040627(ティダ)旧5.10、長潮、日出5:27、月出13:47、天晴れのち雨

この「店頭より」、一年ぶりに再会したのだが、身内のことばかりだ。
覗く方々には面白くもなんともないのだろう。
でも、まぁ日誌みたいなもんだから、こんなもんだ。
特に、癌になってからは一期一会、遺書的になってしまう。
再発・転移したら、もうなにも書けないのだから。

きょうは、「本処あまみ庵」のおおまかな歴史を初めてなぞる。

@1989年(平成元年)初夏、「奄美古書センター」として開業(10坪)。
A1990年晩夏〜、同じ奄美本通りに移転(20坪)。
B1993年初秋〜、新店舗「本処あまみ庵」を末広通りに開店(20坪)。
旧店舗は「メディアミックス」と改名して二店舗、40坪に。
C1997年盛夏〜、また移転。奄美本通りで二店舗を一店舗に統合。
一階を「メディア利再来ル」(20坪)、二階を「本処あまみ庵」(30坪)として、計50坪。現在に至る。

今年で、創業16年目。
店を4つも造ってきた
@の時代は、従業員1名、家賃11万円。(創業期、約1年間)
Aの時代は、従業員4名、家賃23万円。(成長期、約3年間)
Bの時代は、従業員6名、家賃計46(23+23)万円。(成熟期、約4年間)
Cの今現在は、従業員は3名、家賃は21万円。(衰退期、約7年間)

ここ一、二年間の売上の激減ぶりには目を覆う。
ほかになにかを、と思案しても先が見えない。
こんな時代だから、やっていけんが、やるしかない。
つぶれるのを待つだけの情況だが、どうしようもない。
自らの死は自然死として、自ら引き受けるだけだ。

しかし、開発のためのナンセンスな公共事業でつぶされるのだけはごめんこうむる。
他者(政官業)からの安楽死の強制は、生存権の侵害だ。
店とワンの存続の問題は、自己責任の問題である。
それを強制するようなオカミとギョーシャの横暴には、命をかけて闘い続けるゾー!
権力者の側に与する者たちよ、あんたがたも命をかけれるか?!
平成30年に完成予定のシンボルロード計画は、地域住民や商店街のためではない。
その時やその後まで、責任を取れる者など、政官業の世界には一人もいないのだから。
人の財産権や基本的人権を侵害し、あとはやり逃げ、食い逃げの行為は、立派な行政犯罪ぞよ!キミタチの責任を必ずや追及するぞ!
ぼくらは「一部」の「抵抗勢力」などではない。
むしろ、「圧倒的多数」の「無告の必死の民々」なのだ。
キミタチ、理論武装はできているか?!
聞く耳は掃除しているか?
復帰50周年の具体的総括はこれからなんだぜ。
奄美の自立と独立のために。


きゅうぬ、かてむん

人の幸せは命の長さではありませんよね。
それはなに?あなたのばあい。


040626(にちゃ)旧5.9、小潮、日出5:27、月出12:46、快晴

2日前、オッカンが車椅子から玄関のタタキにぶっくまんげした。
重症。一時は、最悪の事態も考えた。
しかし、オッカンは不死身だ。今日あたりから蘇生して元気。
梅雨晴れの土曜日、下の二人の娘をスイミングスクールへ。
途中、ヒッチハイクをしていた息子を拾って大浜海岸まで。
大浜で生ビールを飲みながら、一昔前、家族で泳ぎに来ていたころのことを思い出した。

十年一日
人生は、早い
毎日が、一生のくり返し
一生は、46億年の歴史の結晶だ

040623(むぃじ)旧5.6、中潮、日出5:26、月出9:54、雨&はれ

きょう、つゆあけの奄美
去年は、国立ガンセンターで術後の入院中
ひととき、一日、ひと月、一年間・・・
いのちはめぐる
まわれやまわれ
うたえやうたえ
おどれやおどれ
そめろやそめろ
やすめややすめ
ねむれやねむれ
ゆめのような、旅だ

南日本新聞の文化欄に本日掲載。藤井勇夫アニの追悼文はこちら

040622(まってぃ)旧5.5、中潮、日出5:26、月出19:23、はれ

大型の台風6号は奄美地方を避けてくれた。エライ!
ここ一週間の疲れがどっとたまってきた。
勇夫アニの死。
妹・洋美の一周忌。
台風6号。
終日、勇夫アニの追悼文と本の整理・・

これからは、節制しながらゆっくり生きていこう。
せっかく、もらった命の灯、大切に使わせてもらおう。


040616(みじ)旧4,29、大潮、日出5:24、月出3:54、はれ

6月10日(木)藤井勇夫さんがネリヤカナヤ(他界)へ旅たった。
台風四号が吹きまくった。
妹さんが東京からみえた。
鹿児島から、南方新社の向原さん、遠矢さん、クワズルさん。
詩人の山中むっちゃん。
1日遅れて、沖永良部島から友人の佐久間さん。

