三国名勝図会より抜粋


「白旗となりにけり」とは

白旗は降参の意味という一説がありますが、この頃の戦いには
まだ降参には白旗を上げていないので下記の説が一般的です。

島津家の子孫は源氏と言われており、源氏は旗印は白、平家は赤を使用していましたので、
白旗に源氏を掛けることで血気を盛り上げたのでは。


三国名勝図会は天保14年(1843)に編纂されていますが
さらに30年前、文化9年(1812)に編纂された、しずのおだまき(倭文麻環)には

「しろたえとなりにけり」とあります。

筆者はこちらの方に興味をそそがれ研究しております。

倭文麻環より抜粋


白たえとは一般的に=白妙=白い布のこと 八幡神社の祭神となっている。

仲哀天皇・神功皇后時代に、三韓(新羅・百済・任那(みまな))との戦いがあった。



和歌には掛詞が多い。 
白=斯廬(しろ)=新羅の古名  たえ=絶える
 白たえ=斯廬(新羅)が絶える 

<筆者の和歌解釈>

野も山も雪で 我先祖の源氏の旗色 白で覆われている(しろたえに成っている)
戦う前に もうすでに斯盧(しろ)=新羅が絶えたと同じだ(しろたえ)
なんと ここの勝栗神社は縁起の良い神社であろうか。
皆の者 いざ出陣じゃ!!


搗ち栗/勝ち栗

三国名勝図会では   今宵の宿は かち栗のさと
倭文麻環では      今宵の宿は かち栗野里
この歌が勝栗神社の由となっている。

搗ち栗は栗の実を干し、臼(うす)で搗(つ)いて殻と渋皮を取り除いたもの。
「搗(か)つ(「臼で搗く」の意の古語)」が「勝つ」に通じるとして、出陣や勝利の祝い、正月の祝儀などに用いた。

かち栗は昔から保存食の栗=縁起の良い栗    勝 栗 

<参考>
倭文麻環では    今宵の宿は かち栗野
かち栗野里→「の」が漢字の「野」になっているのは栗野院を表したものか