平成31216 午後1時~   湧水町栗野中央公民館

講師 鹿児島国際大学教授 太田秀春氏
 
   演題「城郭史からみた松尾城と島津義弘


パネリストには会員でもある3名が登壇しました。
左 湧水汽車会(わくわくポッポ会)    大重氏 
中 湧水町島津義弘公大河ドラマ誘致委員会 仮屋氏
右 湧水町つつはの郷土研究会          吉岡



「大河ドラマでは義弘公のどんなところの魅力を発信してほしいですか」2分

❶朝鮮出兵では寒さが厳しく、日本軍では餓死者が多く出たが島津隊には一人も出なかった。
理由はなんと義弘公は身分を問わず、兵士と一緒に寝起きを共にし、夜は陣中の見回りもしていた。
人一倍兵士思いだった。 

❷どの武将もすることと思いますが、特に義弘公は神社仏閣を大事にしたので、
その方面の者達は人一倍活躍した。そして勝利した暁には必ず献上品を贈っている。

❸武芸や和歌で人心を動かす才能は類を見ないのでは。特に勝栗神社の出陣式で「磨欲踊」興行し、
義弘・義久・新納忠元による和歌の連歌は集まった諸侯達の心を掴みました。
「衆皆(しゅうみな)一入(ひとしお)の鋭気を生じ、此度の御勝利疑ひなし。千騎万騎の大軍も、
一時に蹈破る心を起しけり」この表現は私の一番好きな文章です。

「今後、湧水町つつはの郷土研究会が取り組みたいことや、顕彰したいことをお話しください」1分

ここ数年、当会が定期発行しています機関誌と会報も、研修会や講習会も大河ドラマと並行して進めてきました。
義弘公も西郷どんも、一通り浅く広く研修した感があります。義弘公関連施設の整備や広報活動は湧水町は
本当に率先してやってもらっております。有難いことです。今のところ新年度の目標は作成しておりませんが、
私達は郷土研究会です。義弘公に限らず、湧水町発展と、湧水町と鹿児島県のよき伝統残すために、
行政に側面的に応援が出来たら思っております。