SHOUT (言いたい放題)

 ジン・スタジオ/zinsta@po.synapse.ne.jp

2002/1〜2004/12


1月28日 題名:おうなんと!
おやおや、何と一年ぶりの書き込み。いいのかな〜、こんなんで。
今、どちらかというと「mixi」なるものに日記を書き始めている。そちらに一番書いてしまう。
ブログも何箇所か作っちまったが、実際ほとんど動いていない。
だめだこりゃ。ここ、閉鎖するしかないかな。もうちょい待つか。

今年も波乱万丈の幕開け、誕生日が13日の金曜日ときやがった。
一生のうち何回かはあるが、その年は凄いもんだ。今回も既に大変なことが始まっている。
まあいいや、どうにかなるでしょう。

それより今日は実験。新しいことへの挑戦。うまくいけばいいけどな。


2.月7日 題名:無人野菜販売所
鹿児島市内から20〜30分の近郊、松元町に野菜を一杯売っている無人販売所が何箇所かる。
値段もほとんど一律100円。昨年の台風の影響で10〜11月の頃は1.5倍から2倍になってました。
でも同じ時期の都会の大根1/2本=1000円とかはまったく信じられないけど。

100円で何が買えるか?各々、大根1本、深ねぎ5〜6本、白菜1個、ほうれん草1束、
さつまいも3〜4個、人参大3〜4本。1000円も買うと一人では持てません。
家みたいにエンゲル係数の高い家庭だと1週間分の食料です。

この制度全国にもあると思うけど、鹿児島はあちこち点在しています。
こんな無人販売、他の国にあるのかな?
一時期、よからぬやつがいて問題になったことがあるけど、地元新聞の問題提起もあって、
また周辺住民の理解や運動もあってその後さほどの問題もなく現在に至っている。
市場に出すほど大量には作付けせず、働き手のいなくなった田舎で、
年金暮らしのお年寄り達が帰省してくる孫達の小遣い稼ぎの為に
丹精込めた野菜を売っているのです。それを大事にと思うのは本来の人情と思う。

これは薩摩人としていや日本人として誇れるものだと信じてます。
「そんなとこに出すほうが悪い」「それは取ってくれと言ってるようなもんだ」とかの堂々と唱える常識は、
それが逆に非常識という社会的規範になってくれることを望みたいものです。
それが出来れば毎日みたいに殺人のニュースも聞くこと無いだろうに。

誰か、無人野菜販売所を外国人に納得できる説明の出来る人いるのかな?
仮に意味は通じてもそのシステムを理解させることはかなりの難題だろう。
人の道徳心に任す販売システム、考えてみたら本当に余裕のある経済や人心で無ければできないことだ。
でも、それが単なる資本経済主義の産物としての捉え方でなく、豊かな人間のゆとりの規範としての捉え方だったら
多いに誇っていいことではないだろうか?それをどんなに理解してくれなくても。
「オ〜!クレージー」と言われたら、「アイアム、ジャパニーズ!」声を大にして返して欲しい。(^_-)

1月22日 題名:不安と恐怖
もう、今年になって1ヶ月が経とうとしている。遂にこの日記も2枚目に入った。
また、いろいろ愚痴ろう!
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ひとみな人生の中で、不安や恐怖にさいまなされる事ってあるものだ。
昔、読んだ心理学の本に(卒業論文のテーマが視覚心理学の方だったんで)そのことが書いてあった。
「人間は恐怖に慣れることはあっても不安は慣れることはできない。」が主旨。
なるほどそうかも知れない。第2次世界大戦の時、ドイツ軍はその手を使ったらしい。
スパイを白状させる手段に用いたんだと。ある町にスパイを収監する情報部の施設があったらしい。
その町の人には「そこに入ったら二度と出られない。」といった噂も流していたそうだ。
連合軍の情報部にもその情報は伝わる。もちろんドイツ軍の方はスパイを処分することもあるだろうが、
実際は密かに連れ出すケースもあるのだ。誰にもわからないように。
そこに収監される諜報員は覚悟を決めなければならない。しかも死ぬだろうという不安を抱えて。
さらに収監された諜報員は鉄格子に入れられ、何の荒い取り調べもなく数日間を過ごすそうだ。
その間、近くの房から拷問を受ける人の悲鳴を聞かされ、その上、檻の前を拷問を受けた血だらけの別な囚人が帰っていく。
諜報員はいざ自分が受ける拷問にはある程度の覚悟はあって、しかも耐えることの訓練はなされている。
しかし、いつ受けるか分からない不安な状況は慣れたり耐えることは出来ないらしい。
それをうまく使ってたらしい。この話は例であって、おぞましい戦争の話をするつもりはない。

人は夜、墓場に行くととても恐い思いをする。それはいつ出てくるかどうかも分からない幽霊に翻弄されているのだ。
でも実際、出てきたら、もちろんビックリするなり、腰が抜けたり、抵抗しようとしたり、
それなりの対策や判断をするだろう。これを何回か繰り返せば慣れてしまうのが人間らしい。
幼いころの部落での度胸試し。年長の人が隠れるお化け大会、これはそんなに恐くなかった。
人がいるから(笑)。でも一番恐かったのは、人家の全く無い山道を1キロ位歩く度胸試しこれはマジ恐かった。
誰もいないし、獣の声や音がする。何にもまして誰もいないという不安には耐えられなかった。
これも前述の類いであろう。

何言いたいかというと、人生の中での不安は全て恐怖に変えたほうが結果的に楽だということだ。
受験でも受かるだろうかという不安より、徹夜してきつい目に合ったほうがいいし、
仕事がうまくいかないという不安より、とっとと勉強でもしたほうがいいし、
このまま行くと病気せんだろうかいう不安より、タバコを断って酒も程々にしろや!って事ですね。
誰に言ってんだ俺?(爆)

「泣こかい、飛ぼかい、泣こよっかひっ飛べ!」
(鹿児島弁で、泣こうか、飛ぼうか、でも泣くより飛んじゃえ!という昔のはやし歌)