店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南海日日新聞:書評(H8.10.1)

『石橋幻影』「甲突川から消えた鹿児島五大石橋」

樋渡直竹写真集・文化ジャーナル鹿児島 3900円

「消えた石橋への鎮魂集」

鹿児島市の甲突川から石橋が消えた。

ぬがかい?「大水出てぃ/らんかん橋洗流らち/忍でぃ来る加那や/泣ちどぅ戻る」しまうた「らんかん橋節」には、奄美の流れやすかった木橋の事情が背景にある。名瀬市に残る「石橋町」と言う地名も、大正時代、現奄美高校の近くの木橋が奄美で初めてコンクリート橋として出現した時、驚いたしまんちゅはその流れない橋を憧(あこが)れの「石橋」ち呼んだんありょうらんかい?

「天保改革の主財源は奄美の黒糖専売制であったから、五石橋は奄美の島民の汗と肥後の石工の技術によって建てられた、といってもあながち不当でもないだろう。

幕末諸藩が財政難に苦しんでいるとき、薩摩藩は甲突川だけで、二万両余りの資金を投入している」(原口泉・寄稿から)たかが石橋、だんば石橋。薩摩の奄美支配の歴史的シンボルありょうたんじゃやあ。きもちゃげさん事しぃ。

「石橋幻影」と名づけられた樋渡直竹さんの写真集は、ありし日の「美しい石橋の姿を後世に語り継ぎたいと、石橋への感謝と祈を込めて作製された」、「永久保存版」の鎮魂集だ。

百五十年間、甲突川の四季の流れと共にあった石橋たちの容姿は、人々の暮らしと自然の風物を反映して気高い守護神のように厳(おごそ)かだ。これから祇園之州公園に移設、復元されたところでイミテイションの橋たちは、いったい鹿児島の歴史と文化の何を象徴し守っていきゅんかい?

八・六水害の犯人として一方的に断罪された石橋たちのやりきれない哀しみと怒り。感謝と祈の心を忘れ、自分たちの小さな利益や開発のことしか考えられなくなった大多数の鹿児島の私たち。樋渡さんが、石橋たちのコスミックな風景を通して私たちに呼びかけているのは、万物が生きとし生けるような持続可能な世界への軌道修正かも。

橋と同様、シマの文化や自然を破壊し続けて止まない奄美の"侵攻壊発"。本書の問いかけには、奄美でも同質の問題として受け止めまいち思う。

(森本眞一郎)

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