店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

朝日新聞鹿児島版:みなみ歳時記(H9.2.6)

自決の島

 切り捨てられた非日本人

  「皆さーん、いよいよ最期の時が参りました、自決に行く時がきました!」
 島尾ミホさんの神話的な作品「海辺の生と死」に描かれていた世界が現実だったことをご本人にうかがってから、「自決の島」に生まれたことの宿命みたいなものを感じている。

 松本市在住の菊池保夫さんの研究「集団自決の場所―奄美諸島から―」(「奄美郷土研究会報」36号)は、日本を奄美から相対化する。
 菊地さんは、米軍が奄美に上陸したならば、日本軍の指令によって、集落ごとの「自決」「玉砕」「住民虐殺」の可能性があったことを示し、奄美の有人全八島の二十六集落に残る、集団自決に関する文献資料を分析している。

 奄美では集団自決用の非常防空壕(ごう)を「第三防空壕」、沖縄の八重山諸島では「第三避難地区」と「三」付けで呼んで区別し、集落単位での避難形態が共通していることを指摘している。
 米軍が奄美に上陸していたら、ぼくの父母たちも、「軍の食糧確保と戦場の足手まとい」(前掲論文)のために自決、ぼくの出生もなかったかも。
 そんなことを考えていたら、神戸在住の高木伸夫さんが「一九四六年『非日本人』調査と奄美連盟・南西諸島連盟」(神戸奄美研究会報「キョラ」2号)を発表した。高木さんの論文によると、連合国総司令部(GHQ)は一九四六年、日本政府に、在留する外国人の実態把握と引き揚げ希望者の計画輸送のために、外国人を対象とする人口調査の実施を求めた。
 「外国人」の対象とされたのは、当時「非日本人(ノン・ジャパニーズ)」という概念で認識、分類されていた朝鮮人、中国人、台湾人、琉球人。ここで「琉球人」とは、北緯三〇度以南(口之島を含む)のトカラ、奄美、沖縄に本籍を有する者のことだ。
 日本政府側の意図は「自国の食糧確保と治安維持」のための「厄介者払い」だった。高木さんはその根拠に、兵庫県内で見つかった、「本登録ノ完全ナル実施ニ依リテ日本内地ニ於ケル食糧配給、治安確保等ノ上ニ及ボス影響極メテ大」と書かれた資料を提出している。

 さて、菊地さんが「軍の食糧確保と戦場の足手まとい」を、高木さんが「自国の食糧確保と治安維持」を、軍と政府の意図として論じている。この見事な一致は単なる偶然ではない。
 たとえば現在、「沖縄人」の基地問題を「日本人」は真剣に考えない。安保賛成、おらが基地反対。なぜ。
 戦後、「日本国」の独立・繁栄の引き換えに、「奄美・沖縄」を切り捨てて米軍統治下に譲った。
 なぜ。戦後日本は住民に無断で奄美・沖縄を「台湾」に、その前には八重山を「中国」に譲ろうとした。なぜ。

 多くの「なぜ」を解くかぎが「自国民優先の食糧と治安対策」だろう。そのためには「外地人や在日非日本人」を徹底的に利用はするが、いざというときには「厄(介者)払い」という不文律だ。

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