店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南海日日新聞:書評(H7.5.30)

『いじゅん川(ご)』紬編・筬の音(創刊号)

「シマ支えた紬を再考」

名瀬の女性たちのサークル「ゆらおう会」が、会誌「いじゅん川(ご)」を発刊した。「泉ン川(いじゅんご)」とは、地の底からコンコンと涌き出る真清水のこと。そこはシマが成り立つための聖地でもある。ネーミングも表紙もしゃれている。

創刊号の特集は「つむぎ」。

なぜ紬なのか。おそらく、紬で親に育てられ、子を育て、紬で嫁に行き、嫁を迎えてきたように、シマの大多数の女性たちの暮らしと歴史を、紬が一番象徴しているからであろう。

共に考えてみたい。「以前十二、三万の十五・五ぬ(の)のの(つむぎ)とう、ナマヤ(今は)、六万ドー(六万よ)、一月ガリヤ(までは)八万シュタンヌー(していたけれど)、カシ(こんなに)、下ガリバ(下がっていけば)、生活ヤ(は)、デケラン(できない)。ナマヤ(今は)一疋、二カ月カーリバ(二カ月もかかる)」(九六ページ)

この七十に近いおっかんの場合、一時間根をつめて織るとだいたい三寸五分(約十三センチ)だという。単純計算だが、一疋は六百四十四寸だから、百八十四時間は機(はた)に座って頑張らないと収入にならない。時給にすると三百二十六円ということになる。雇用契約のない出来高制の業界とはいえ、こんなに安い賃金では、産地崩壊は目にみえている。

奄美の一般的な家庭の暮らしを支えてきた「つむぎ」。ピーク時の昭和五十五年にくらべ現在(平成六年)は、紬従事者二万人から四千人、生産額二百八十六億円から五十三億円に激減している。はたして紬にかわる財源と雇用の場が他にあるのだろうか?

国や自治体は、"厚化粧"の工事をいい加減止して、紬従事者のための助成金制度や、不況の根源である流通機構の改善、産地主導の最低価格設定、紬公社の設立など、同じ税金を使うならシマの"素顔"がもっと美しくなるような使い方をすべきではないのか。

会誌「いじゅん川」のおっかんたちは、優しいけれど、怒っているのだ。紬ち言う泉ぬ涸(か)れれば、家(や)だかシマだか立っちいかんど、と。

(森本眞一郎)

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