどっているようだ。
 昨年10月、アフガンの子供達にポリオワクチンを接種するために3日間の停戦を求める声明が多くの人道団体から出されたが、アメリカは頑として聞き入れなかった。
http://miiref00.asahi.com/national/ny/ikezawa/011110.html
この話にはさらに後日談があり、ユニセフとWHOはアメリカに遠慮してのことなのか、正式な停戦要請を出せなかったとも云われている。
http://www.eeeweb.com/~constitution/vaccine/matsuda2.html
戦争犠牲者の中に一般市民が占める割合は文明が進むにつれて高くなっていく、と言われるが、直接戦火に焼かれずとも、大国の思惑の犠牲になるのは、やはり、武器など持たない一般市民なのである。
 アフガンでは「誤爆」その他による一般人犠牲者の数だけでも既に同時多発テロでの犠牲者数を上回っている。
http://www.lifestudies.org/jp/tero16.htm
(原文は、http://www.commondreams.org/views01/1220-10.htm
死者の数で「取引」をするつもりは毛頭ないし、そういう立場にもないが、何ともやりきれない。
 生成文法理論で有名な言語学者、ノーム・チョムスキー(米マサチューセッツ工科大学教授)はアメリカこそが「ならず者国家」であり、テロを行ってきたと厳しく指弾している。
(多くの発言があるが、例として、http://www.gifu-u.ac.jp/~terasima/peace.htm
(原文は、http://www.zmag.org/GlobalWatch/chomskymit.htm
チョムスキーの指摘する「大国は望むようにやり、小国は課せられたものに耐える」という国際政治の現実には深い悲しみと強い憤りを覚えるが、西側諸国の多くは「大国クラブ」のメンバーに踏みとどまるために、アメリカと行動を共にする。湾岸戦争当時、フランスのミッテラン首相は、戦争に参加するのは、"Club des Grands"(大国クラブ)の一員である保証を得るためだと認めていたし、コソボ戦争でアメリカを支援したイタリアのマッシモ・ダレマ首相も、同様の発言をしている。
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 ため息が出る。ぜんたい、僕らには何が出来るだろう。あるいは、何をするべきなのだろう。身近な、出来る援助を惜しみなくすることが第一だろうが、同時に、もっと深く知るべきことがあると思う。
 ひとつには、今まで見過ごしてきた世界のありさまについて、歴史をひもといて勉強し直すことが必要だろう。
 イタリアのベルルスコーニ首相は「イスラムにはミケランジェロもダビンチもいなかった」と西欧文明の優越を誇る発言をした(後に撤回)が、西欧におけるキリスト教文化の論理化は、アリストテレス哲学をアラビア人から(アラビア語で!)学ぶことから始まったのであり、17世紀に始まる「ヨーロッパの近代化」に至るまで、圧倒的な優位性を保持していたのはイスラム文化圏の方であるという。
http://world-reader.ne.jp/interview/yawata-010918.html
 キリスト教、イスラム教、いずれの宗教もユダヤ教から派生したものであることを知れば、イスラムの女性のヒジャーブもカトリックの修道女のベールも、その起源は、同じく旧約聖書の記述にまで遡ることが出来るという事実に行き着く。ヒジャーブやブルカを女性抑圧の象徴と捉え、イスラムの女性たちが虐げられているとする見方も、偏見に基づく「虚像」に過ぎないということになるだろう。
http://journal.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=82259
 マス・メディアが伝えるものは、多くの場合、西欧的な歴史観や視点に基づいている。もちろん、メディアの側にも「氾濫する情報の臨界」への危機感や、その取捨選択についての反省はあるのだが、
http://members.jcom.home.ne.jp/katori/sakurai.html
それとて、国家という枠を外して「世界」を眺める視点には欠けている。
 そこで、もう一つには、その国家だの文化圏・文明圏だのという大げさな枠を外して、僕らと等身大の人間たちの暮らしぶりを知ることが必要だろう。現地で地道な活動を続けるNGOや、
(例えば、中村哲医師が注目を集めたペシャワール会=http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/
現地に生業(なりわい)の拠点を持つ人たち
(例えば、イスラマバードの日・パ旅行社=http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/
の報告は、日本語で接することの出来る貴重な資料である。
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 以上、インターネットという「針の穴」を通して眺めた「世界」の話をしてきたが、実は、もっと身近なところにも「世界」との接点はある。
 昨年末、職場に実習にやってきた中国からの留学生と、喜界島の話でひとしきり盛り上がった。聞けば、彼女は99年夏のハンスー交流
(兜坂岩二さんのホームページ=http://www2.synapse.ne.jp/iwani/に、ハンスー交流の詳しい情報が載っている)
で喜界島を訪れたのだという。「島の人たちには本当に良くしてもらいました。喜界島はいいところですよね」と話す彼女は、今でも当時のホストファミリーと家族同然の付き合いをしているらしい。
 パソコンの画面にしがみつき、電話線の向こうにある「世界」を「針の穴」から眺めるような、頭でっかちな「国際理解」よりも、地に足の着いた素晴らしい実践が、わちゃ島=喜界島にはあったわけだ。
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 最後に。
 9・11以降、私と同じようにインターネットに情報を求められた方は多くおられると思うが、これから探そうという方は、加藤哲朗氏の「イマジン」というページをご覧になるといいだろう。
 http://www.ff.iij4u.or.jp/%7Ekatote/imagine.html
 現時点では、最強の「針の穴」であろうかと思う。
(Jan. 14, 2002 OHGUCHI Bak)