店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

琉球新報:落ち穂(H3.7.8)

オキナワノチカク!

 「オクニワ?」と問われると「ジャパン」とこたえていた。

 「ジャパンノドコカ?」と続くから、「アマミ、カゴシマ、キューシュー、ジャパンノミナミノシマ」と説明するのだが通じが悪い。それで「オクニワ?」の問いに「オキナワ!!」とこたえると中には「シマグニカ」と返ってくる。「ソウ、オキナワノキタノアマミダ」などとつけ加えると「オキナワトアマミワチガウクニカ」と続く。話がややこしくなるので、山之口獏さんにならって「オクニワ?」と問われると「オキナワノチカク!!」とこたえるのが定番となった。

 十五歳でシマを出て三十歳で還るまで「ヤポネシア」をあてどもなく漂流してきた。時には黒潮の反流にあって「東(南)アジア」にも漂着した。韓国・台湾・アセアン五カ国、インド・ネパール辺りまで流れて、たまたまシマに還り定住十年を過ぎた。よし、次は華南から雲南、スリランカ、ボルネオ……と計画だけで終るかもしれない未踏の処女地が僕を招く。いったいどこまで行けば気が治まるのか。今世の旅に僕はどんな地図を描こうとしているのか。

 シマに戻り、琉球弧と再び静かに出会う中で僕の旅の地図への疑問は氷解していく。どうやら旅のキーワードは動物地理学でいう「東洋区」らしい。北は琉球弧、南はバリ島、西はヒマラヤの先の辺りまでの一帯。国家レベルからだと僕の住む琉球弧は日本の「南西諸島」と限定されるが、地球の動物相レベルからだと逆に東洋区の「東北諸島」ともいえる。どおりで常夏という割には冬が寒い。琉球弧から南西の地域では、波長の近い風景や生物や人たちと多様に出会うことができた。

 そういえば「オキナワノチカク!!」と答えた方が反応が良かったのも、東洋区に住んでいる人々だった。

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