喜界島「天女の羽衣」伝説を追う

その2:「天女」の遺品

 喜界島の「天女の羽衣」伝説の特徴は、「羽衣」そのもの、およびその他の「天女」の遺品が実際に残されていることである。現実にはノロの衣装や祭祀の道具だと思われるのだが、それにしても興味深い。
 勾玉や銅鏡などが遺されているところをみると、かなり身分の高い、あるいは身分の高い人物(琉球王朝とか?)との交流のあった人物のものではないかと想像を逞しくしたりするのだが、もとよりWEB masterは門外漢なので、コメントは差し控えたい。
 論より証拠である。現物をご覧あれ。

天女の遺品・全体像

 ひとまず、これが天女の遺品の全体像である。
天女の遺品・櫛・銅鏡など

 ここに見えるのは、祭祀の道具と思しきもの、櫛(左下)、銅鏡(櫛の直上)など。
天女の遺品・勾玉など

 ここに見えるのは、勾玉(中央左)など。フロッピーディスクは、サイズの確認のために配置したと思われる。もちろん「天女」の遺品ではない。(^_^;;

天女の遺品・祭具(1)天女の遺品・櫛・銅鏡

 左側は「天女」の櫛と銅鏡。右は何か祭祀の道具であろう。

天女の遺品・勾玉天女の遺品・祭具(2)

 左側は勾玉。右は何か祭祀の道具であろう。蓋の裏に何やら書きつけられているが、判読できない。船から飛び立つ鳥の絵に何やら2行書き添えてあるように見えないこともないが、絵と見えるものは単なる汚れかも知れない。
天女の遺品・羽衣(1)

 右の写真が問題の「羽衣」。ノロの祭祀用の衣装かも知れないが、WEB master にはよく分からない。
20000514追記広報きかい平成12年03月号10ページのコラム「わが町の文化財」というコーナーで、この「羽衣(ノロ神具)」が紹介されていた。
 それによると、「時代は不明だが襟の付け方などから桃山時代以前の貴族階級が着用したものと推定され」、「布地は中国またはインド産といわれ、織物史上貴重な資料」とのこと。
天女の遺品・羽衣(2)

 これも「羽衣」。襦袢のようなものであろうか? WEB master にはよく分からない。床に置いてあるところを見ると傷みが激しいのか?