奄美 21世紀への序奏 「何を残し、何を変えるか?」

 20代前半から台湾で過ごした10年間は私にとって故郷奄美、喜界島を外からみつめることができた貴重な時間でもあった。台湾の風土と歩んできた歴史は奄美のそれと共通する部分があるように思える。今でも都市部から一歩足を運ぶとそこには、ソテツやガジュマル、モクマオウの防風林、そしてバナナやパパイヤの実を眺めることができ、台北市内でも昔かじっていたサトウキビを食することができる。
 歴史的には、日本による50年に及んだ統治を含め、幾多の異民族の支配者が現れそして消えていった。友人達の祖父母は日本人として生き、そして自分や子ども達は中国人として生きてきた。そして彼らは今、台湾人として生きる道を選択しようとしている。若い世代でも日本語を話す者が多く、国語と称する共通語(北京語が母体で、大陸では「普通語」という)を完璧に操る一方、家庭では台湾語(福建語の一系統。文字表記できない)を話す。中国の南方の方言(広東語、上海語、福建語など)は国語との差が大きく、中国人でも他省の人は聞き取れない。ちょうど日本における共通語と我々のシマユミタ(方言)の関係に似ている。勿論、現在も公用語は国語である。彼らはその境遇がゆえに、日本語や、国語を習得して生きてきた。しかし、家庭では子や孫に台湾語を教え「台湾人の心」を伝えることを忘れなかった。国語しか話せない私にとって台湾語の世界は正に別世界だったが、彼らの生き方は私にとってはとても衝撃的で、新鮮でもあった。
 国際的には孤立化の色を強めており苦しい状況にありながらも、人々は陽気に、生き生きと暮らしていた。しかも、なぜか別世界にいながらも閉鎖性や排他性など微塵も感じたことはなく、よそ者の私に台湾語を強要することもなかった。相変わらず私には国語を、彼ら同士は台湾語をと、器用に使い分けていた。更に台湾には中国各地から移り住んだ人々がいるため、各地の食文化も楽しめる上に各種の方言が飛び交っており、さながらミニ中国大陸の様相を呈している。そうした異なる文化背景を持った人々が「自分らしさを堂々と表現しながら、外来者をも巻き込んでしまう」空気は魅力的であり、私自身とても爽やかな気分であった。日本では体験したことのない空気である。

 21世紀は地方の時代と共に、国際化の時代でもある。地方が主体的に国際化の道を歩みながら、個性をいかにアピールし、地域の魅力を引き出せるか、がカギとなろう。奄美が沖縄と鹿児島の谷間に位置し、双方の文化の影響を受けて今があるとすれば、それもまた奄美らしさ(個性)といえる。一世代前までは、シマッチュの世界は集落内か、せいぜい島内だったが、このわずか半世紀足らずの間に、一気に地球規模まで広がった。私が住む人口9000人の喜界島にも外国からのお嫁さんが10数名もおり、すでに国際化の先端を走っていると言っても過言ではない。
 21世紀を迎えようとする今、これまで奄美が歩んできた歴史を振り返り、これから我々はどう生きていくべきか考えようという動きがでていることは意義深い。子どもの教育同様、地域の優れたところを見つけ出し、それを伸ばしつつ、欠点を改善していくという作業を一人一人が具体的に行動に移すべきであろう。それは、また、子や孫達に「大人たちが真剣に何を残し、何をどう変えようと努力しているのか」を示すことにもなり、奄美人の心を伝えることにもつながる。そこに住む人々が輝いていない所は魅力がないし、魅力がない所から人は離れていく。多忙を極める現実の生活の中にありながらも、10年後、30年後、50年後・・・を見据えながら今を生きる姿勢が一層求められるであろう。

 国際化の時代を奄美の個性を出しながら生きていく具体的私案がある。
 この小さな奄美に2社の地元紙があることは誇りとするところだが、活字による文化発信と同時に音声や映像での文化発信も欲しいところだ。つまり、ラジオとテレビである。すでに両隣の沖縄と鹿児島にはそれらがあり、地域の言葉での放送も聞くことができる。周知の通り、ラジオ沖縄に至ってはCSで全国放送まで展開している。我々も先ずラジオ局からでも開局できないものだろうか。ラジオ、テレビから方言(または方言交じりの共通語)が流れてくる個性的な番組は、島外から来られた方々にもより深く奄美を理解する媒体となるであろう。内容は群島広域番組(全郡版)と各市町村の独自の番組(地域版)で構成し、既存の各地域のケーブルテレビ各局とも連携したい。奄美の振興の為に使える国家予算もあるので大いに活用したいものだ。
 また、「灯台下暗し」と言われるように、足元の宝物には気付きにくいので、外から奄美を見つめる出身者や地域に住む島外から来られた方々の声を大事にしながら人的ネットワークの構築、強化も図りたい。その観点から市町村役場にも島外出身者を積極的に採用してはどうだろう。奄美の内外の環境が急速に変わりつつある中、「奄美のことは奄美に住む奄美人だけで考える」時代は終わった。シマっちゅの世界が集落や島内だった時代の考えで現在や未来を語るのは危険であり、異なる文化背景や価値観を持った人々を排除する狭隘な生き方から脱皮してこそ奄美の未来は開ける。
 価値は十分にあるのだから、我々はもっと自信を持って奄美を広く世界へ向けてアピールしてもいい。島は小さいが目の前の海は世界へとつながっている。地球規模で奄美を考える時代がすでに到来している今、「奄美人の心」を皆で再確認しながら新世紀を迎えたいものだ。

 いくしま・つねのり 一九六〇年喜界町生まれ。拓殖大学中国語学科卒、国立台湾大学大学院中退。台北市の日本語学校教師などを経て九二年帰省。島からの情報発信を目的にしたミニコミ誌「わちゃ島通信」主宰。集落広報誌「上嘉鉄魂」編集員。共訳書に『文物光華(一)故宮の美』(国立故宮博物院刊)など。

2000年03月15日、南海日日新聞掲載