11日は告別式
弔辞の前平顕信さん
弔電の薗 博明さん
親族代表謝辞の高野裕夫さん
それぞれ立派なメッセージだった

通夜、告別式、荼毘、納骨、なおらい・・・と滞りなく進行した
ほとんど、酩酊状態
トゥジがなしの美智子が踊り狂っていたワンを名瀬まで連衡してくれた
残ったメンバーは朝までにぎやかに弔ったそうだ

翌12日は、ふたたび藤井亭へ
お母さんや妹さん方と語らう
夕方まで、前肥田(めーひじゃ)の浜辺で遊んだ
藤井さんの最期まで手足となってお世話をしてくれた面々たち
ミチヨちゃん。シロウ。ヤマちゃん。ゴッチャン。オカくん。
その他名前を忘れたが、多くのIターン者たち、ありがとう。
藤井さんは奄美でイサオチルドレンを育てたのだろう

向原さん、六っちゃん、我が家族たちで土盛海岸へ
夜、向原さんを名瀬港まで送る
その船で沖永良部島から藤井さんの親友の佐久間さんが到着
長い3日間が終わった。

南日本新聞文化部から追悼文を書けとの依頼があった。
今、それを書きながら、勇夫アニとの生前のあれこれを思い出しては涙している。

徳之島のバナナボートでの出会い。(1987年だったか)
関西への紬の行商
「島じゅうり亭」オープンのための沖縄への食器の買出しし
「しまじゅうり亭」での来客の接待
海の家「あしゃげ」のオープン
そこでの、映画上映。一人芝居上演。コンサート。詩の朗読。
子どもたちの休みには家族で泳ぎ、ハマグリを漁って遊んだ
アニが名瀬に出て来るとワンの家が定宿だった
トカラ・鹿児島にも一緒に行った
ツシロの戦跡を発掘して、慰霊祭を催してきた
2009年へ向けての雑誌や大祭の準備中だった
あと5年だったのに
そのかわり、勇夫アニが喜んでくれるようなマツリにしなければ
追悼集会(お別れ会)は49日の前の7月18日の予定
勇夫アニの見果てぬ夢に花を咲かせよう

南日本新聞の掲載は、6月23日
南方新社が『藤井勇夫伝』を年内に発刊する
奄美の大きな宝が土に還った


040609(みじ)旧4,22、小潮、日出5:24、月出0:15、ひねもす雨

店(社会)に復帰して一ヶ月
通りを歩くのも億劫だった
どんな目で見られているのか
だれも、ワンのことなど気にもしていないのに
悪いことして外出しているみたいだ
ヤマイは反社会的な犯罪か
ケンコウは社会的な道徳か

そうではない
ヤマイとケンコウは一身同体
シーソーやヤジロベーのようなものだ
そのバランスをとるのはそれぞれの「気」
自分の「気」をちゃんと心身につけておこう

「気」を奄美ではマブリという
マブリとは「眼(目)守りで自分を守ってくれるもの
霊や魂のことだ
自分の内外の霊や魂に気を付けよう
その声や存在に耳目をかたむけよう

天(あま)から降りた雨水が川から海(あま)へと旅をする
みんなみんなアマからクマへの旅の途中だ
そしてクマからアマへ
マブリはめぐるよそれぞれのコスモス(心身)を
耳をそばたて、目をこらして、それぞれの旅を楽しもう!


040602(みじ)旧4,15、大潮、日出5:25、月出18,24、雨曇

きのう6月1日(火)は、鹿児島市に日帰り。

名瀬都市計画区域マスタープランの鹿児島県都市計画審議会の傍聴のため。
結局は予定とおりに承認されたが、「住民の理解と協力の下に個別の事業を進める」という付帯決議になった。これは、名瀬市の都計審議会と同じ内容。
計画に反対する声や動きを無視しては事業化が困難であることの証明である。

思えば、この二年間、運動を立ち上げてきたが、一つの通過点にきたようだ。
それなりに、ベストでのぞんできたが、つぎは、「末広・港 区画整理事業」の都市計画決定だ。「合意形成」ができていないことをどう証明するかだが、お後がよろしいようで・・・。

免許証を紛失したので、きょう名瀬警察署に再発行の手続きをしてきた。
以前は、アマミでは2週間もかかり、急ぐ人は即日発行のカゴンマまで上っていた。
それが、いつのまにか、即日発行(約30分ほど)にスピード化していた。
島差別がきもち解消されつつあるのだろうか。
それにしても、鹿児島市の新県庁付近の巨大なコンリートのビル群には呆れてしまった。
人の税金を湯水のように垂れ流して、責任はだれもとらない。
業界と行政そして政治家、この鉄のトライアングルをたたないかぎり、アマミや日本に明日はない!むなしくアマミに帰ってきたのだった。

同日、娘の結(ゆい)は、鹿児島市で県総体に出場。
大島高校のバスケ部はベスト3だったが、インターハイ出場はおしくも逃がした。
優勝した、神村学園には、ワンの家の向かいの西川セイちゃんなどが活躍。
鹿児島市のスポーツ界にスカウトされて翻弄されている地元アマミ勢の実態に対して、宗主国と植民地の関係をみてしまう。
めざせスポーツ人材の域内自給!
進学人材もそうだが、これは、自省の念をこめて。