店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

島立まぶい図書館からの眺め:170page

『海辺の生と死』

著者・島尾ミホ 発行所・中央公論社 昭和62年3月10日発行
231ページ 500円

聖と俗の交歓の風景が神話のように広がる。戦争文学の傑作『その夜』を収録

奄美大島から海峡ひとつへだてた加計呂麻島。複雑な入江の島かげに、神々が、いく重にも見え隠れするかのようなかげろうの島。

この本の舞台になっているシマ(集落)の名前は「押角」(うしきゃっくぅ)と「呑之浦」(ぬんみゅら)です。あたかも、神々がこの地におしかくれて住んでいるかのようにひびくこのシマに、守護神のような島尾特攻隊長が、著者との宿命の深浦にのみこまれるようにしてやがて訪れます。

この本の大もとは、それ以前の著者の記憶の奥に刻まれた幼児のころの押角での暮らしや自然の風物です。思慕してやまないジュウ(父)とアンマー(母)のこと。仔山羊や烏賊たちの誕生の瞬間。殺されていく黒い牛のやさしいまなざし。先祖の霊魂たちと朝まで踊り競う「洗骨」。器用貧乏の鳥さし富秀に食べられてしまったルリカケスなどを描いた「鳥九題」。

南の小さな島蔭の、入江の奥の集落までも渡ってきては去っていく「旅の人たち」――。

押角というシマ宇宙で実際にくりひろげられていた人と自然の生彩ないとなみを通して、大むかしからそこではそのようにしてあったと思われる聖と俗の交歓の風景が、まるで神話のおとぎ話のようになつかしく伝わってきます。

やがて、この平和なシマにも日本軍の軍靴の波音が押し寄せてきます。

「終戦の前々日、昭和二十年八月十三日は旧暦の七月六日、七夕さまの前の晩で星のきれいな宵でした。」

美しい文章で始まる「その夜」は、日本の戦争文学の中でも群をぬいて、私の本棚でまぶしく光り輝いています。それは夫島尾敏雄の作品と同様、戦争という人類の普遍的なテーマに対して、極限状況での「癒し」のエネルギーが流れているからでしょうか。

「『皆さーん、いよいよ最期の時が参りました、自決に行く時が来ましたー。家族全員揃ってナハダヌミャーに集まってくださーい。』喉の奥からふり絞るような声で、タケイチロおじが触れ歩いているのでした。私はあのような何ともいいようのない悲しげな叫び声をあとにもさきにも聞いたことがありません」「放したくない、放したくない/御国の為でも、天皇陛下の御為でも/この人を失いたくない/今はもうなんにもわからない/この人を死なせるのはいや/私はいや、いやいやいやいやいや/隊長さま!死なないでください/死なないでください/嗚呼!戦争はいや/戦争はいや」

巫女のように神的な感性。ウナリ神のように霊的な母性愛。そして、パソコンのように自在で細密な記憶装置。

奄美は、島尾ミホというふしぎなとしか言いようのないすぐれた媒体をえることで、シマジマに内在する普遍性を、この『海辺の生と死』という一冊で獲得することができたとわたしは思っています。

(森本眞一郎)

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