鹿児島で2件目のアスベスト労災認定される

 厚生労働省が昨年末報告した2003年度石綿(アスベスト)曝露による悪性中皮腫や肺がんによる業務上疾病の労災認定状況は、中皮腫85件、石綿肺がん38件の合計123件で、昨年を46件上回っています。認定件数の増加の背景として、2003年9月の石綿疾患の認定基準の変更とともに、労働安全センターと「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」によるホットラインの相談活動や2004年2月に「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」が発足したことも大きく関係しています。また、ホットラインを含めた報道の広がりが相談へとつながり、労災認定の増加につながったのではないでしょうか。
 鹿児島でも2003年7月に認定された龍郷町の男性につづき、2件目として2004年3月末に労災申請した旧郡山町の男性(60歳 03年10月死亡)のアスベスト疾患による労災認定が決定しました。
 中皮腫・石綿肺がんの8割がアスベスト被曝が原因で発症する(40年間の潜伏期間)と言われています。今後40年間の胸膜中皮腫死亡者は10万人を超すと、日本産業学会でも「将来予測」が発表されています。「静かなる時限爆弾」と言われるゆえんです。

 今後、鹿児島においても相談と掘り起こしをさらに進めていきます。
 概 況
1,被災者
   生年月日:1943年3月生まれ
   性  別: 男 性
   発 症 日: 2002年8月
       「悪性胸膜中皮腫」
2,就労状況:石綿作業
   1960(頃)-1975年  S工務店 
     ・石綿入りブロック積み、石綿混入壁解体 作業(毎日)
   1975年-1978年 T社
     ・新幹線防音壁吹き付け作業(石綿混入壁) (夜間、毎日)
3,症状の経過
  以前より咳・血痰あり(2、3年前から 体重減少)
 2003年2月      悪性胸膜中皮腫で入院
 2003年10月4日  旅行先で名古屋日赤第一病院入院〜10月5日死亡
4,労災申請の経過
  2004年3月30日 (大阪)淀川労基署へ労災申請
  2005年1月19日 (大阪)茨木労基署労災認定
●高度成長期関西でアスベスト被ばく
 Hさんは1943年生まれで、いわゆる「団塊の世代」の少し前の世代で、間違いなく日本の高度成長期を支えた一人である。
 遠縁にあたる、大阪府豊中市の工務店に二十歳前に入社し、15年にわたって家屋の新築・解体作業に従事した。アスベストはそこでの断熱材や、コンクリートブロックに使われていた。当時は大阪府も飛躍的に経済成長を続けていた時期であり、多忙を極めた作業で、毎日のようにアスベストを使用していた。
 1975年には同じく大阪府の茨木市にある事業所に移り、そこで大手ガラス工場・焼却場等で、防音・防火のためのアスベスト吹き付け作業等に従事した。遠くは長崎まで作業のために出張していた時期もあった。ここでの業務は3年間にわたり、通年で18年あまりアスベストにふれていたことになる。もちろん粉じん対策は十分ではなく、Hさんの肺はアスベストを含む粉じんにさらされ続けたわけである。

●新幹線工事に従事
 また当時は、新幹線が開通した時代であり、夜間作業で防音のためにアスベスト建材を使用した作業が続いていた。そこに従事したHさんは、まさに「日本の動脈」といわれた新幹線を舞台裏で支えた一人であり、それは騒音・振動対策に奔走した新幹線の暗い歴史の、さらにふかく暗い一面であった。
 その後、Hさんは地元鹿児島に帰り、造園業・石材加工業に従事した後、近年は地元・郡山町の公共施設管理公社に勤め、安定した生活を営んでいた。

●2002年春、発症
 結婚し、二人の子どもにも恵まれたHさんを2002年の8月に病魔が襲った。診断は気管支動脈瘤破裂。幸いにもその月のうちに退院できたが、同じ年の10月に再び入院、1ヶ月後に退院。しかし数年前から顕著になってきた身体の変化は明らかで、「痩せてきたね」と、妻のS子さんもつい声をかけるほどだった。
 そして、体調不良から再び翌年2003年の2月に入院。診断が出たのが3月半ば、病名は「悪性胸膜中皮腫」。聞いたこともない病名だったが、予後不良であることを医師から聞いた。S子さんは「夫は芯が強い人だから……」との想いから病名を知らせるつもりだったが、娘二人の強い反対で、隠し通すことに決め、夫の治療の手助けを始めた。
 様々な健康食品を試し、少しでも効果があれば飲み続けた。Hさんは医師からは「胸膜炎」という偽りの診断を聞かされていたが、自分の身体の変化にはうすうす勘づいていたようで「おかしい、おかしい」とつぶやきながら、治療を続けていたという。

●ホットラインを通じて、労災申請へ
 2003年9月25日、S子さんは東京安全センターの「中皮腫ホットライン」を知り、名取雄司医師と今後の対応について話し合った。ホスピスの利用、そして労災手続きを進めることをその場で決め、名取医師は地元の支援機関として鹿児島安全センター準備会を紹介した。
 鹿児島の安全センターは、ただちに連絡を取り、当時、一緒に勤めていた弟さんとの面談も含めた対応をおこなった。また、当該の労基署が大阪府となるため、関西安全センターに連絡を取り、事業所面談、直接の監督署手続きを含めた対応をお願いした。
 しかし、「中皮腫ホットライン」への連絡からわずか10日後の10月5日、Hさんは旅行先の日赤病院で帰らぬ人となった。親戚の結婚式に出席するために退院し、無理を押しての旅行であった。
 「思えば、夫はこれが最後の旅行であるとわかっていたのかも知れません。だからどうしても行きたかったのではないでしょうか……」とS子さんは語っている。
 病院へのCT・レントゲン写真、カルテの請求は地域柄(保守的・閉鎖的なので)困難も予想されたが、すんなりと提出していただけた。担当の医師が病院を変わっていたので、それを理由に手続きが遅れたことの方がよほどの障害であった。

     (「鹿児島安全センター情報」
準備号第13号 2004.12.10より)
■労災ホットライン
     フリーダイヤル 0120−631202
      (フリーダイヤルは、常設しています。)

■アスベスト関連のHP
 アスベストセンター(中皮腫・じん肺・アスベストセンター) 
 石綿対策全国連絡会議(BANJAN) 
 中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会  
 アスベスト根絶ネットワーク  
 全国労働安全衛生センター連絡会議 
 2005年2月8日会見用資料(PDF.file) ―都道県別・監督署別アスベスト労災申請・認定状況資料含む