「交流拡大宣言」に関連する公開質問状

2010219

鹿児島県知事 伊藤祐一郎様

                   鹿児島県の歴史認識を問う奄美の会

奄美代表 薗 博明

鹿児島代表 仙田隆宜

 

【趣旨】

 

20091121日、「沖縄・鹿児島連携交流事業」が奄美市で開催されました。

当該事業に対して、私たちは「『交流拡大宣言』の中止を要求する奄美の会」を組織し、中止を要求(資料1)しました。ところが、鹿児島県は一顧だにせず、これを強行、私たちは「交流拡大宣言」(資料2)に至る経緯と内容に大きな怒りを感じ続けています。

「島津藩による奄美・琉球侵略400年」の昨年、県内外で多様なイベント(資料3)が催されましたが、提起されたさまざまな課題はなにも解消されていません。奄美と鹿児島県にかかわる私たちは、現在から将来への課題として「1609年」を反芻するべく、この会を「鹿児島県の歴史認識を問う奄美の会」と改称しました。

このたび、私たちが疑問に感じていることを、「公開質問状」として提出いたします。

20103月末日までに、誠意をもって明確にご回答くださるよう要求いたします。

 

【質問項目】

 

 

1.20091121日開催の「沖縄・鹿児島連携交流事業」と「交流拡大宣言」について

 

1) 当該事業の計画内容を鹿児島県が広報したのは、開催4日前の1118日でした。沖縄県はいち早く報道しており、私たちはこのことを沖縄県のメディアから知った次第です。

県当局は奄美で事前の準備を進めながら、開催日ぎりぎりまで告知しなかったのはなぜでしょうか。しかも、なぜ、奄美で開催したのでしょうか。その理由をお示しください。

 

(2)       交流拡大宣言には、「薩摩による琉球出兵・侵攻400年という節目を迎えたこの年、過去の出来事や成果をしっかり踏まえつつ」という表現があります。

  「薩摩による琉球出兵・侵攻400年」の結果、直接影響を受け続けている私たちは、鹿児島県の過去400年間の「出来事や成果」がどんな歴史的事実を指しているのか、知る権利があります。県には説明責任がありますので、具体的に明らかにしていただきたい。

 

3) また宣言は、「今後、両県は、あらゆる分野・世代でより一層の交流を推進し、相互の繁栄を目指して協力することを、ここ奄美の地において宣言し、両県知事が署名する」と締めくくっています。

   私たちは奄美と共に両県が交流を深め、相互に繁栄していくことを望んでやみません。

ただ、その一方で、当該事業は奄美と鹿児島県との400年間の歴史を検証、確認しないまま、奄美の頭ごなしに幕を引くためのセレモニーだったという認識を私たちは持っています。そうでないとしたら、ご回答ください。

また、計画している「交流事業」の来年度の事業予算(内訳)と中身などをお示しください。

 

2.鹿児島県の歴史認識(「過去の出来事や成果」)について

 

私たちは、1609年以降、奄美の民衆がたどってきた歴史について、次のような事実を特徴的なものとしてとらえています。

 

1) 1609年、島津軍団による奄美・琉球への「侵略」がありました。

このことについて鹿児島県の歴史書では、「征琉の役(原口虎雄)」「琉球征服(原口泉)」をはじめ、「琉球出兵」「琉球征伐」「琉球の役」等々、バラバラに記載されています。鹿児島県としてはこの400年目の機会に統一見解を示すべきであると考えます。

 

2) 1609年から幕末までの約260年間、薩摩藩は奄美において、多くの餓死や一揆を招いた黒砂糖の収奪をはじめ、極めて過酷な経営を行ってきました。このことにより、奄美の民衆が被ってきた物心両面からの疲弊は夥しいものがあり、それは現在も継続している課題です。

 

3) 幕末から明治期に活躍することができた薩摩藩の財政基盤は、奄美からの黒糖収入によるものが大きく、その比重は藩の産業収益として最大であったと認識しています。

 

4) 明治期から戦前まで、「大島商社「県令39号」「大島の独立経済」等々の第2の奄美差別といわれる奄美政策が継続され、推移してきました。これらの史実についても鹿児島県(民)は認識していません。

 

5) さらに、奄美の戦後は沖縄と共に「アメリカ世」になりました。

1953年に日本・鹿児島県へ復帰して今年で57年、2兆円以上もの「奄美群島振興開発事業(現)」が奄美の島々に投入され、産業振興の名目で大型の基盤整備事業が続いています。これによって、鹿児島県は事務費をはじめ、県本土と県外の受注業者は多大な利益を確保しています。しかし、地元の奄美には歩留まりが低く、肝心の産業は振るわず、人口は半分になり、世界自然遺産候補の貴重な自然は破壊され続けています。奄美の郡民所得は平成19年度では、鹿児島県の84%、国の67%に留まり、公共事業の果実は郡民の暮らし向きにはそれほど還元されていません。

 

6) 上記の「出来事」をとおして、「1609年から現在までの400年間、奄美は薩摩藩から鹿児島県の植民地だ」という認識と言説があります。経済とアイデンティティの両面から、「植民地」という歴史認識を持たざるを得ないほど複雑な奄美と鹿児島県との歴史について、鹿児島県はこの400年を機に史実を検証のうえ、相互の関係史を私たち県民と国民に明らかにすべきであると考えます。

  

   以上、私たちが特徴的にとらえる「過去の出来事」に対して、鹿児島県としてはどのような認識をもたれているのでしょうか、「成果」も含めて、各項目についてご回答ください。

 

3.鹿児島県知事との話し合いについて

 

1) 2008年、国連の市民的および政治的権利に対する条約(B規約)人権委員会は、「琉球民族(含む奄美諸島)は、アイヌ民族と共に日本国内の先住民族として認定し、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」と勧告する審査報告書を発表しました。

さらに、2009年、ユネスコは、「奄美語は単なる方言ではなく、消滅の危険にある世界の中の独立語として保全するよう」認定し、勧告しました。

 

私たちは、これらのことも踏まえ、昨年、「郷土教育に関する陳情書」(資料4)や「奄美の自然・文化・歴史等の広報・教育に関する陳情書」(資料5)を奄美の全市町村と鹿児島県に提出しました。奄美群島広域事務組合においては、奄美の自然・文化・歴史に関する副読本づくりがスムーズに採択されました。

しかし、遺憾ながら、鹿児島県においては継続審議となっています。鹿児島県は、奄美や沖縄との400年間の「出来事や成果」を県民に広報・周知していく責任があると考えますが、どのようにお考えでしょうか。ご回答ください。

 

2) 最後に、このことも含め、鹿児島県と奄美の将来を共に考えていくため、県知事と私たちが直接話し合う時間をもうけるよう要請いたします。この機会にぜひ実現してくださいますよう希望いたします。あわせて、ご回答ください。

 

以上

 

連絡先:鹿児島県奄美市名瀬佐大熊町1112

894-0005 /0997(53)5681

森本眞一郎