店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南日本新聞:南点(H11.9.20)

「米とキビ」

旧暦のちょうど今が盛りの、「み八月」。南島の正月にあたり、 奄美各地のシマ(集落)では八月踊り、豊年祭、十五夜など が多彩だ。

しかし、豊穣のシンボルの五穀が消えうせ、地域 によっては祭る子孫も、原点のシマも学校も風前のともし火 だ。  二十年前、奄美に戻った。老いた父母は、田んぼを埋めた 百坪ほどの畑でイモ・野菜・果樹などのムン(物)づくりを していた。自給用だ。名瀬市のかつての水上マーケット、永 田橋市場近くで生育した私は、亜熱帯の土・草・虫・鳥、な によりもハブや台風や酷暑との格闘にあけくれた。いつか米 を!と夢想しているが、遠のいたままだ。

奄美のシマ島からは水田がみごとに消えた。いまから三十 年前、奄美群島の水稲は四〇〇〇ヘクタル大あった。四十年 前は六一七四ヘクタルだ。ところが、二年前の一九九七年に はわずか二九ヘクタル、九九・五パーセントの滅反だ。この 面積は、認可された鹿児島市沖の人工島計画の二四・七ヘク タルに近い。逆にいえば、人工島の約二五〇倍ものかけがえ のない奄美の田んぼが、人為的につぶされたのだ。奄美 丸の乗組員には異常な自殺行為だが、行政はこれを強力に推 進してきた。

なぜか。  四十年前の一九五九年、「国内甘味資源自給力強化総合対 策」によって大型工場が進出してきて、砂糖生産の農工分離 が始まった。国は「甘味資源特別措置法」「砂糖の価格安定 等に関する法律」などで農家所得の確保をはかりながら、同時に鹿 児島県は県への水稲の減反割り当てを、サトウキビの価格安 定を理由にほとんど奄美に割り当てたからだ。

藩政時代、奄 美三島では田んぼはもちろん、主食のイモ畑までキビ作を強 要されたために唯一、餓死者がたえなかった。くりかえす負 の歴史。  

奄美の歴史的な背景を無視して、政府は今度は、キビ価格 にも対外的な市場原理を導入しようとしている。国内の食糧 自給を高め、安全な食料を国民に提供するためにも、無駄の 多い公共事業などをけずり、農家と農村が持続可能な農業予算を くむべきだ。田んぼのない奄美から。

(森本眞一郎)

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