店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

琉球新報:落ち穂(H3.10.21)

 『あやまる岬』

 奄美大島北部のあやまる岬に足をはこぶと、東シナ海と太平洋の両水平線が合流し、直線は弧線となり、球体の地球が視覚できる。

 岬の眼下にひろがる土盛(ともり)部落のリーフは、綾に織りなした毬のように美しく、岬の名前のう由来にもなっている。そのリーフの中程に地元の人たちが、「イギリス泊まり」と呼ぶ深い溝がある。今から約百五十年前、清朝とイギリスの阿片戦争のころ、岬の先でイギリス船が難破、その溝に停泊し修理をしたと伝えられている。

 停泊中、乗組員は野営を強いられ、部落内に立ちいることを禁じられた。一人の異国女性が糧食の受給や部落との交渉のために、部落の長に差しだされた。船は修理をおえると、岬からどこかへ消えていったが、女性だけは身ごもっていたためにシマにとどまった。赤毛の女の児が産まれたが、翌年迎えがきて、女性は女の児をおきのこして異国へと還ってしまった。シマで育てられたハーフの女の児は、やがてシマの豪放者と結ばれた。という伝えだが、実はその残された女の児は、私の母の三代前の祖母にあたるらしい。

 言い伝えの残る母方の姓は盛(さかり)姓で、一族を眺めるとたしかに、独特の白い肌、赤味の髪、茶色の瞳をした人たちが現存し、今でも時々産まれてくる。私から遡ると五代前に、異国の女性が、海流の激しい岬で遭難し、シマと混血した。彼女の遺伝子は現在にいたるまで自分の存在を刻印し、われわれに何らかのメッセージを送りつづけている、としか思えない…。

 いつしかシマに定着し、毎月二回の墓参りも私の役回りになって十年をすぎた。五代前の祖母の血を感じるのは、ときおりもたげる海の彼方の異郷への癒しがたい出奔願望と対峙するとき。

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