片思い

岩下画伯の死を悼む

 「近くに僕のアトリエがあるんだ。良かったら今度遊びに来ないか?」
 そう声をかけてくださったのは岩下さんではなかったのか。折に触れて思い出すあのときのこと。僕の疑問は解けないままで終わってしまいそうだ。
 岩下さんが亡くなった。

 学生時代、武町に住んでいた頃だから、もうかれこれ20年近く昔のことだろうか。バイトと夜ごとの酒盛りに明け暮れ、島を出たときの「青雲の志」めいたものをすっかり忘れかけていた僕は、夜のバイトで疲れたからと講義をサボり、雨が降ったと言っては「自主休講」し、昼となく夜となく近所の喫茶店に入り浸っていた。
 ある日のこと、マスターから美術談義をふられた僕は「ゲージツなんて全然分かんない」「中学校の時なんて、通知票に2をもらったこともある」などと、恥ずかしげもなく、いや、少なからぬてらいをもってなのだが、「出来ない自慢」を吹聴していた。「なにせ喜界島の『島出し』だしね」「美術なんて大嫌いなんですよ」と言ったその時、カウンターの端っこに座っていた白髪の見慣れぬ老人が口を開いたのだった。
 「美術なんて大嫌い、っていうのはちょっと寂しいな」
 マスターから「先生」と呼ばれるその老人は、見も知らぬ小汚い学生に向かって、続けてこう言うのだった。
 「近くに僕のアトリエがあるんだ。良かったら今度遊びに来ないか?」
 自分がどんな返事をしたのか覚えていない。ただ、何となく呆気にとられた気持ちでいたことだけを覚えている。
 アトリエには行かなかった。今度会ったら、とは思っていたが、僕自身ほどなく引っ越してしまい、その老人とは二度と会えなかったから…。
 あれは岩下さんではなかったのか。そう思うようになったのはずいぶんと後のことだ。

 岩下さんとお話ししたことがあるわけじゃない。
 もともとは、郷里の大先輩に「偉い絵描きさん」がいるらしい、と聞いたことがあった程度だった。
 ただ、一度だけ、10年以上前だろうか、喜界会だか喜界育英会だかの会合に出たとき会場でお見かけした。あの喫茶店で、アトリエに遊びに来ないか、と声をかけてくれた老人に似ているような気もしたが、大先輩ばかりの会場の隅っこで小さくなっていた若輩者は、挨拶に行こうなどという勇気も湧いてこないのだった。
 でも、あれは岩下さんではなかったのか。
 いや、やはり人違いかもしれない。それに、挨拶に行ったところで、喫茶店の片隅で交わした一言・二言を覚えていてくれるわけもない。
 だが、どうして確かめてみなかったのだろう。今頃になって、悔やまれてならない。

 粗野で粗暴に振る舞うことを格好良さと勘違いして過ごしてきたあげく、花の名前も星の名前も知らないままで大人になった。そんな自分が恥ずかしく思えてきたのは社会人になってからだっただろうか。きれいな絵を眺めてみたい、そんな気持ちが湧いてきたりもしていたのだが、僕はまだ「美術」への屈折を捨てきれずにいた。
 時は折しもバブルの絶頂期、知人の多くが、やれ油絵だリトグラフだと一所懸命で、職場に訪ねてくる画商の言うことは、二言目には「この絵は値上がりしますよ」だった。そんな空気に馴染めなかったこともあるのかも知れない。

 屈折した眼差しがまっすぐに伸びたのは、知人に誘われて何の気なしに出かけた展覧会でのことだった。ふうわりと暖かな色使いの中に、何とも透明な光が射し込んでいるような、それ以上はうまく説明できないが、強く心を惹かれる絵があった。
 出展者名の欄に「岩下三四」と書いてあった。この人に、岩下さんにささくれだった気持ちを救われた、そう思った。
 「美術なんて大嫌い、っていうのはちょっと寂しいな」
 あのときの「先生」の言葉が記憶の底からよみがえってくる。
 やはり、あれは岩下さんではなかったのか。

 それから、島の先輩に会う毎に岩下さんのことを訊いてみた。多くの人は「岩下先生」と呼ぶのだが、中には「三四ッキー」と呼ぶ年輩の方もいた。いずれにせよ、誰もが敬愛の念を持って呼ぶ人、それが岩下さんだった。
 画業の成功は当然として、皆が語る岩下さんは、権威におもねず、何ものにもへつらわず、しかし決して偉そうなそぶりをしたことがない、その生き方こそが尊敬されているようでもあった。
 やがて、岩下さんのことを書いた文章などが目に留まるようになり、知らず知らず、見も知らぬ同郷の大先輩が自分の「先生」であるように思えてくるのだった。
 きっと、あれは岩下先生ではなかったのか。
 かなうことなら言葉を交わしてみたい。叶うことのない気持ちの中で、あのときの「先生」が岩下先生と重なっていくのを抑えることが出来なかった。

 岩下先生は、卒寿を超えて個展を開かれた。最終日間近になってどうにか見に行くことが出来た。帰る道すがら、わけもなく涙が出そうになった。

 この「片思い」は何としたことだろう。
 不惑を迎えてなお募る不思議な感情。僕はいまだに、絵の善し悪しはもちろん、花の名前も、星の名前もそれほど知らない。美しいものと無縁で生き続ける人間が、画壇の老大家に思いを寄せている。遠くから、畏れと敬いの念を抱いて、泰斗の彼方を見つめている。

 そして、先日、僕の泰斗はとうとう本物の星になってしまった。
 「美術なんて大嫌い、っていうのはちょっと寂しいな」
 そう呟いた「先生」は、実は岩下先生ではなかったのかも知れない。だが、今や確かめるすべもない。だから僕は、あれは岩下先生だったのだと思うことにした。
 こうして、僕の「片思い」は、やっと幕を閉じることになった。

Aug. 12, 2000, Ohguchi Bak