店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

南日本新聞:南点(H8.11.6)

『奄美から見た読む環境』

「息長い地元の本根づかせたい」 「いつまで待つかやあ」

奄美で古本屋を開業している。わが家の一円(ひとまろ)と同期だから今年で小学二年生。売れない日々が続く。「したいち言うちょった」古本屋は仮の姿で、憧れの職業ベスト三ではないはずなのに、高校の悪友タバタが覚えていた。

うむ、真の姿か。

「おじさん、沖縄の人ね?」子供たちが、奄美人の僕によく尋ねる。奄美本を入れたくても八方美人の奄美大島、数量に限界があるので、同じ文化圏で出版業の盛んな沖縄本に頼るからだ。奄美を映す鏡にもなる。

同じ行政圏の鹿児島は地域モノが貧しい。鹿児島と沖縄の出版社や書店を通して違いが見える。人口。「鹿児島県百七十八万人、沖縄県百二十五万人」前者は減少、後者は増加中。新刊書店数。「鹿児島二百十一店、沖縄七十七店」人口比では前者が倍多い。前者は売れ筋のコンビニ本(雑誌、コミック、文庫本類)が主流で、後者は郷土誌、文芸、専門書が充実している。古書店組合加入件数。「鹿児島県七店、沖縄県二十六店」人口比では後者が五倍も多い。両者の中身は当然だが新刊書店の傾向をもろに反映している。出版社数。「鹿児島県数社、沖縄県十数社」一年に最低一冊は出している会社が対象。人口比では後者が圧倒的に多い。ちなみに出版点数では、後者は九州全県の総点数をうわまわるという出版大好き県。

さて、この資料から本県の読書環境を分析してみよう。新刊書店は約八千人に一店の割合で立地しているのだが、ベストセラー中心の金太郎飴店が多く、息の短い本が主流だ。中央からの情報には敏感だが、足もとの地域本や専門書には無関心なのだろうか。その傾向を反映して、息の長いマニアックな本を集めている古本屋が異常に少ない。二十六店もある沖縄県より本県の方が、人口、学校、所得も多いのに。図書館と古書店の充実度は、その地域の文化のバロメーターと思うのだが。芥川賞作家が沖縄には三人もいるのに、本県にはなぜか一人もいない。本県と沖縄県との読書環境の比較を通して、僕は県民性の違いを考えてきた。

伝統的に本県民は〈武〉を、沖縄県民は〈文〉を好む風土性がある。たとえば沖縄では床の間に刀剣類ではなくサンシンを飾るように、両県人は世界に対しても、歴史と現状の認識の回路が基本的に違うのではないかと。このように僕は〈武〉と〈文〉の一方的な対比の仕方で両者の違いにかたをつけようと思ってきた。でも、最近、鹿児島の友人のおもしろい企画書を読んで目がさめた。

僕の足もとの奄美をみてもそうなんだが、鹿児島も沖縄も今はそんな単純で一方的なもんじゃなくなっている。いろんな人たちが、〈文〉〈武〉と無縁に勝手に生きている。読書環境の違いだけで、そこの地域性を一網打尽にくくることのつまらなさ、危うさを逆に教わっているところだ。

出版では小国の鹿児島だが「道之島社」、「文化ジャーナル鹿児島」、最近は「南方新社」などが、古い鹿児島のイメージを脱ぎ捨てるように、新しい地域の芽ぶきを送りこんでいる。これからの鹿児島の本は、薩摩武士的な世界から地域の生活者や環境が主流になっていくだろう。

僕たちはそれぞれの地域の本にもっと目を注いで、友や子や孫とも一緒に読めるような息の長い地元の本を根づかせていきたい。


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