店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南日本新聞:南点(H11.11.16)

「本の味」

「まさか…」と念じて冷蔵庫の扉をあけると「やっぱり!」それがはいっていた。

Q先生は夕まぐれの店頭にカブ号で現れた。白ヘルに黒ぶちメガネでほこりっぽい均一本を物色するのだ。なんでもあり。よれたポッケから百円玉をジャラジャラならせてはいつもうれしそうにして帰っていった。

「うちを見にきてほしい」

来年の転勤にそなえて先生は蔵書を処分したいという。

昼さがりにうかがうとガレージに案内された。びっしりとダンボールのかたまりたちが駐車していた。玄関から室内は雑本の峰が八重にそびえていた。部屋の中央にはちゃぶ台と万年ぶとん。おしいれいっぱいに熟睡している本たち。タンスや食器棚、流しやテーブルの下まで所狭しと本たちが群れていた。 先生がベランダへと足を進めた。そのスキをついて、ぼくはドキドキしながら、冷蔵庫の中をさっとのぞいたのだ。

暗い庫内にも本がいた…。 トイレもお風呂も床下から屋根裏まで…ちらっと頭をかすめて、ぼくはぐゎらんぐゎらんとくずおれた。

うつろな耳に先生の声が流れてきた。

奄美の中でもいなさん(ちいさな)島のとでなさん(わびしい)しま(集落)にうまれてね。ずうっと読書の味わいをしらなかったんだ。社会にでて今ごろ活字中毒者だ。鹿児島市の家も一階が本でうまって階段を上り始めてね。二階で琉球舞踊を教えているカミさんの機嫌が悪いんだ。あと十年で定年だ。古本屋はいいね。そうそう、しまの実家にもこれくらいの本が…。

 ぼくはないないないと唱えながら門をでた。店にはとてもはいらない。鹿児島県には業者用の市場がない。資金もない…。

奄美でちいさな古本屋を始めた昭和最後の晩秋のことである。平成の春がきて先生のカブ号もきえた。今ではインターネットや通販で書籍がスピーディーに届く。でも、古本屋のたなざらし本だけは店頭に限る。それぞれにこくとさびがあり一期一会の味があるからだ。

それにしても、冷蔵庫の中の本たちは先生にどんな味わいを提供したのだろうか。定年をむかえたQ先生と語ってみたい。  

(森本眞一郎)

直前へ戻る INDEXへ