H氏の反論:喜界島、こんなに面白い

 拙稿「私なりの喜界島の紹介」を某H氏にご覧頂いたところ、「生まれ島の事を何も知らない。認識を改めよ」とのお叱りを頂いた。
 その際、同氏から送って頂いたのが、下記の文である。
 とりあえず項目だけ、との事で送っていただいたのだが、喜界島を知るキーワード集としても興味深いと考えたので、以下に掲載する。
 いずれ同氏から細かな紹介文が届くと思われるが、私も自分の知るところについては、いつか紹介文を書いてみたいと考えている。

 Back to Bak's Home


butterfly_2 1.喜界島の位置、地理
  鹿児島市〜380キロ  笠利〜22.5キロ
  周囲:48.6キロ,東西:7.75キロ,南北:14キロ
  標高(百之台):224m
  島尻層 琉球石灰岩 隆起珊瑚礁 年間隆起1.7〜2.7mm
  集落構成 海岸線に25集落  山の手に8集落

2.歴史
 ・呼称 『続日本紀』爾賀委  『東鑑』貴海島  『平家物語』鬼界島
     『琉球史』奇界島   『喜界島代官記』喜界島
 ・統治
  縄文、弥生 大和朝廷との交流 琉球喜界討伐   薩摩琉球征伐     廃藩置県
        太宰府直轄解る  尚徳王
  4000年前  824年     1466年      1609年       1871年
        アジユー(豪族)  ナファユー(那覇世) サツマユー(薩摩世)  砂糖地獄

2.産業
  基幹産業は農業(大島紬)
  耕地面積:2,237ha
  基盤整備面積:1,926ha(86%)
  人口:9,513人
  戸数:4,033戸
  農家戸数:846戸(専業420戸,兼業426戸)
  基幹作物:さとうきび,大型経営(機械化、省力化)
  複合経営(メロン、西瓜、菊他花卉、マンゴウ、たんかん、スイートコーン、蚕豆、インゲン等)
  畜産(和牛肥育):97戸(1,600頭)
  地下ダム(国営事業) 農業用水資源:1,624ha(85%)
  1期工事 平成4年〜11年 地下ダムと汲み上げ施設の工事
  2期工事 平成7年〜17年 送水施設の工事

4.教育
  保育所3  幼稚園8  小学9(複式5) 中学3  高校1
   (174)    (670)   (377)       (331)

5.史跡
 1.代官合祀之墓
   1610(慶長18)年  大島代官 仮屋笠利 大島喜界之御奉行始り
   1693(元禄06)年  代官大島ト相分カル
   180年代官が置かれる 代官他24名の役人が死亡
 2.村田新八修養之地の碑
   1862(文久2)年 7月2日 喜界島へ
   1864(元治元)年 2月26日 喜界島出発
   1年8ヶ月喜界に滞在 若者に読み書き武芸を教える
 3.仮屋の跡
   1693(元禄6)年 代官設置
   1875(明治7)年 代官廃止   182年間 91代
 4.御殿の鼻(うどんのはな)
   1466(文正4)年 尚徳王喜界討伐
   琉球王尚徳は兵2千余、軍船50余隻で喜界を攻撃、島民此処で迎え撃つ。
   3日抗戦遂に降参、総指揮の長嘉斬首され琉球の治下となる。
  薩摩が琉球を討伐する迄240余年琉球の支配下となる。
 5.僧俊寛の墓 (地名 坊主前 ボウズンメー)
   1177(治承元)年 平家討伐の謀議発覚鬼界島に流罪
   1181(養和元)年 鬼界島で没した
   1974(昭和49)年 墓石下から人骨発見
   1975(昭和50)年 鑑定
   1985(昭和60)年 京都平安博物館 開眼供養
 6.雁股の泉(小野津集落)
   保元、平治の頃  鎮西八郎為朝 八丈島から琉球へ
   途中島を発見雁股の矢を放つ、後日上陸して矢を抜く・その跡から泉が湧き今に到る、この泉を雁股の泉という。
 7.ウラトミの墓(小野津のムチャカナ公園)
   1821(元和元)年 薩摩は奄美の検地を行う。
   加計呂麻島(カケロマジマ)の生馬(イケンマ)の生まれ、美人 ウラトミは役人の妾になるのを拒み
   小舟に乗り流されて小野津に着きここで暮らす、娘のムチャカナも美人であったが故に友の嫉妬にあい死を遂げる。
   此処にウラトミを祀る。
 8.平家落人の史跡 (志戸桶集落)
  A.沖名泊(ウチニャートマイ)
    1202(検仁2)年 平 資盛 志戸桶の沖名泊に漂着、七城と平家森を築き、
    喜界島で3年過ごし、後大島本島へ渡る。
  B.七城跡 (ナナジョウ)
    志戸桶と佐手久の中間増花田(マシケダ)に築城する
  C.平家森 (早町の後背地)
    海からの敵の監視所とする

6.町指定文化財
  祭祀    弁財天木像(伊実久厳島神社御神体)
  経石    1石1字経文がが書いてある)
  能面    塩道高千穂神社・1700年代面打師出目満茂作 薩摩藩主使用の物)
  宗教    草紙,勾玉,ノロの神具(200年程前祝女が使用した神具)
  美術・工芸 槍,刀,銅鏡,香炉,薬籠,石の仏像,火縄銃,煙硝入れ,古帖佐焼(花瓶)
  焼物    棺,厨子(遺体を納めたり、洗骨した骨を納めた瓶)
  考古出土品 類須恵器(11・12世紀頃徳之島のカムイヤキ窯焼き)
  古文書   琉球辞令書(琉球服属時代琉球王から与えられた役職辞令書)
  文学    芭蕉句碑(志戸桶・芭蕉翁没後115年後の1809年建立、薩摩の
        砂糖政策に苦しむ時代に文学を嗜む風雅な活動が有った事が伺える)
  生産    白砂糖製造器(糖濾)(薩摩藩へ黒砂糖から白糖を製造して上納した道具)
  記念物   イヌマキ(志戸桶・樹齢250〜300年)
        ソテツ(中間・樹齢300年)
        その他(フクギ、ガジュウマル、ハスノハギリ等)


WEB master 註:写真は喜界島を北限とするオオゴマダラ蝶