店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南海日日新聞:書評(H8.8.13)

『与論島を出た民の歴史』

「差別の構造焙り出す」

大阪の大正区・港区、尼崎の杭瀬、神戸の大正筋、鹿児島の三和町、宮崎の大島町あたりには、私の知人や親戚がそれぞれの歴史を抱えながら「在日奄美人」として暮らしている。隣の沖縄でも普天間基地周辺に「在沖奄美人」は多い。

本書『与論島を出た民の歴史』は、三井三池炭鉱での苦闘の歴史を生きぬいてきた、福岡県の「在大牟田与論人」たちの三代にわたるドキュメントの復刊である(初版は一九七一年、たいまつ社刊)。

「わたしたちの先輩のあゆみは、一口に言って、人種的偏見と差別に対する苦闘の歴史であったと言える。今日わたしたちが与論人と呼ばれることに、なんらかの抵抗感なしには受け取れないという心情も、このような歴史的なものに深く結びついているからである。与論人であることをひた隠しに隠して生きなければならなかったかつての苦悩が、今なお心の奥に傷痕として刻みこまれているということであろう。しかし伝統というものは軽く見過ごすことはできない。それはわたしたちの血の中に重く沈んでいる。わたしたちの血の中には、祖先の果さんとして果し得なかった無限の恨みが息づいているはずだ。わたくしたちの夢をうながし、活力を湧き出さしめているものが、血の中に脈うっている。それが伝統というものである―」(『三池移住五十年の歩み』引用部分)

いったんシマを出た「さまよえる奄美人(シマンチュ)」が、誰でも共有する「奄美人(シマンチュ)としてのアイデンティティ」―本書では、それとの苦闘の長い闇(やみ)の果てから、「人種的差別」と「暴力」を産み出してきた「近代経済社会」や「近代国家」という装置が焙(あぶり)出されている。

明治三一年の台風禍による大飢饉(ききん)を契機に、鹿児島県と三井グループによって仕組まれた与論島の集団移住。現在、炭鉱労働者たちは閉山によって職と土地を追われ、「棄民と流民の構図は今も全く変わっていない」という。もう一度読み直されていい一冊である。

(森本眞一郎)

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