南海日日新聞「談論」 2003年3月17日(月)

本末転倒の公共事業
                      森本眞一郎(まちなみを守る会)

いつも戦争前夜だ。

奄美にまでも「侵攻」したアメリカ帝国。軍需産業と石油業界のために今またイラクへ。

アメリカの〇二年度の軍事費は四十一兆円。一日一千億円。なんと 一分間で八千万円以上だ。イクサは、たちの悪い公共事業だ。最大の人権侵害と環境破壊は最悪の犯罪だが、民主主義のもとでの戦争事業の責任は誰がとるのか。

そんなおり、名瀬市の三月議会を傍聴した。ここでもカウントダウンの公共事業の問題がめじろおしだった。

し尿・汚泥再処理センター、拝み山トンネル、配田ヶ丘掘削などの環境破壊と用地選定の問題。永田橋通りやシンボルロードのまちこわし。生活者や商業者は、環境や財産、居住の権利などを侵されるから、死活問題だ。被害者たちにはそれこそイクサなんだが、オカミたちのカマチにはそれがうつらない。

道・橋・港・ダムなどの公共工事は、「国や地域住民全体の利益を図るために国や地方公共団体が行う事業」という。しかし、オカミのいう地域住民全体の利益は、本当は政官業の利益、事業のための事業であり、アメリカの戦争のための戦争と同じだ。だから、多くの土建事業は本末が転倒した、おためごかしのイクサとも言える。

実際、日本が土建国家を宣言したのは、一八八八年の東京市区改正条例だ。「道路・河川・橋梁ハ本ナリ、水道・家屋・下水ハ末ナリ」と、大規模の土建工事が本で、住民の小さなくらしは末としたから、本末論といわれている。ここから、政官業の複合体は公共事業のカネと利権の談合と汚職で結びつき、今では七百兆円近くもの借金を国民におしつけている。奄美も同じ。

 その前年の一八八七年から一九四〇年まで、鹿児島県は大島郡の経済を分離し、独立の予算制度をしいた。そのため、戦前の奄美の社会資本整備は阻害され、奄美独自の産業政策や住民の要求にそった計画は無視された。藩政時代には農奴的扱いを、明治以降は継子扱いで、無関心と無策の鹿児島県政だった。過去をおびない今はない。格差の根は深い。

復帰前にはつかのまのアマン世もあった。鹿児島のヤマト世に復た帰って半世紀。奄美群島振興開発特別措置法で、日本が奄美に援助したお手当は一兆六千億円。敗戦後、植民地を失った日本の国土への貢献費だろう。

しかし、「振興」のための産業基盤整備の成果―産業の不振、雇用と人口の減少、環境の破壊など―が、公共事業「信仰」の正体である。

今のまち(みち)づくりや活性化計画では、不安と破壊と借金地獄がふえるだけで、キャンナラン。そこで、ごく常識的な愚案を少し。

@比類のない自然、生物、景観の保全と復元を図るための法制化を。A食糧と地場産品を増産し、シマ島の域内自給率の数値目標化を。B公共事業や予算のバランスシート、費用対効果、責任の所在を。C復帰前に存在した「奄美群島政府」。自治連合による特区化をー。

一六〇九年の薩摩の奄美「侵攻」から四百年。

「シマ島ぬわきゃやぁ、だーちもけてぃさばくりばいっちゃんかい?しまなんてぃ、くゎぁまぐゎがりかまりゅんにっし、まーじんし、しまたてぃてぃまぶろ!」

(※注釈 シマ島の私たちは、どこに向かって処していったらいいのだろう?しまで子孫が食べていけるように、一緒に、しまを建てて守ろう!)


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